beguile
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所謂、非番の日だ。
起きるのも普段よりやや遅めだった。
たまに外出しようと思い、鏡台の前で支度をしていた。
気分を変えたかった。
この何ヶ月かの間で色々な事がありすぎたから。
『beguile』―the first part―
遠征で城内の兵は半数強が出払っている状態なので、静まり返っている。
鏡に映る自分は、あの曰く付きの着物に袖を通している。
返し損ね、結局はずっと手元に置いたままにしていた。
事情が事情だから自ら進んで着ることは一度もなかったが、贈り主である彼は今はいない。
本当に彼の事を拒むのならば、目の前にいる自分は有り得ない。
首筋を映すと、其処には少し色は薄れているものの確かに証跡が残っている。
いずれも優柔不断な自分を縛るには充分過ぎる。
居なくなり、少しか気持ちが落ち着くと思っていたが、彼が残していった計略の所為で以前よりも強く常に意識をさせられている。
自分だけ暇を貰っていいものかと、念の為、三成の居室を訪ねた。
入ってすぐの仕事間にはいなかった。
敷居を跨いでそっと部屋へ入り、もう一つの寝処へと続く襖を叩いてみたが反応はない。
何を思ったのだろうか、恐る恐る手を掛けほんの少し隙間を作り、中の様子を窺った。
端からすれば覗き見するような格好。
結局、やはり其処には誰もいなかった。
色々な意味で誰も居ないことに安心し、胸を撫で下ろした。
何故こんな事をしているのか。
何故こんな気持ちになるのか。
三成に抱かれた後、追いかけるようにこの部屋まで来た自分が思い出される。
あの時だって、三成は自分の手の届く所にいて欲しいと望んでいたから……
「何をやっている?」
「!?、三成…」
此の場にすっかり座り込んでいた自分を背後から咎めてきたのはこの部屋の主だった。
「お前の行動は理解しかねるな。俺の部屋でこそこそと。泥棒の真似事までするようになったか?」
「違うよ、三成。
あたしは只、三成が忙しそうなのに自分だけ暇を貰うのはどうかなって思って。それで」
「お前に情けをかけられる程、俺は不自由していない」
慣れない着物の端を握りながら言い訳を続けようと思ったが口を噤んだ。寝室を覗いている所を見られていたと思うと途端に恥ずかしさが込み上げて来たのだ。
「……だよね。じゃあ」
これ以上は控えるのが賢明だし、三成からの倍返しを聞き流す自信も今はない。
三成の横を手早くすり抜けると部屋を出た。
三成が解らない。
二人の間で色々とあったのは確かなのに。
でも、先のような態度を取られると、三成は自分にはこれっぽっちも興味なんて無いんじゃないかと思ってしまう。
三成の口から出る言葉が、指先で触れる仕草が、時々であまりに温度差がありすぎて、自分の心は法則性無く浮き沈みを繰り返すばかりだ。
――何かを期待している……?
