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頓挫したアリスモチーフ

 ポケットに突っ込んでおいた茸の欠片を少しずつ含みながら、アリスは森を走った。縮んでいく雑草も、近くなる緑の枝葉も見慣れたが、山ほど言いたいことがある。
 もうなんだこの世界は。物騒な奴か、変態しかいないのか。最初に会ったウイユは見た目こそ変わっていたが、至極まともで話も通じていた。二人で話していた頃がもう遙か昔のことに思える。
 さっきから走ってばかりいる足はそろそろ限界を迎えていた。サイズも元に戻った彼女は近くの幹に背を預け、ずるずると腰を下ろした。
 人ひとり捜すのに、変わった人ばかりに出会う。途方に暮れた彼女の口から絶望感と疲労を混ぜたため息がこぼれた。
 その時、声が上から降ってきた。

「困ってるのかい、アリス」

 アリスが顔を上げると、黒紫の猫耳と尻尾を生やした人物がにやにやと笑っている。太い一本枝に体を器用に預けて優雅に寝そべり彼女を見下ろしていた。
 投げかけられた自分の名前に思わず反応してしまったが、何故この怪しい相手は初対面の少女を知っているのだろうか。視線は動かさず、アリスは身を強ばらせつつその真下から離れた。枝の上の人物は笑顔を絶やさない。
「私を、知っているんですか?」
「知ってるも何も簡単さ、此処じゃ見たことのない人はアリスだからね」
 緩やかで綿のように柔らかい、まさしく猫なで声だ。問いかける顔に張り付けてある笑みには親しさもあるが、心の内が読めない不気味な仮面にもとれた。
 これまでほとんど名乗らずに物事を済ましてきたが、最初から何かの事情知っている人物ならしょうがない。アリスは腹をくくり、全てを認めた。認めて声と口調を硬くする彼女へ、肩の力を抜くようにアリスを知る誰かは言った。
「緊張しなくても、捕まえようとか思ってないからさ。大丈夫」
「なら、貴方にも名乗ってほしいわ。私だけ知られているのは不公平よ」
「そうだね、僕はラッヘン・チェシャー。改めてこんにちは、アリス」
 口元の笑みを絶やさずにラッヘンは猫らしくしなやかに体を伸ばして、地面へと降りた。そして彼女の顔をじろじろと見て、「案外可愛いね」と握手を求めてきた。笑みを湛えたままの表情はやはり本心かどうか分からない。アリスも他所行き用の笑顔を貼り付けて「よく言われるわ」と、握手に応じた。
 これまでの出来事に初対面の相手にはまず疑いを持つことにしていたアリス。この猫が降りてきても一切危害を加える気がなさそうなことに内心安堵していた。これ以上追いかけられても逃げきれる自信が無かったのと、普通に会話が出来そうな相手に会えたのが嬉かったのだ。
 やっとウイユのことを尋ねられるいい機会だ。
「えっと……チェシャー」
「ラッヘンでいいよ」
「ラッヘン、いきなりだけど人を捜しているの。黒いウサ耳と緑の目をした男子なんだけど」
「ああ、宰相さんは見てないよ」
「そう…………え? 宰相って、彼が!?」
 軽いラッヘンの答えに驚いた。女王陛下と関係ある以上、一般人ではないと感じていたがまさか自分と同じ位の少年が宰相をしているとは。
 猫には予想通りの反応だったらしい、口元が更に弓のように曲がる。それにアリスが噛みついた。
「失礼ね、知らなくて当然よ。それにいきなり殺しにかかってきたり捕まえたり、変人だったり! どうなってるの、なんなの!?」
 口調を荒げ、彼女はこれまで出会ってきた人物達への不満を一気に爆発させた。ラッヘンには関係ないことは理解している、それでも口が止まらない。振りかざされる力という圧力に誤魔化される質問、疑いの眼差しを向けられ誇張した物欲の対象になる。
ラッヘンは二度小さく相槌を打ってから、アリスの肩に手を置き覗き込んできた。銀灰色の目に映ったのはビー玉よりも澄んだ、深い山吹色の黄玉トパーズに近い。思わずそれを見つめる。
 意図的にではなく、目が離せない。そして、どこか懐かしさも感じられた。
「落ち着いて、最初は何も知らなくて当然だよ。知りたいかい?」
「教えて、くれるの?」
 未だ疑心暗鬼のアリスの眼前に人差し指を出してラッヘンは言った。その口調は軽く、変わらない。
「勿論、アリスが望むならね」

