頓挫したアリスモチーフ
「足、大丈夫?」
「大丈夫だよ、別のハンカチも巻いたしね。それに……」
「“それに”?」
親切心で尋ねてくるアリスに、ウイユは「さっきのことの方が衝撃だったから……」とは言いにくかった。
血飛沫の中を華麗に舞う彼女を思い出し、乾いた笑いを返した。此処まで順応性の高い少女を見たのは初めてだ。いや、そもそも外の住人を見るのが初めてなのか。
そんな彼を知ってか知らずか、歩調を緩めながらアリスは自分の行動には触れずにいた。
「それにしても木ばかりね、家も人も見かけない。こんなので女王に会えるの?」
「此処は一番深いから扉がいるんだ」
「扉?」
「そう、扉さ」
急ぎながらも足に負担をかけず、ゆっくり歩いて行くと、ある館に行き着いた。森の中に堂々と建つ姿は荘厳でもあるが、どこか似つかわしくなく滑稽だと思える。
2人が中に進むと、すぐ大広間に行き着いた。家具は棚と腰までの高さの小さな丸テーブルだけ。さらに壁や天井にアルファベットの書かれた数十の扉が乱雑に付けられている。これがどこかに繋がっているのかは分からない。
「無駄な量ね……」
「無駄? これくらいないと何処へも行けないんだ」
ウイユの言い分はいまいちアリスには伝わらなかった。
やっぱり変わってるわ。そんなことを思いながら、側の壁のにあるドアのノブに手を掛けた。回せば普通は開くはずだ。
「痛たたたた痛い、痛い!!」
しかしドアは開かず、叫び声が聞こえてきた。驚いたアリスが思わず手を離すと、そこには人の顔の模様が浮き上がっていた。
「ったく最近の子は扉の扱い方も知らないのかい……おー、痛……」
「……驚いた、この世界の扉は喋るのね」
「扉は話せるもんさ、常識だよ。むしろ血塗れのお前さんが非常識だ」
人で言う『首』にあたるらしいネックの部分を、自分で左右に捻りながらドアノブは文句を言った。側にある扉のノブ達がそうだそうだ、と声を揃える。
どうやらこの屋敷のドアは話せるらしい。 確かにそちらからしたら、自分の姿の方が非常識だろう。アリスは素直に謝ることにした。
「ごめんなさい、なら自分で鍵は開けられるの?」
「扉は鍵“で”開けられるもんだ、勝手に開いたら使い物にならないじゃないか」
「……そうよね、扉は鍵があってこその扉だもの。ただの板じゃ仕切ることも出来ないわ」
「そうとも! 分かってるじゃないか、お嬢ちゃん」
扉のあり方を即座に理解した相手に相手は笑顔を見せた。血塗れの姿にもそれ以上突っ込みはしなかった。彼女は他にも聞きたいことがあったが、それはウイユに中断された。大声で全ての扉に届く様に呼び掛ける。
「此処からハートの城に行きたいんだ」
「森から国に?」
「館から城に?」
「なら私達を開ければいい、どの鍵を使ってどの扉をあければいいか考えるのも一興さ」
だが、ウイユにはそんな悠長に考える時間はない。トランプ兵曰く、「女王陛下は機嫌を損ねている」からだ。女王から指定されている扉は“ハート”の“H”。鍵は確か王冠の付いた“クイーン”の“Q”。
棚の中には同じ様にアルファベットの書かれた鍵があった。様々な形の中から捜し出すのはまだ少し時間がかかりそうだ。棚の前で唸る一人の後で、もう一人は机の上の小瓶に注目していた。
「“お飲みなさい”? ……怪しいにも程があるわね」
「飲まないのかい?」
今度は足元の小さな扉が話しかけてきた。見るからに古そうで、真鍮の顔の端が少し錆びている。古参の扉だろうか。瓶を片手に彼女はしゃがみ、足元のドアになるべく視線を合わせる。
「興味はあるわ、何か利点があるなら一口飲んであげてもいいけれど」
「お望みのことが起こるさ、他に何が起こるかは知らないがね」
アリスが今望んでいることは、この服の血をどうにかすること。他にすぐ考え付くことも無く、女王陛下に会うのだから身支度は整えておきたい。
何があっても、自分が受け入れられるぐらいで済むといいけれど。多少諦めにも似た興味の感情で息を軽く吐き、瓶の中身を口の運んだ。
含んだ味は最初にチェリータルト。次にカスタード、パイナップルにキャラメルの波が襲ってきた。さらに熱々のバタートーストも混ざりあって、なんとも言えない甘さ。目まぐるしく変わる味に次に何が来るか気になり、もう一口もう一口と飲んで、アリスはぴたりと動きを止めた。
この瓶に“中身を飲まされている”感覚に陥ったからだ。瓶の中身は半分程残っている。最初は一口と決めていた。量としては十分に飲んだはずだ。次の味が名残惜しいが、怪しいものをこれ以上飲む気も無い。それに甘過ぎて口が重かった。
蓋をした途端、彼女に変化は現れた。まるで巻き戻しの映像のようにエプロンや服の赤黒い染みが薄れて行き、跡形もなく消えて、元のそれ以上の新品の状態に戻った。擦ったり絞ったりしても何も出てこない。それは指先も同じことで、拭ききれなかった血痕もすぐ消えた。
