jostle
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「使えない奴だ」
「お前の――――」
聞き流す術を身に付けているとしても、全能な訳ではない。
自分も人間だし傷つくときはある。
基本彼は口が悪い。
いつも全て冷酷で辛辣とは言わないが、酷く身に余り耐え難いときがある。
使えないヤツ、のあとの二言目、かなり堪える。
「一回出ていけ。その少ない頭を絞って出直してこい」
名無しさんは言葉通りに部屋を出た。
普段ならば、ごめんねと言って部屋に留まり仕事を続けるのが常だった。
よくある話、出ていけと言ってる側も本気で言っている訳ではないことが多い。
三成と名無しさんの間でもそれは例外ではない。
出ていけと言われて本当に出ていく馬鹿はいないという暗黙の了解があった。
だから今回も三成は本気では言ってはいないだろう。
しかし名無しさんにとってはそうではなかった。
【jostle】
振り返らずにきた為、彼の顔は見ていないが、きっと怒っているか、呆れ果てているか。
でも特段呼び止められなかったので、本気で出ていって欲しかったのかもしれない。
とぼとぼと廊下を歩きながら、先程言われたことを引き摺っていた。
今日はいつもの調子が出ず、言葉をそのまま受け取り傷ついている。
言い過ぎだし、もっと別な言い方があるだろうとも思う。
苛つきや怒りが湧かないと言えば嘘になるが、勝っているのは悲しい気持ちのほうだ。
彼に嫌われたか、どうすれば機嫌が直るだろうか、なんて考えてしまう。
こういう傾向はよくない。
仕事に支障をきたすし、他人の顔色ばかり気にしては自我がないようだし。
さらに歩き続け縁側が見えるところまで来た。
庭に出るにも履物がないな、と考えていると真上に何かの気配を感じた。
「名無しさん~」
降り注ぐ声に目を向ける。
「あ、半兵衛様」
瓦屋根から手を振るその人は竹中半兵衛だ。
「どーしたの?」
「仕事を中断し、ちょっと考え事をしてました」
少し声を張って返す。
よっ、と言いながら例の羅針盤を使ってこちらに下りて来た。
これ、いつも気になるけど一体どういう構造になっているのか。
「名無しさん冴えない顔してる。まーた三成にイジめられた?」
「そんなことないですよ」
勘が鋭い。
ほぼ正解の指摘に愛想笑いをする。
「あの子、ほんっと人当たりが悪いからね。なんかヒドいこと言われた?」
石田三成をあの子呼ばわりするから、つい頬が緩む。
無論、竹中半兵衛はそれが許される立場の人である。
「まぁ……なんというか。
わたしがもっと手際よく色々こなせれば三成を苛々させないんですけど」
「気ぃ遣いすぎ。ね、イヤなことあったんなら教えて」
どうしたものか。少し考えてみる。
「話したほうがスッキリするって」
仰るとおり、傷心気味なので話したい気持ちになってきてしまった。
「――お前の代わりなんていくらでもいる――
……って言われちゃったんですよ。それがなんか妙に心に刺さって。いつもなら平気なんですけどね」
「うっわー、ひっどい、三成最低」
自分としては仕事のみならず、これまでの三成との関わり全てにおいて代わりが利く、と否定されたようで落ち込んでいた。
最も三成とどういう『関わり』を持っているかは、口が裂けても半兵衛には話せないが。
「大体、三成は名無しさんに甘え過ぎなんだよね、何言っても名無しさんなら許してくれると思ってるしね」
「だからいっつも名無しさんと仕事したがるんだよね。何でもワガママ聞いてくれるからさ」
半兵衛の表情は爽やかなままだが、語気は着実に毒づいていく。
「ずるいよね、名無しさんを独り占めして二人っきりでさぁ。
名無しさんに頼みごとしたい人は他にも沢山いるんだよ」
「三成つきの文官とかじゃないしさ、本来名無しさんが縛られる権利もないし。名無しさんが選んでいいんだよ。仕事相手は……ね」
ね、と首を傾げてにっと微笑んでくる。
無邪気に見えて策士な視線が辛い。
こういう人種――思い当たること複数人――は誘導尋問が上手い。
喋りたくないことも口から出そうになってしまう。
これ以上深く突っ込まないで欲しいと切に願う。
何だろう……なんとなく、なんとなくだが背中が重く、痛くなってきたような気がする。
「貴様、いつまで油を売っている」
陰口の対象は得てして来て欲しくないときに突然現れる。それも背後からだ。
三成の綺麗な顔には余りある不機嫌さが全開だ。
なかなか戻らない名無しさんを探しに来たのだ。
怒りの矛先はあからさまに名無しさんだが、半兵衛を認識すると露骨に嫌な顔に変わった。
