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頓挫したアリスモチーフ

 慎重に進めばいつの間にか声も足音も消えて、辺りは急に静かになった。来たばかりの森よりもいっそう静かになったように感じる。きっと今までが物凄く騒がしかったせいね。劇場から外に出ると異常に眩しくなるのと同じ。アリスは一人納得した。今はこの静けさが心地よい。
 そろそろ撒いただろうか。アリスがポケットに入れていたケーキをかじろうと、小さな茸に腰掛けた時だ。彼女は驚いて落としそうになった。
 何故なら、その奥の大きな茸の上に人が座っていたからだ。

「おや。私と同じ大きさの女の子がいるとは……いやはや、世の中はまだまだ広い」
 自分と同じくらい小さい中年の男性は水煙草を蒸かしながら、朗らかに笑っていた。無精髭を生やし、藍色の長髪を軽く括り、ベルトがいくつも巻かれたくたびれたスーツを着ている。明らかにのどかな森とは合わない人物だ。
 吸っているものの匂いなのか、形容しがたい奇妙な匂いが辺りに広がっていた。ケーキを戻し、煙を払いながらアリスが口を押さえた。
「これは事情があって小さくなっているんです、最初からこの大きさじゃありません」
「ほう、それはまた興味深い。宜しければ理由をお聞かせ願えませんかな?」
 彼はパイプを持っていない方の手を差し出し、彼女を茸の上へと誘った。普通の少女ならそんな誘いに簡単に乗らないが、そこはアリス。不思議な物事にはある程度慣れてきたらしく、これぐらいならどうということではない。
 追っ手も足下の存在には気付かないだろう。焦って今すぐ戻るより、この男性と話した方が安心かもしれない。きっとウイユのことも尋ねるチャンスだ。
「ええ、喜んで」
 彼の手を取り、アリスは乗り上がった。
「私、皆から教授と呼ばれております。君は、一体誰かな?」
「私は私。でしたら、お嬢さんとでも」
「では、そう呼ぼう」
 自らを教授と名乗った相手は眼鏡を直し、礼儀正しく挨拶をした。呼ばれるには理由があるのだろう、あだ名と風貌の格差についてはアリスは黙っていた。本名を名乗らずに話を進めるようだ。言わなくて済むのなら好都合だった。
「さて、早速ではありますが……その姿のわけを訊いても宜しいかな?」
「これを飲んだからです」
「ほう……これを?」
 教授は煙管を吹かしながら、差し出しされた小瓶を受け取った。もう中身のない、いたって普通の小瓶でしかないが中の液体は人の大きさを変える力を持っていた。
簡単に説明すると彼はもっと話が聞きたいようで、小瓶とアリスをちらちら見比べた。
 どこから説明するべきか。まずは自分の記憶の整理を含めて、これまでのことを思い出す。
 地上からこの世界に落ちてきたこと。黒兎に出会って、兵隊に撃たれたこと。鍵が剣に変わり、人を斬ってしまったこと。不思議な洋館で兎とはぐれたこと。湖の畔で捕まり尋問を受け、女王の手先として疑われたらしいこと。
 どこから始めればいいのか分からないほど、刺激的な出来事だった。とりあえず洋館で瓶の液体を飲んだ事だけは説明することにした。これなら話の前後が無くても分かりやすく、小さくなった原因でもある。彼女は相手の出方を慎重に伺うように、出来事を多少改竄して話した。これ以上女王の手下と勘違いされても困る。
 彼はアリスの説明を興味深く、面白そうに相槌を打ちながら水煙草をふかした。
「ほうほう、液体で小さく、そちらのポケットのケーキで大きく。此処の茸以外にそんなものが……」
「茸? これが?」
「よかったら試してみてごらん。右で大きく、左で小さくなる」
 自分が座っている茸にそんな力があるとは思えない。御伽噺の様な毒々しい奇妙な柄ではないし、いたって普通の茸だ。言われた通り摘まんでみたが、試そうにも教授が話を途切れさせない。
