beguile

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立ち尽くしている自分へと三成は振り返り、微かな声でも聞こえるまでに距離を詰めてきた。


「説明は後程する――――」


早口で耳打ちされた言葉にかなり驚いたが、三成が少ない言葉で指示するときは多くを察しろという意味が込められている。だから聞き返すことはせずに黙って頷いた。


政宗のほうに向き直った三成の後ろ姿を見ると、この場を外した。




『beguile』―the second part―




廊下では使用人たちが忙しなく行き来していく。政宗に率いられて来た兵の為に寝食の用意が始まったからだ。
空いていた城内は俄かに賑やかさと慌ただしさを取り戻していた。


三成は政宗を連れ立って客間へと案内していた。政宗に充てられた部屋は二人でも持て余してしまう広さがあり、使用が全て豪華なのは言うまでもない。
その室内で三成は腕を組み神経質な面持ち、対する政宗は寝転ぶ無防備な姿勢。
何とも奇妙な構図である。


「……で、政宗。何が目的だ?
見ての通り今この城は最低限の守備しか残していない。その隙を突くとはやってくれるな」


「勘繰りすぎじゃ。
そばを通りかかったから立ち寄っただけで、あくまでも偶然よ」


「お前のことだ、この偶然をも必然に変えて城を乗っ取る気ではないか?」


「しつこい奴め、そんなに儂を悪者にしたいか」


胡散臭いとあからさまに顔に出す三成を政宗は嗤い飛ばした。


「まあ、好き勝手に想像するがよい。
しかし御主のその小煩い所……何処となくあやつに似てきたな」


「もしかして兼続のことを言っているのか?」


「そうじゃ。あやつは口を開けば今の御主のようにいちいち儂に楯突いて来る。気に食わぬ奴よ」


「俺と兼続を一緒の枠に収めるな、気に食わん。当の本人兼続は戦で出ていて今は居ないがな」


「そうか。その偶然は喜ばしいのう」


三成の冷ややかな態度に苛立つ風もなく、政宗は人を食ったような嗤い方をする。


「それより三成、あれは御主のか?」


「何の事だ?」


体を急に起こし、探るような目つきをする政宗に三成は不可解さを声色に込めた。


「儂が何を言いたいか分かっておるくせに。
先の一緒にいたあの娘の事じゃ。御主の妾か?」


「そんなものではない」


「何、では兼続のか?」


愉しそうに聞き返してくる政宗に三成は至極呆れた顔をして見せた。


「まずな、兼続とあいつの仲がどうであろうと俺は関心はない。
それよりも、俺はあいつを管理しているだけだ。勘違いも甚だしいな」


三成の返答は若干ずれたものだが、その断とした言い切り方に政宗はわざとらしく肩を竦めた。


「ほう、そうなのか。冷たい事を言うのじゃな。先はあんなに熱い目をあの娘に向けていたというのに」


「お前の偏見だ」


政宗はやれやれといった手振りをしてみせた。


「して、あの娘の名は何という?」


名無しさんだ」


「名前も可愛いんじゃな」


三成の眉が微かに動いた。


「そうか? それは大層な物好きだ。流石は伊達政宗だな」


「強がるな、三成。『管理』する程気に入りの名無しさんを他に晒すのが嫌なのであろう?御主が否と云えば、儂は潔く身を退くぞ」

政宗の挑発的な口調に三成は不機嫌そうに眼を細めた。


くどいぞ、つまらん気遣いはらん……政宗の好きにするがいい」


「そうか」


頷きながら政宗が浮かべた笑みは先程のとは違い、策略の色を帯びたものへと変わっていた。


「俺はあいつに話があるから少し時間を貰うがな。その後は……」


「勿論、儂の好きなようにやる」


「では望み通り直ぐに済ませてきてやる」


三成はそう言うと立ち上がり早足で部屋の出口へ向かった。


「三成、遠慮なくゆっくりとやってくるがいい。精々、堅くなりすぎて後悔せぬようにな」


後ろから政宗が意味深げな言葉で冷やかした。
が、三成はそれに応えることはしなかった。


***


そわそわとしつつも言われた通りに待っていた。


――説明は後程する、俺の部屋に行っていてくれ――


先の三成の言葉には耳を疑った。
正門近くで三成を見つけたときも内心ではあたふたとしていた。
が、第三者の登場という目眩く展開の御陰で、今朝のあれはひとまず解消された感じがする。
城内の非常事態かもしれないのに個人的に安心するとは不謹慎ではあるが――