そんな思いを抱えながら、城下へと出るため正門へと歩いて行った。
***
城敷地から出た正面には中心通りが伸びていて、様々な種類の店の暖簾や幟が通りの左右を敷き詰めている。
ゆっくりと歩きながらも、装飾品や小袖を扱う店に自然と足が向かっていくのは否めない。
町中に来ると、まるで違う世界に来たような感覚になる。
経済的にも物質的にも多くを与えられている――解っていても、此方側の世界を羨んでしまう。
城に入らなければ、こんなに色々と余計な考えが湧いて来なかったかもしれない。
「今お召しになっているほうがずっと良いものですのに、姫様はこんな店にまでお忍びでいらしてくださったのですか?」
売り子が僅かに恐縮しながらも気持ちのいい声で微笑みかけてきた。
「あ、いいえ。あたしは……」
そんな身分とは違う、と返そうとしたが途中で止めた。分不相応な呼ばれ方なのだが、今のこの格好で言い訳しても話がすんなり進まない気がして適当な相槌を打った。
***
2つ隣に茶屋があったので休憩がてら寄ることにした。
軒下に長椅子がならべてあり、戸外で飲食するような形式である。
茶と菓子を注文し、腰掛けた。
ついさっき、指摘されて改めて思った。
兼続から贈られたのが高価な品であるという事を。
考える程に今の自分の身なりがひどく落ち着かなく感じてくる。
あまりに深い関わり合いを兼続と、そして三成と持ってしまった。
その関わり合いは彼らからほぼ一方的に与えられたものだったが、されるだけの価値なんて自分には無い筈だ。
其れこそ、自分が普通で平凡だから。
なのに見た目にも中身にもそぐわないモノが与えられ戸惑うばかりだ。
兼続も三成もほんの戯れ事の対象として自分を選んだのだろうから、真剣に考える必要なんてないのだけれど。
通りを背にして座っているのだが、何やら周辺の店員、客を問わずざわめき始めている。
丁度、店員が注文の品を持って来たので、何かあったのかと聞いてみた。
「何かお侍さんの行列が来たみたいですよ」
言いながら店員が軒下から大通りのほうへと見に行っていた。
自分も通りが見えるように体の向きをくるりと変えた。今は通りからすっかりと人が捌けているのが直ぐ分かった。
「あ、もう先頭は六、七軒先に来てますよ」
戦旗を持った兵、軍馬に乗った将が先頭にいて、ある程度の歩兵がその後に続いている。
その先発隊に守られるように続いているのが殿軍のようだ。
歩兵の高さからひときわ目を引く一人がいた。
全身を黒の具足で固め、兜には金箔で押された巨大な弦月の前立てがあしらわれている。
跨る馬は茶というよりは赤に近い毛色で、千里をも駆けるという形容が相応しい。
大将は彼だと一目で見て取れた。
――……?
逆光と兜の所為で顔は見えないが、視線を交わしたように感じられたのは思い過ごしだろうか。
それよりも行軍が城のほうへと向かっているのが気に懸かる。
今日、城内会談や約定事があっただろうか。
自分の知り得る範囲では何も無い筈だ。
三成からも何も聞かされてはいない。
『お前に情けをかけられる程、俺は不自由していない』
――否、何か大事があろうと自分になんて知らせる必要はないと三成は考えているかもしれない。
それに、外交的な行為に自分がどうこう出来る立場でないのは重々承知している。
でも、三成は多くの将兵が出払い城内外の守備が稀薄ともいえるこの状況下で、実質城主に等しい地位にある。
どこか心許ない気になってきた。
列の最後尾が目の前を通り過ぎたのを確認して、腰を上げた。
代金を渡し、茶屋を出た。
大通りから一本逸れた別の道を選び、足早に城の方へと戻った。
***
城まで辿り着くと、正門を避けて側面へ回り込んだ。
内的にしか知られていない勝手口のような所から敷地内へ入った。
三成はどこに居るのか。
案の定、正門方向へと廊を進んでいくと直ぐに彼の姿を見つけることが出来た。
向こうも此方に気付いたようだ。