「しかしそんな洋館から……だったら此処とは真逆の場所にいらした、と」
「え?」
「おや? 分からないかな」
「ええ、だって扉から通ってきたから……」
「……扉を通ってきて分からない……? 実に更に珍しい!」
 高音と低音の混じった笑いと共に吹き出された煙がアリスを覆い、苦いような甘いような匂いに思わず顔を顰める。だが教授は気にも留めず、奇妙な笑い声はしばらく響き渡った。これはウイユのことを訊ける状態ではないのかもしれない。
 何かに感づいた彼女が別れの挨拶を口にしようとした時、霞んだ白煙の中からぬっと手が伸びる。アリスが逃げる間もなく手を強く掴まれたと思えば、彼の間近に引き寄せられていた。丸いレンズの奥の青い瞳は暗く、淀んでいた。
「そうか、お嬢さんはお客様か! それは珍しい筈だ」
「何の、つもり!?」
「私には趣味がありましてね、コレクターと言うのでしょうか」
 彼は野に引き籠っていた。同じ大きさの誰かが近くにいるわけがなく、ただ茸の上で自分と対話しながら、たまにくる客と話し込む毎日。単調で孤独な生活の中で、時折不思議な物や何かを見つけていた。最初は客人が来た時の話の種になるかと集め始めたのがきっかけだった。
 身の回りに奇抜なもの、奇妙なものが揃っていくと彼の中に久し振りに楽しいと思う感情が生まれた。自分なりの種類別に纏め、見やすいように並べるなど、他人や自分を考える以外に面白いと思えた。
 特に自分が思う自分でも珍しいものを手に入れると、男の心の中に満足感、充実感が満ち溢れた。誰もいない場所で誰も知り得ないものを独占する、知識を披露する、そして来客から向けられる尊敬の眼差し。それを得たいが為に彼の収集癖は加速していった。対象になるものは珍しければ、何でもよかった。それが物であれ、生物であれ、生きていようが死んでいようが、殺してしまうことになっても。いつしか客の存在はどこかに消え、自分のコレクションを作り出すことが目的となっていた。
 アリスは語りに熱を入れる相手から、あえて瞳を逸らさなかった。逸らさなければ、その注意が他に向くことはない。
「変な物や、奇妙なもの、特に珍しいものは重宝していますよ」 
「なら間違ってるわ、私は普通の女子よ」
「いやいや、扉は此処では重要な移動手段。知らない者は存在しない。居るとするなら……“外”から来た者だけなのですよ」
 嘲笑と共に囁かれた声に背中が粟立つ。全てを彼に話さないと決めたのは正しかった。紳士の皮を被ったコレクターはこれまで刃を向けてきた人達とは違う次元で怖く、彼女に対する目的が違っている。
 目の前のコレクション候補にしか目の行かない相手は、少女がポケットの中に忍び込ませている手に気付かない。自分の咥えていたパイプをゆっくりと小さな口元に近付けた。
「まあ、貴方の事は色々気になりますが誰かに知られる前に……ぶっ!!?」
 べしゃり。教授の顔面に勢いよくカップケーキがぶつかり、美味しそうな山吹色が砕けて散らばった。
 驚いた隙に彼女は離れ、茸から飛び降り、後ろに回り込む。銀の短剣で煙草の本体とパイプを繋ぐ管を切り落とし、落下させると得体の知れない濃い白煙が広がり始めた。アリスが早足でそこから離れれば、男のいる茸は煙に包まれていた。中からせき込む声も聞こえる。
「自分ので噎せるなんて……かっこ悪」
「がっ、外にい、いるのか!?」
「あんたと間接キスなんて無理。私は物じゃない」
「っは!? 待て!!!」
 待てと言われて誰が待つものか。相手が変態ならなおさらだ。せき込む教授を背にして、アリスは再び走り出した。

「代わりにそれをコレクションにしたら? さよなら!」
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