何を隠そう三成は半兵衛が苦手なのだ。
「三成、名無しさんに意地悪しないでよ」
「あなたに関係ないでしょう」
半兵衛は三成がへりくだって喋る数少ない相手のうちの一人である。
敬語を遣う三成は久し振りだ。
胸がどきどきする。
張り詰めた現況を鑑みると軽率ではあるが、三成の敬語をもっと聞いていたい――そんなことを密かに考えていた。
「お前の代わりなんていくらでもいる、なーんて心にも無いこと言っちゃってさ」
「余計な御世話だ。あなたには関係ないし、言われる筋合いもない」
同時に三成が今日一番の怖い顔で自分を睨んでいる。
貴様、告げ口したな、と。
「来い、仕事に戻れ」
三成が此方に手を伸ばしてくる。
ぐいっと体ごと引っ張られた。
「だーめ。また名無しさんをイジめるから駄目」
伸びてきた腕で捕らえられはしたが、実際には三成ではなく半兵衛の腕によって抱きすくめられていた。
恥ずかしさよりも驚きが先立って、何も言えなかった。
「あげないよ。俺が預かる。三成だけの名無しさんじゃないの。みんなの名無しさんなの」
「なっ……」
自分もだが、三成は『みんなの名無しさん』という言い方に引っ掛かったようで旨い返しが即座に浮かばない様子だ。
「じゃあねー」
半兵衛は早足で鮮やかにその場を離脱。
当然、肩を抱かれたままなので付いて行かざるを得なかった。
また振り返らなかったが、その場に残した三成は物凄く怒っていることだろう。
背中にはどす黒い負の感情が突き刺さってきて痛いままだ。
***
「ここには絶対入って来ない。
何故なら三成は俺のこと嫌いだからね」
結局、半兵衛の部屋に匿って貰うこととなった。
部屋の主、半兵衛はだらりと足をくずして座っている。
助けてくれてありがとうございますと言うのも変な気がして、ご迷惑をおかけしてすみませんと伝えた。
それより仕事を放棄したようなものだから気になる。
次回三成に会ったときにどうすればいいだろう、非常に気まずい。
「ねぇ、今、三成のこと考えてたでしょ」
「え!? いやそんなことは……」
この人は読心術が使えるのか。
隠し事が出来ない。
「別に心が読める訳じゃないよ。名無しさんを見てればわかるって」
顔に出てしまっているのか。
自分ではわからなかった。
「名無しさんはわかりやすいからね……って、名無しさん何してんの?」
「顔を隠せば心が読まれないかと思いまして」
今、自分は両手で顔を覆っている。
但し完全に遮らず、指の隙間から覗ける程度で。
背中を向けるのは憚られる、かといって真正面で対面するのは避けたいので斜め45度位の向きになってみた。
確かに奇っ怪な行動をとっているかもしれない。
「いやいや、言葉をそのまんま受け取り過ぎ。顔を隠せばバレないってもんじゃないんだから」
半兵衛が形のいい口を広げて、けらけらと笑っていた。
「ほんっと、名無しさんは面白い娘だね。久し振りに会ったから今思い出したよ」
――半兵衛と名無しさんは仕事で顔を合わせたことがあるが、半兵衛は実戦における軍略を練るのが主であり、名無しさんは内政的な事務仕事が多い為基本的には一緒になることは殆んどない。
「そんな君といつも一緒にいられて、離れてても気にかけて貰って、三成は幸せ者だね」
「え、いや、そうですかね」
なんと答えていいかわからず、曖昧な相槌を打ってしまった。
取り繕うべく、
「それより、私今日やることがない状態なので半兵衛様の御仕事手伝いましょうか」と提案したが、
「えー、いいって。折角名無しさんと一緒に居られるんだし今日はいいよ」
と、なんとも気の抜けた答えが返ってきた。
思い出してきた、そういえばこういう人だった。
「でも、何もしないでお世話になりっ放しっていう訳にもいきませんし。
私に出来ることなら何でもしますよ」
悠々と寛いでいた筈の半兵衛が突如口と瞳をぱっと開いた。
「わー! 駄目駄目!今のダメっ!」
慌てて警告してきた彼の急変っぷりに驚き、座ったまま後ずさる。
「名無しさん、何でもしますなんて男の前で絶対言っちゃ駄目だよ。勘違いされちゃうからね。何されても文句言えなくなっちゃうんだからね」
半兵衛が近づいてきて唇にそっと触れてくると人差し指を立て、しーっと囁いた。
やたらと距離が近過ぎるのが気になるが、言っていることはごもっともだ。
出来ることなら何でもします――は禁句だ。特に誘導尋問を得意とする策士の人種の前では絶対言ってはならない。
事実、これで自分は失敗したことがある。
「わかりました。言いません。御忠告にかん……んん……」
