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頓挫したアリスモチーフ

 アリスが気にかける宰相はどうしているのだろう。

 時は少し前まで遡り、場所は深き緑の森からトランプの国中央に聳え建つ、赤き権力者の城へと移る。両端に丸みを帯びた大きな塔が建つ城は、上から見ると、ハートの形によく似ていた。
 扉の屋敷で、指定通りの鍵と扉を見つけたウイユは、無事に女王陛下の住む城へと移動していた。城の内装は様々な調子の赤とハートの模様が使われている。開いていた議会室の扉も緋色で、細工を凝らした装飾がなされていた。
 扉の両側に立つ蛙の従者が、こちらに手を振っている。ひょろ長い黄緑や薄緑の体に白いシャツ、赤のベスト。黒のスラックスと、同色の蝶ネクタイのカラーリングがトランプの国に仕えているのだと主張する。見た目の毒々しさとは裏腹に、ウイユにとって彼らは心優しい友人達だ。
「ま、間に合いました……?」
「ぎりぎりですね」
「そろそろ陛下がお着きになります、早く中に」
「有り難うございます」
 その言葉と開いている扉から、集合を命じた本人はまだいないようだった。彼は胸をなで下ろし、既に着席して和やかに談笑しているハートの大臣達に挨拶をしながら席へ着く。声をかける彼らとも穏やかに話しながら内ポケットに仕舞っていた手帳と封筒を並べ終えた。その時、さっきと同じ蛙が発したとは思えない高らかな声が響きわたった。
「女王陛下のおなぁーりぃーっ!!」
 室内に冷たい緊張感が広がる。全員の顔から笑顔が消え、引き締まった面もちで起立し、開かれた扉の先を向く。静かな廊下から室内へ。鋭いヒール音が近づいてくる。
 3人の従者と一人の兵士を連れて、トランプの国の最高権力者のハートの女王であるガーネット・ヘルツは現れた。濃く深い赤髪の上でルビーをあしらったティアラが輝き、均整のとれた体に纏う白と黒と赤で構成されたドレス。レースとフリルの甘さだけでなく、白いデコルテが妖艶さも引き立たたせている。手にする短めの杖には大輪の薔薇に女王と同じ名の宝石を、首元を飾るネックレスには赤や黒の貴石をあしらっていた。身に付けているもの全てが特別製で、見事なものばかりだ。
 だが鼻筋の通った顔に並ぶ、鮮やかで燃えるような真紅の目に比べれば、全て色褪せて見えた。荘厳な内装に負けない瞳が、非情と残忍と、誰かの血の色で出来ていることを国民全員が知っていた。
 女王はドレスの裾を従者に持たせ、ゆっくりと上座の一番豪華な議席に座り杖を軽く挙げる。それを合図に、起立していた役人達は一礼し着席した。
「これから定例会を始める。最初に法務大臣から報告を始めよ」
 女王の一言から、各大臣が部署の効率や現状をまとめてきたものを読み上げ始めた。
 トランプの国で月に2度行われる定例会。月初めに行われるこの会議は先月分の現状報告から始まる。ここで出てきた問題に対し、方針や法の制定などを大臣、宰相、女王自らが立案し、2回目の議題となる。細やかな会議はこれより頻繁に行われているが、国家を動かす者達が一同に集結するのはこの議会以外にない。
 伝えられる報告は普段と変わりない、治安も予算も安定しているという平穏なものばかりだ。但し、ウイユと隣に座る国土大臣だけは唇を真一文字に結び、今にも口から飛び出しそうなほど脈打つ心臓を必死で押さえつけていた。
「ご苦労であった。次、国土大臣」
「は、はいっ!」
「妾が一番楽しみにしておるのは、そなたと宰相の報告じゃ……領地の状態を報告せよ」
「は、はい! 現在は場所の転移はあるものの、安定した状態にありますが……」
 蛙の従者達が彼から紙を受け取り、女王に渡す。目を通すと、紅で縁取られた形のいい唇が弧を描いた。
「本日、西の地区の一つが我々のものになりました。これで鏡の旗は西の地区から消えたことになります」