また素っ気ない態度を返されるのではと、やや躊躇われたが、三成へと近づいた。
「三成、あの、今日何かあるの?」
門の方向へ視線を送りながら言葉少なく聞いてみた。
「……ああ、客が来た」
三成は何故か苦々しい微妙な加減で笑った。
「とことん間が悪い」
誰に話すでもなく、三成がそう呟いたのと同時に門が開く軋む音がした。
金属音が交じった足音が段々と近づいてくる。
三成は門の方向へ向き直り、城内へ入って来たその人物と対峙した。
三成の背中越しに正面に捉えたその人物には覚えがあった。最もそれはつい先程の事ではあるが。
「とりあえず聞く。何をしに来た?」
「相変わらずな物言いじゃな、三成。
客人に対してもっと気の利いた言葉が遣えぬのか」
黒色の鎧を身に纏った外観は記憶に真新しい。
先は見えなかった表情は豪勢な兜を脱いでいる為に今ははっきりと見える。
「お前こそ、いちいち小生意気な所は変わらんな」
微かに張り詰めた空気を感じさせながらも顔見知りのようである二人の遣り取りを只々黙って見ていた。
「遠路遙々、よく来たな、政宗」
『beguile』―the first part―
起きるのも普段よりやや遅めだった。
たまに外出しようと思い、鏡台の前で支度をしていた。
気分を変えたかった。
この何ヶ月かの間で色々な事がありすぎたから。
『beguile』―the first part―
遠征で城内の兵は半数強が出払っている状態なので、静まり返っている。
鏡に映る自分は、あの曰く付きの着物に袖を通している。
返し損ね、結局はずっと手元に置いたままにしていた。
事情が事情だから自ら進んで着ることは一度もなかったが、贈り主である彼は今はいない。
本当に彼の事を拒むのならば、目の前にいる自分は有り得ない。
首筋を映すと、其処には少し色は薄れているものの確かに証跡が残っている。
いずれも優柔不断な自分を縛るには充分過ぎる。
居なくなり、少しか気持ちが落ち着くと思っていたが、彼が残していった計略の所為で以前よりも強く常に意識をさせられている。
自分だけ暇を貰っていいものかと、念の為、三成の居室を訪ねた。
入ってすぐの仕事間にはいなかった。
敷居を跨いでそっと部屋へ入り、もう一つの寝処へと続く襖を叩いてみたが反応はない。
何を思ったのだろうか、恐る恐る手を掛けほんの少し隙間を作り、中の様子を窺った。
端からすれば覗き見するような格好。
結局、やはり其処には誰もいなかった。
色々な意味で誰も居ないことに安心し、胸を撫で下ろした。
何故こんな事をしているのか。
何故こんな気持ちになるのか。
三成に抱かれた後、追いかけるようにこの部屋まで来た自分が思い出される。
あの時だって、三成は自分の手の届く所にいて欲しいと望んでいたから……
「何をやっている?」
「!?、三成…」
此の場にすっかり座り込んでいた自分を背後から咎めてきたのはこの部屋の主だった。
「お前の行動は理解しかねるな。俺の部屋でこそこそと。泥棒の真似事までするようになったか?」
「違うよ、三成。
あたしは只、三成が忙しそうなのに自分だけ暇を貰うのはどうかなって思って。それで」
「お前に情けをかけられる程、俺は不自由していない」
慣れない着物の端を握りながら言い訳を続けようと思ったが口を噤んだ。寝室を覗いている所を見られていたと思うと途端に恥ずかしさが込み上げて来たのだ。
「……だよね。じゃあ」
これ以上は控えるのが賢明だし、三成からの倍返しを聞き流す自信も今はない。
三成の横を手早くすり抜けると部屋を出た。
三成が解らない。
二人の間で色々とあったのは確かなのに。
でも、先のような態度を取られると、三成は自分にはこれっぽっちも興味なんて無いんじゃないかと思ってしまう。
三成の口から出る言葉が、指先で触れる仕草が、時々であまりに温度差がありすぎて、自分の心は法則性無く浮き沈みを繰り返すばかりだ。
――何かを期待している……?