襖が開いた音がした。

そこにいる三成は何故か何も言わず立ち尽くしたままだ。
黙ったまま自分へ向けられた視線に戸惑い、此方から声をかけるべきかどうか迷ったが、直ぐに三成は何事も無いように目の前へ座った。
三成の雰囲気から不思議さが拭い去れないと思いつつも話し始めるのを黙って見ていた。




「あいつは伊達政宗、独眼竜と称される男だ。お前も名前だけならば聞いたことあるだろう」


「ん……」


「傲岸、大胆、かつ不敵。そんな言葉が適当な奴だ。
何しろあの若さで家督を継いだ一国の主だ。
とはいえ、俺にしてみれば小生意気なガキとしか思えん」


そう吐き捨てる三成もどこか幼く感じられて、自然と口元が緩んでしまうのを堪えた。


「まあ、つい先話した限りでは此処で物騒な事をやらかすような妙な感じはしなかった」


三成はいつも通り強気な話し方だが、今日はそれが却って緊張しているように見えた。
政宗の来訪に張り詰めているのかもしれない。
だからと言って心配や気遣いの言葉を掛けようものなら機嫌を損ねる。
首を横に振って笑顔で返した。


「そっか。三成がそう言うなら大丈夫だね」


発言が安直過ぎたからか、三成の顔つきが揺らいだ。間の抜けた事を言う奴だと思われたか。


「俺は……お前みたいな呑気な奴の面倒を見てやる程甘くはないぞ」


思った通り、呆れたように三成に言われた。
隔たりが無くなったので気落ちはしないが。


「あ、あたしも政宗様にきちんと御挨拶に行かなきゃね」


「政宗は切れる奴だぞ。お前が普通に接しているつもりでもいつの間にか主導権を握られているだろうな」


「そう言われると構えちゃうな。緊張するかもなぁ」


「否、待て、お前くらい呑気な奴なら政宗の調子に嵌められた事にすら気が付かないな。
鈍さが逆に功を奏すだろう。天晴れな頭の造りで良かったな」


「あたしに結構酷いこと言ってるよね」


三成があまりに雄弁に言ってのけるから口を挟む余裕もなくぼそりと返してみた。
いつも散々な言われようだが三成を決して嫌いになれない。それどころか三成に嫌われたくない自分が確かにいる。
溜息を吐いて、ぼんやりと思い詰めていた。


「惚けている最中に悪いが、もうひとつ教えてやる。お前は……」


三成が何か言い終わらぬ内に自分の目線がぐらついた。


「隙がありすぎる」


見上げると三成の顔があって影になっていて、見下ろされている。
今やっと自分は押し倒されているのだと気が付いた。


「政宗はお前に興味があるそうだ」


三成が無表情に告げた。


「心構えだけはしておく必要があるぞ、それで困るのはお前だ」




三成の言葉数が少ないときほど、自分にとっては重要である事が多い。
だからそういうときは深くまで考えを巡らせなければいけないと思っている。


でも今は言われた意味が正直な所、半分も解らなかった。

自分の頭の後ろには三成の手が庇うように添えられていて、二人の体の色んな箇所が触れ合っている。

三成にとってはこれが造作無い事だとしても、自分の脳内では『優しさ』に変換しようと夢中になっていた。
だから三成の言葉の真意を読み取ろうとする意思も思考も追いついてはこなかった。


***


目的の部屋の前まで来ると、膝を折り、背筋を伸ばした。

姿勢を正して一呼吸つく。


「政宗様、いらっしゃいますか?私は名無しさんと申します。ご挨拶に上がりました」


呼び掛けると部屋の中から駆け足の音がしたかと思うといきなり障子が開いた。


名無しさん!待っておったぞ」


見上げた先には満面に笑む顔があった。


「あ、……あの初めまして」


「まず入るがよい」


政宗に促されるまま入った。


天井、壁、家具と上から下まで見渡し、こんな立派な客間がこの城にあったのかと感心していた。同時にこれだけの扱いを受ける政宗の立場に畏縮してしまう。思った通り、目のやり場に困って視線が一定しない。