感謝しますと言おうとしたが阻まれた。
他ならぬ半兵衛の仕業だ。
両頬をつねられて……否、優しくつままれてしまっているのだ。
「で、早速名無しさんが言ってくれた『何でもします』使わせて貰ったよ。
触らせてね。名無しさんに触りたくなっちゃったんだ」
忠告をくれても、何でもしますの件は無効にはなっていないんだ。
つくづく自分は浅はかだった。
「やわらかい。もちもちすべすべだね。大福みたい」
御機嫌にほっぺたを弄んでくるこの人も策士の人種の一人だった。
してやられた感があって悔しい。
「……ふふ、そうですか。こういうこともあろうかと、日頃からお肌のお手入れをしておいて良かったです」
自分なりの精一杯の抵抗を口にした。
左右に引っ張られ残念な顔と化した今、この冗談には自虐と強がりが混じっている。
半兵衛は名無しさんの頬を弄るのを止め、両手でふんわりと頬を包み込むと、くすっと笑った。
「名無しさん、俺、今全部思い出したよ。
キミは面白いってだけじゃなく、すっごく可愛くて、すっごく魅力的だってこと」
「だーかーら、俺以外の男には、なんでもしますなんて言わないでね。こんなもんじゃ済まないよ」
半兵衛は更に顔を名無しさんに近付け、互いの頬同士が触れ合った瞬間にはっきりと呟いた。
「食べられちゃうんだから」
***
「名無しさんのほっぺたを触ったら、なんだか大福とか甘いものとか食べたくなってきた。俺、お茶とお菓子取ってくるよ」
「あ、それなら私が持って来ますよ」
言いながら自分から大福を連想されるのもなんだかなぁと思っていると、いいよいいよと半兵衛が被せてきた。
「名無しさんが出歩いたら三成に遭遇しちゃう恐れがあるでしょ。今日のところは俺に任せる」
「あー、そうです……よね。すみません、お手数ですがお願いします」
確かに三成に遭ってしまったら気まずいので、ここは甘えることにした。
「他にもちょっと用事があってさ。まぁ、くつろいで待っててね」
行ってきまーす、と足取り軽やかに出て行く半兵衛を見送った。
一人になるとほっとしたが、直ぐにどっと疲れが沸いてきた。
明日はどうしようか、どうなるか――案じてはみるものの、結局は自分でなんとかしなければいけないのだろう。
考えれば考えるほどに憂鬱になってくる。
まあ、なるようにしかならない。
疲れてお腹も減ってきたことだし、今は目先の楽しみであるお茶とお菓子を待とう。
***
「やあ三成」
半兵衛が訪れた先は三成の部屋だった。
三成は仕事の手を止め、不快さを露にしている。
「何です? がしゃがしゃと煩いんですが」
三成が半兵衛の持っている盆に目配せした。盆の上には茶器と山盛りの菓子が載せられている。
「あー、これね。経路的にこっちの準備が先のほうが効率良くってね」
「よく意味がわかりませんが、何か用ですか? 見ての通り俺は忙しい」
「名無しさんのことだよ。
オレ、今日一日はずっと一緒にいる。
でも名無しさんは早ければ明日にでもキミんとこに戻ると思う。あの娘、良い娘だから。
でさ、間違っても名無しさんを責めたり謝らせたりしないでよ。寧ろ、三成から名無しさんを迎えに行ってあげてよ。あ、でも今日はオレが名無しさんを独り占めするから、あくまで明日以降で宜しく」
「話が長いです。何であいつに関することまで貴方に指示されなければいけない。俺が決めることだ。あと、この際言うが貴方のやらなかった仕事が往々にして俺に下りてくる。非常に不愉快です」
「オレはもっと違う範疇でやるべきことがあるんだ。それにオレが仕事振ったお陰で名無しさんに手伝って貰えてさ、一緒にいられるじゃん。結果、得してるでしょ」
「怠慢の正当化だな。如何にも貴方らしい。
で、もう一度言うが、あいつをどう使うかは俺が決める。貴方の指図は受けない。
さあ、言いたいことが済んだのならさっさと帰って下さい。仕事の邪魔です」
三成は睨みを利かせて言い切ると、視界から半兵衛を外して仕事を再開する。
対する半兵衛も嫌な顔をせずはいはい、と受け流した。
「とにかく、名無しさんをイジめないでよってのを念押ししたかったの、そういうこと、じゃあね」
去り際に半兵衛があっと思い出した様子で急に振り返った。
「あ、そうだ!」
「なんです、まだ何か? 」
「三成もお菓子いる?」
半兵衛が盆に載った菓子の中から大福を手に取り、ほらほらと見せつける。
「要りません、早く消えて下さい」
「甘いもの嫌いじゃないクセに。素直じゃないんだから」
半兵衛は、じゃあね、と手を振ると早歩きで名無しさんの待つ自室へと帰っていった。
【jostle】
‐end‐