そんな思いを抱えながら、城下へと出るため正門へと歩いて行った。
***
城敷地から出た正面には中心通りが伸びていて、様々な種類の店の暖簾や幟が通りの左右を敷き詰めている。
ゆっくりと歩きながらも、装飾品や小袖を扱う店に自然と足が向かっていくのは否めない。
町中に来ると、まるで違う世界に来たような感覚になる。
経済的にも物質的にも多くを与えられている――解っていても、此方側の世界を羨んでしまう。
城に入らなければ、こんなに色々と余計な考えが湧いて来なかったかもしれない。
「今お召しになっているほうがずっと良いものですのに、姫様はこんな店にまでお忍びでいらしてくださったのですか?」
売り子が僅かに恐縮しながらも気持ちのいい声で微笑みかけてきた。
「あ、いいえ。あたしは……」
そんな身分とは違う、と返そうとしたが途中で止めた。分不相応な呼ばれ方なのだが、今のこの格好で言い訳しても話がすんなり進まない気がして適当な相槌を打った。
***
2つ隣に茶屋があったので休憩がてら寄ることにした。
軒下に長椅子がならべてあり、戸外で飲食するような形式である。
茶と菓子を注文し、腰掛けた。
ついさっき、指摘されて改めて思った。
兼続から贈られたのが高価な品であるという事を。
考える程に今の自分の身なりがひどく落ち着かなく感じてくる。
あまりに深い関わり合いを兼続と、そして三成と持ってしまった。
その関わり合いは彼らからほぼ一方的に与えられたものだったが、されるだけの価値なんて自分には無い筈だ。
其れこそ、自分が普通で平凡だから。
なのに見た目にも中身にもそぐわないモノが与えられ戸惑うばかりだ。
兼続も三成もほんの戯れ事の対象として自分を選んだのだろうから、真剣に考える必要なんてないのだけれど。
通りを背にして座っているのだが、何やら周辺の店員、客を問わずざわめき始めている。
丁度、店員が注文の品を持って来たので、何かあったのかと聞いてみた。
「何かお侍さんの行列が来たみたいですよ」
言いながら店員が軒下から大通りのほうへと見に行っていた。
自分も通りが見えるように体の向きをくるりと変えた。今は通りからすっかりと人が捌けているのが直ぐ分かった。
「あ、もう先頭は六、七軒先に来てますよ」
戦旗を持った兵、軍馬に乗った将が先頭にいて、ある程度の歩兵がその後に続いている。
その先発隊に守られるように続いているのが殿軍のようだ。
歩兵の高さからひときわ目を引く一人がいた。
全身を黒の具足で固め、兜には金箔で押された巨大な弦月の前立てがあしらわれている。
跨る馬は茶というよりは赤に近い毛色で、千里をも駆けるという形容が相応しい。
大将は彼だと一目で見て取れた。
――……?
逆光と兜の所為で顔は見えないが、視線を交わしたように感じられたのは思い過ごしだろうか。
それよりも行軍が城のほうへと向かっているのが気に懸かる。
今日、城内会談や約定事があっただろうか。
自分の知り得る範囲では何も無い筈だ。
三成からも何も聞かされてはいない。
『お前に情けをかけられる程、俺は不自由していない』
――否、何か大事があろうと自分になんて知らせる必要はないと三成は考えているかもしれない。
それに、外交的な行為に自分がどうこう出来る立場でないのは重々承知している。
でも、三成は多くの将兵が出払い城内外の守備が稀薄ともいえるこの状況下で、実質城主に等しい地位にある。
どこか心許ない気になってきた。
列の最後尾が目の前を通り過ぎたのを確認して、腰を上げた。
代金を渡し、茶屋を出た。
大通りから一本逸れた別の道を選び、足早に城の方へと戻った。
***
城まで辿り着くと、正門を避けて側面へ回り込んだ。
内的にしか知られていない勝手口のような所から敷地内へ入った。
三成はどこに居るのか。
案の定、正門方向へと廊を進んでいくと直ぐに彼の姿を見つけることが出来た。
向こうも此方に気付いたようだ。
また素っ気ない態度を返されるのではと、やや躊躇われたが、三成へと近づいた。
「三成、あの、今日何かあるの?」
門の方向へ視線を送りながら言葉少なく聞いてみた。
「……ああ、客が来た」
三成は何故か苦々しい微妙な加減で笑った。
「とことん間が悪い」
誰に話すでもなく、三成がそう呟いたのと同時に門が開く軋む音がした。
金属音が交じった足音が段々と近づいてくる。
三成は門の方向へ向き直り、城内へ入って来たその人物と対峙した。
三成の背中越しに正面に捉えたその人物には覚えがあった。最もそれはつい先程の事ではあるが。
「とりあえず聞く。何をしに来た?」
「相変わらずな物言いじゃな、三成。
客人に対してもっと気の利いた言葉が遣えぬのか」
黒色の鎧を身に纏った外観は記憶に真新しい。
先は見えなかった表情は豪勢な兜を脱いでいる為に今ははっきりと見える。
「お前こそ、いちいち小生意気な所は変わらんな」
微かに張り詰めた空気を感じさせながらも顔見知りのようである二人の遣り取りを只々黙って見ていた。
「遠路遙々、よく来たな、政宗」
『beguile』―the first part―