名無しさん、そなたのほうから訪ねて来てくれて儂は凄く嬉しいのじゃ」


向かい合う政宗はさっき見たときとは違い、全身に纏っていた黒の具足を外し、品の良い軽装に変わっていた。


自分とは真反対に、政宗は堂々としていて、やたらと楽しそうに話を始めてくれた。

今日が初対面だというのにここまで親しげに接してくれるのは此方が気後れしないように気を遣ってくれているのかもしれない。

それよりも彼の外交を好む性格や場数をこなしてきた経験からいえば自分など、どうという事のない存在か。




名無しさん、出掛けたいのじゃが儂に付き合うてくれぬか?」


「え?私と……ですか?」


「晩までまだまだ時間があるしのう、偶にしか来れぬ地を散策したい。否、それよりも……」


政宗が自分の片手を包むと今までの高揚した声を抑えて囁きかけてきた。


「儂はそなたと二人きりで時間を過ごしたいのじゃ」


「え……っと」


触れて見つめてくる政宗の眼差しに明朗な少年っぽさはなくなっていた。色気の中に鋭気を含んだ逃れようの無いものだった。


「どうじゃ?儂とは……嫌か?」


包み込むだけだった政宗の手は、握り締めていた自分の手を自然と解きほぐし、指を絡め合わせていた。
どう返せばいいのか惑う自分を易易と解放してはくれないみたいだ。


「あの……」


追い込まれると自然と口は開いていた。


「嫌だなんて……とんでも無いです。私で良ければお連れになってください」


言ってしまった自分の大胆さに気づき、政宗の顔を見ていられなくなった。


「堪らぬな。そんなに可愛い事を言わせるつもりはなかったのじゃが。
思いがけず得をした気分よ」


政宗の撫でるような声色に照れが隠せない。


「では早速参ろう」


政宗に手を引かれるままに立ち上がり部屋を出た。


決して政宗の言動は強引ではない。
立場の上下を引き合いに抑圧された訳でもない。
それでも自分は政宗の誘いに応と答えた。
これがさっき三成が言っていた主導を取られ嵌められる、という事なのだろうか。

それに日中の街案内位ならば断る理由がない。
自然な流れだ――そう自分に言い聞かせた。

途上で女中達から黄色い歓声を浴びせられたのには参ったが。


***


政宗の愛馬で城下へと来た。

一人のときとは違い、異性である政宗と街に来ていることに特別さを感じる。


政宗の後ろに乗せて貰えるかと思いきや、前に乗れとの指示だった。

無理ですと言ったものの前に乗ってくれたほうが何かあっても助けやすく安全だと言いくるめられ、そういうものなのかと納得させられた。

その通り、乗り慣れていない自分は馬上の不安定さに幾度もふらつく。
その度に後ろから手綱を持つ政宗の腕が支えてくれる。
支えるというよりは抱きつくに近いので、いちいち恥ずかしい気持ちになる。