「よい、よい傾向じゃ。このままゲームの進行は怠るでないぞ。土地が全てなくなるまでゲームは終わらぬからな」
 皆から惜しみのない拍手が大臣に送られ、彼は小さく頭を下げる。着席すると、既にガーネットの視線は次の報告者に向けられていた。
「さて宰相、無駄な抵抗を続ける輩はどうなっておる? 今回の条件は妾としても譲歩に譲歩を重ね、最善を尽くしたものだと考えておるが」
 女王が今もっとも気に留める領地争いの現状は、国土大臣と宰相の管理に置かれている。ウイユはこの国の宰相だが、国と法を動かしているのは実質女王だ。ガーネットが基本的な治安と政治のほとんどを治め、領地の話し合いや奪い合いを二人とその部下が受け持っていた。
 分けるとすれば、今ある領地を守り、捕られた土地を奪い返すのは国土大臣の管轄で、交渉ごとはウイユの管轄だ。此処一番の領地問題や対応には、宰相の立場が必要だった。
 現在任されている問題の中でも、一番重要であり厄介な仕事が未だ女王に反発している、帽子屋を筆頭とした森に住む住民の一派との取引であった。彼らとの交渉はもう随分続いてる。しかし彼らが関わっている土地は一向に両国の手に入らない。
 どう根回しをし、案を張り巡らせようしても、用意した承諾書は白紙のままで返された。協議には応じてくれており、門前払いをされないのが唯一の救いだろう。
 国土大臣の報告がガーネットを高揚させている今、談合を報告するのは恐ろしかったが、話さずに言い訳をするのも同じような結果が待っているのだろう。ウイユは躊躇いながらも立ち上がり、ひとつ咳払いをした。
「我が国からは土地の価値に見合った補償金を提示していますが……今回は爵位の進呈と、さらに特別国民としての特別優遇を保証しています。ですが」
「が?」
「ですが、彼らの返答は同じです。“条件がどれだけ良くなろうとも、我々は首を動かさない”と」
「何故じゃ!」
 女王は大声を上げ、握り拳で肘掛けを強く叩きつけた。大臣達は微かに息を詰まらせ、肩を竦ませる。傍にいる従者達の中には涙目の者もいた。ウイユも逃げ出したい衝動に駆られたが気力を振り絞り、宰相として報告の義務だけは全うしようと両足に力を入れた。
 女王にとって怯える周囲など見慣れた光景であり、気にも止めず言葉を荒げる。
「何故じゃ、何故じゃ何故じゃ何故じゃ!! 森はそもそも国の、妾の領地。妾の土地であるべきものが何故、何故手に入らない!」
「帽子屋の意見は変わりませんでした。“この国、世界の所有者は女王陛下ではなく、彼女ーー」
「黙れ!!」
 ガーネットが杖を振るうと先から伸縮性の縄が素早く伸び、床を鋭く打ちつけた。空気を唸らせた鞭はそのまま微動にせず、周囲もまた、一切動かなかった。
 空気を張りつめさせる女王に、誰も反することの出来ない存在なのはこの癇癪がおおかた原因だと言えるだろう。気に入らないこと等で感情が悪いほうに高ぶると、杖を改造した鞭ですぐ物や人に当たり散らした。
 今回の床への八つ当たりはまだ優しい。従者の滑らかな緑の肌に、蚯蚓腫れを作る光景は何度も見てきた。
「ただの帽子屋ごときが頭に乗りおって、まだ刃向かうか。貴様等なぞ妾のトランプの汚れにもならぬというのに、使いを出すだけ有り難いと思うがよい。次こそは、次こそは……!」
 ガーネットは床に視線を固定し、苛々と呟いているものの再び鞭を振り上げようとはしなかった。
 ウイユからの報告はこれで終わりだ。小さく早口で「こちらからは以上です」と言い、静かに着席する。あとは女王直々の解散宣言とともに、議会は終わるはずだった。
 しかし、何か思い出したガーネットが顔を上げ、ウイユに赤い瞳を向けた。
「そうじゃ、宰相。そなたに向かわせたクラブ達はどうなっておる」

 平穏を取り戻したウイユの心臓が、口から飛び出しそうなほど跳ね上がった。
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