 ラッヘンは落ちていた枝切れで地面を引っかき、図を描いていった。まず大きな丸を描き、その上下の端に更に半円を加える。上にはH、下にはCと文字を書いた。
「簡単だけど、これがこの世界。大体は森で、そこを挟んでトランプの国と鏡の国が立国してる」
「この二つの文字は何か意味があるの?」
「それぞれの女王様さ。トランプとか鏡とか言うより女王で呼んだ方が早いんだ」
 トランプの国を統治するはハートの女王で“H”、鏡の国を統治するのはチェスの女王で“C”らしい。この表記は覚えておいた方が役に立つよ、ラッヘンは左を指さした。振り向くと少し離れた木の枝からHと刻まれた旗が垂れ下がっていた。四隅にハート・ダイヤ・クラブ・スペードが刺繍され、トランプの裏面と似た模様になっている。これなら一目でトランプの国のハートの女王のものだとわかる。
 ここでアリスは気づいた。ウイユにねちっこい文句をしていた、あの兵士達の服もトランプをモチーフにしていた。つまり彼らの言っていた女王とは、ハートの女王に違いない。それは黒兎がその国の宰相ということでもあった。ラッヘンの顔を見て納得した表情を見せると、当たりと頷いた。
「分かりやすいわね」
「鏡の国のも分かりやすいから探してみるといいよ」
「でも、こんなところにあんなの必要なのかしら」
「それはね……前にこの2つの国は戦争をしていたんだ」
「戦争!?」
 驚くアリスにラッヘンは淡々と話し続けた。
 元々トランプの国しか無かった世界に、新たなる鏡の国が建国されたのはもう何年も前になる。どちらの国が強いのか、対抗心をむき出した女王達は勝負をつけるために戦争を始めた。それは一方の戦力を根絶やしにするまで、森に生きる住人を巻き込んでも続いた。
 この森も血生臭い場所になり、お互いの国は戦火に染まっていった。見渡せば死体、死体。きっと人だった物体、いつかは死体になる人間。そんなもので溢れている。女王達はそう思っていたが実際はまったく違ってた。
 敵対しているのは女王同士だけで、お互いの殆どの民衆は仲良くしていた。物流や交流、知識も広め合った。時に相談し、協力して支配者の機嫌を損ねないように工作も行った。
「つまり、無駄だったわけね」
「そのうち感づいたのか戦争はそんなに続かなかったよ、結局勝ち負けも着かなかったけど」
 女王達はは諦めて平和協定を結ぶかに思えた。民衆が安心したのもつかの間、両者はどちらともなく提案をした。
 この広い森を使わない手はない、どちらが領地を広げられるかゲームを始めよう。この森の土地を奪い尽くした後、面積が多い方が勝者になれる。敗者は勝者にかしづき永久に従うことを誓う。女王達は再び兵を放ち、財を振りまき、知恵を使い、領地を奪い合い始めた。
 女王達の相性はどう足掻いても悪いままだったのだ。
 一番迷惑だったのは森に生き、活用する人々だった。誰の物でもない自由な土地が、知らず知らずの内に勝手に配分されていくのをただ見ているだけだった。昨日まで自分の畑だったところが、どちらかの物になっている。領地にされたら住民の登録をしなきゃならない。
 気付いたら所有権が変わり、また変わり、手続きばかりで耕すことも出来やしない。国同士が領地を奪い合えば奪い合うほど、森で生きる住人達の不満は募っていく。
 不満は爆発し、どちらにも属さない、どちらにも土地を渡さないことを掲げた組織が立ち上がった。アリスを追いかけてきたのは、きっとこの組織だったのだろう。質問を思い出せば納得できる項目も思い当たる。
「分かりやすい旗がある場所はその国の所有地、ない場所はどちらのものでもない」
「ない場所があるの?」
「あるよ、監獄と帽子屋と、湖」
 アリスは再び地面の絵に視線を戻した。ラッヘンが動かす枝で新しく丸が三つ描かれる。森の向かって右側が監獄、ちょうど中心のが帽子屋、そして一番小さい丸が湖だ。
 監獄はトランプの国だけの頃からあり、鏡の国の罪人もそこに収容される。唯一と言える共有施設でもある。帽子屋は反ゲーム組織のリーダーが住む場所であり、彼らが守り抜けているのは帽子屋と湖だけ。ラッヘンは二つを何度も囲んだ。
 これであの鼠のような男がピリピリしていた理由にも納得がいった。アリスに絡んできたのも、連行と尋問を行ったのも、土地を守ろうとしての行動だった。
「はい、以上で説明はおしまい。大体わかったい?」
「ええ。二つの国は仲が悪くて、ゲームの勝敗が大切。反対する組織も兵も手段は選んでられない」
「当たり」
「じゃあ貴方は女王の手下? それともその帽子屋の仲間?」
「はずれ、僕はアリスの味方だよ」
 ラッヘンは図を手のひらで消し、立ち上がり背を伸ばした。アリスも同じように体の筋を伸ばす。久々に見上げた空はいつの間にか赤く染まっていた。
 説明の感想は、ただ物騒で不思議な世界にきてしまったことに尽きる。でも、放り込まれた自分より身勝手な女王が納める国で、宰相をしている同年代の少年のことが改めて心配になってきていた。
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