名無しさん、そなたは緊張し過ぎじゃ。もっと楽にすればよい」


「あ、ありがとうございます。でもやっぱり緊張してしまいます」


「馬の上はそんなに怖いか?」


「いえ、それよりも今日初めて会った政宗様にこんな風にご面倒をかけているのが恐れ多くて」


「そんな事は気にせずともよい。
儂にとっていつ出逢ったか、どれだけの時間を経たのかは関係ない。
現に今、儂はそなたとの距離を触れるまでに既に詰めておるだろう」


「政宗様っ……」


政宗の腕が少しきつくなるのを感じた。


「先も気づいていた。
確かに名無しさんと視線を交わした事を」


政宗が云いながら馬を止めた其処は自分が一人で立ち寄った茶屋だった。


「あ、私がさっき此処にいたのに気づいて……」


先に馬から降りた政宗が何も言わず頷きながら手を差し伸べてきた。
自然とその手を頼りに自分も地面へ足を着けた。


「まさか直後に立ち寄った城で再び逢えるとは思ってもいなかったがのう」


政宗に繋がれたままの手で店へと入り、椅子に並んで腰掛けた。


「儂も一人で出歩くのは嫌いではない。じゃが、連れ立って斯様な場所へ来るのは好きじゃ。
それが気に入った女とで二人きりとなれば尚の事な」




政宗は直情的で理解しやすい。

言葉と行動がちぐはぐではなく一貫性があって、若さというか少年のような真っ直ぐな匂いがする。


――しかし単にそれだけではなくて――

政宗は時偶、君主たる者が持つ余裕や気品、色気までも漂わせてくる。
政宗自身が意識的にそう振る舞っているのか定かではないが、様々な表情に魅せられ此方の心は大きく揺れる。


***


「申し訳御座いません。ご馳走様でした」


「誘ったのは儂じゃ、当たり前の事をしたまでよ」


茶屋での飲食代は政宗が全て払ってくれた。
一応、全力で拒否はしたつもりなのだが、政宗が甲斐性あってこそ男だと云うものだから結局は御言葉に甘えさせて貰った。


「政宗様、次はどちらに?」


問い掛けると政宗が指を差した。
その方角には林があり、なだらかな上り坂から小山になっている地形である。


「あそこからならば城下を一望できそうじゃ。さあ名無しさん、今一度付き合うてくれ」


再び馬に乗り、目的地へと走った。


町へ出る道と比べ、路面状況が悪くなっていく。先は政宗と密着する事が気になって仕様がなかったが、今はそれを考えられない程、姿勢を保つのに必死である。
強い揺れがある度に後ろから政宗が気遣いの言葉をかけてくれる。
蹄の音で長い言葉での会話は儘ならないものの、大丈夫と声を張って返していた。




「絶景じゃな」


「はい」


下方の風景を二人で見やる。

商工業区だけではなく、農耕地までも見え、視界には国土のすべてが映る。
自分の生きる地の広大さを改めて実感する。
「これ」を統治する所に自らが関わっているなんて恐れ多くもある。


同時に三成と兼続が思い浮かんだ。


今、三成は政と自衛を担い、兼続は繁栄と存続の為に戦へと出立している。
お世辞抜きで彼らは偉大なのだ。
国に無くてはならない存在だ。
彼らは、只々多忙なだけでなく修羅場を掻い潜る事も多い。
その引き替えに数少ない私的な時間の中では何不自由無い絶対的な権限を約束されている。


――だからあたしは二人のこと……






「良い国ではないか」


笑いながら発した政宗の言葉に我に返る。


「あ、あの政宗様、大変失礼な事とは思うんですけど、その……」


何を言おうとしてるのか、と政宗は不思議そうな様子だ。


「現在我が国は外部の脅威に対し守勢を保つ必要があって。だから今回は、どうか……見逃してはいただけませんか?」


隻眼がはっきりと驚きの動きを見せた。


「私が言っていい立場ではないのは解っているのですが……」


なぜか政宗がくくっと笑い始めた。


「政宗様?」


「済まぬな、ただの一言がそんな風に受け取られたのが可笑しくてのう」


なかなか笑いが収まりきらないように片手で口を覆いながら政宗が言った。


「儂は国盗り目的で来た訳ではない。安心するがよい」


「そ、そうですか……ご無礼申し訳ございません」


「攻め取ろうにも今回は戦力的には不十分じゃからな」


「えっ!?」


「冗談じゃ!」


「もう、政宗様が真顔で仰るから本気にしちゃうじゃないですか」


少しむっとした表情をしてはみたが、政宗の整った笑顔に内心見惚れていた


「国は要らぬが別に欲しいものが出来た」


そう言った政宗が瞬間、不敵な顔つきに戻った。僅かな間に政宗の顔が近づき、離れていった。


名無しさん、儂はそなたが欲しい」






今日初めて会ったけれど、この人は嘘は吐かない――そう思う。

言葉には出ていない思索計略の部分は山程あるのだろうけど。

少なくとも自分に対してはからりとした正直さを感じられたから――




「今度は本気じゃ」




政宗の顔がもう一度近づく。
先よりも長く長く、離れることなく。




『beguile』―the second part―

―End―
 
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