第一話
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「この国の行く末なんて、今から死ぬ人には無用な心配ですよ」
それは、私の目の前で起きた、ほんの数秒の間の出来事だった。
私と同じくらいの歳の青年が、要人が乗っているであろう馬車を襲撃した。
不思議なことに、その青年が馬車を追う姿も、待ち構えている姿も見えないまま、突如として馬車の扉を開ける姿だけが私の目の前に出現したのだ。
私はちょうど、道の向こう側に渡りたかったところを、馬車の駆けてくる音がした為、立ち止まってその馬車が過ぎ去るのをじっと見つめて待っていた。
なので私は、この目でしっかりと、見てはいけないものを見てしまったと自覚していた。
「あれぇ、今の、見ちゃいました?」
背後から透き通るような綺麗な声がした。
低くはなく高過ぎもせず、しっかりと大人びているにも関わらず、その話し方には、どこか少年のようなあどけない印象を受けた。
けれどそれとは裏腹に、その言葉の意味は呼吸もままならない程重く、そして今目の前で起きた出来事を、やはり見てはいけなかったのだと再認識させられる、現実味を帯びた生暖かなひと声だった。
私は、足先から頭のてっぺんまで、こんなにも自分の体が小刻みに震えることを生まれて初めて知った。
けれど、この問いかけに応えなければ、自分の身に何かが起こる。
そう察知し、硬直した体を無理やり振り返らせ、その声のした方におそるおそる視線を向けた。
予想は的中し、その声の主が先程の馬車を襲撃した青年のものであることに、死を覚悟しなければならないと、自らを説得しようと精一杯だった。
その反動で、思わず生唾をごくりと飲み込む。
身体中を凍えるような寒気が襲い、全身の毛穴が逆立つ感覚を覚えた。
「まあ、こんな白昼堂々暗殺だなんて、誰にも見られずに上手く行くほうがおかしな話です」
その青年の表情は、信じられないほど穏やかなうえ、なんと私に微笑みかけている。
本当にたった今、人を殺めた人の顔なのだろうか。
本当は私の見間違いで、この青年は、馬車を襲撃した青年とは別人なのではないのだろうか。
そう疑ってしまうほど、美しい笑顔だった。
「私を、殺すの…?」
まさか今日、死を覚悟しなければならない状況に陥るだなんて思いもしなかった。
こんな窮地に何が頭を過ぎったかと思えば、昨日の晩に牛鍋を我慢したことや、今流行りのかすていら、商店街の美味しいお饅頭、もっともっと食べておけば良かったなあ、なんて食べ物のことばかり。
他に大切なことはなかったのか。呆れるほど惨めな死に方だなあ。走馬灯なんてものは迷信だったのかな。
くるくるくるくる、頭の中で独り言が止まらない。
まぁそもそも、私の人生なんて、あの時終わっていたようなものだから。
もう、なんか、どうでもいいや。
なんだか可笑しくなってきて、気付けば大粒の涙を流しながら、笑っていた。
「僕は大久保利通を暗殺しろとしか命令を受けていないので、安心してください。
あなたの命をとったりなんて、しませんから」
言葉は出ず、口だけがぽかんとまあるくなり、目玉が飛び出そうなほど大きく瞼が上下に開く。
青年は相変わらずの笑顔で、私に一筋の光を差し伸べてくれた。
死なずに済む、死なずに済む。安堵のせいか体が一気に軽くなっていた。
それでも、彼に対する恐怖は変わらずにあった。
先程の目の前で繰り広げられた惨劇は、すべて彼がやったこと。それは紛れもない事実。
「そんなことより、よかったらこの後一緒にお茶でもどうです?お腹空いちゃったし、なんだかこんなことだけして帰るのも勿体無いなあ、なんて」
”そんなこと”や”こんなこと”であっさりと片付けてしまえるようなことではないと思うのだけれど、こう笑顔でさらっと言われてしまうと、なんだか自分だけが大袈裟で、過大に受け止めることでもなかったような、可笑しな感覚に陥ってしまう。
彼がニコッと微笑むと流れるこの和やかな空気は、不思議と居心地が良かった。
「それなら、この近くにおいしい甘味処がありますけど、行きます…?」
「いいですねぇ。僕ちょうど甘いものが食べたかったんですよ」
これで良いのか、良くないのか、葛藤している間に会話は進み、私はこの可愛らしい笑顔の裏に、人殺しの顔を持つ青年と共に、東京の街をぶらりと回って行った。
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