「凄い……って、え……!?」
見つめていた指の奥で、背景が徐々に大きく伸びていく。違う、自分が縮んでいるのだ。音もなく縮んでいく自分に呆気にとられ、アリスは動けなかった。途中で飲むのをやめたのがよかったのか、テーブルの1/3ほどの大きさで縮むのは止まった。
身につけていた物も、持っている物も、同時に小さくなったらしい。普通ならこうはいかないが服が変化した時に、どうやら服も普通ではなくなったようだ。綺麗になったのはいい。しかし、これは問題だ。
「私は言ったぞ? 他に何があるかは知らないと」
「……別にいいわ、普段と違うのも面白いもの。ただちょっと歩きにくいのが難点ね」
前は足元、今は目の前にで愉快に笑うノブに答えながらアリスは辺りを歩き出した。注意深く見渡し、ちょうどさっきと反対側のテーブルの脚の側に自分より小さな箱があるのを発見した。
外側にはさっきの瓶と同じ文字、中には美味しそうな袋入りのカップケーキが入っていた。思った通りだ。彼女はそれを取り出した。小さくなるものがあるならば、反対の作用がある何かも近くにあるはず。そう予想してみたが、的中するとは。
小さくなるジュースと予想通りならば、大きくなるクッキー。見慣れない視点はなかなか面白い。飽きたら食べて元に戻ればいいだけ。ポケットにしまっ2つの使い道を考えながら元の場所に戻ると、ウイユが彼女を呼んでいた。
女王陛下に会える鍵をようやく探し出せたようだった。
アリスは「此処よ」と叫び、手を振ってみる。ウイユは辺りを見渡すだけで、一向に気付いてはくれない。
歩き回りながら呼んでいるのだから、当然だ。彼女が不思議な液体を飲んで小さくなっていることを、彼は全く知らない。
暫く呼んでいたウイユだったが、急いでいる中で姿の見えない相手を待つほど気は長く無いようだった。
「……いいや、先に行こう」
女陛下をこれ以上怒らせない為にも、外からやってきた彼女より自分の目的を優先させた。本心ではこれ以上厄介ごとに巻き込まれるたくなかったのだ。
今度慌てたのはアリスの方だった。冗談じゃない、文句を言いたい相手の居場所を知っているのは彼だけなのに。諦めて進む黒兎を必死に追い掛けるが、どんどん引き離されていく。ケーキを取り出す余裕なんてない。
「ちょっと……! ウイユ!」
叫び虚しく、ウイユはある扉に鍵を差し込み、一人でその中へと進んでいってしまった。ゆっくりと目の前で閉まる大きな扉。大きさが違うだけで、障害として感じる感覚も大きい。
がらんとした広間の中に取り残されたアリス。庭で捕まえた時の、彼の気持ちが少し分かったような気がした。
「これからどうしようかしら……」
今更元に戻る気力もなく、しょうがなく元の小さな扉の前に戻ってきた。アリスは自分のポケットからあの鍵を取り出し、扉と鍵を交互に見つめる。
今の自分が入れそうな扉は見たところ、これひとつだけだ。
「おや、珍しいのをお持ちだね」
「鍵なんてどこにでもあるでしょう? 特に此処は」
「いや、それは本当に久し振りだね。自由、素晴らしいことだ」
扉には鍵など珍しくもない、見慣れた物のはず。しかも此処は無数の鍵を扱う扉達の館。彼の言わんとすることが全く分からないアリスは腕を組み、相手をじっと見つめた。
「その素晴らしいものも出られなきゃ、私には無意味よ」
「鍵が合えば、どこにでも繋げてみせる。それが扉の心意気さ」
「ふうん……」
物は試しだ。扉が自分自身を語るのなら、間違いはない。アリスは手の中の鍵を穴へと差し込んだ。ゆっくり回し、妙な沈黙と、確実な手応え。
そして、鍵が解除される音。
「……開いた」
何故分かるのかと彼に聞けば、どうやら昔彼女と同じ鍵を持った少女が此処へ来たらしい。
「君みたいに変わった子でね、話す私らを見たことないって言っていたよ」
「へぇ、私みたいに?」
まるで昨日のことの様に、扉は鮮明に思い出せる容姿を語り出した。
「その鍵を片手に、笑顔が似合う子で」
「可愛い子だったのね?」
「ああ、扉が全員うっとりするくらいだ。部屋の明かりにきらきら反射する綺麗な金髪に、何年も丁寧に磨かれたような金色の瞳……」
「待って。その話、もっと聞きたいんだけど」
何か思い出したようにアリスが慌てて話し掛けるが、喋りすぎたとドアは代わりに口笛を吹いた。
すると、どうだろう。彼はひとりでに開き、真っ暗な闇が現れた。彼女の黒い靴は軽く踵を鳴らし、勝手に扉の中へ向かっていく。
「ま、待っ、止まって! 私は話を聞きたいんだから」
自分の足を自分で叱り付けながら、アリスは必死でとどまろうとする。彼女の足は意志を持ったかのように正反対で、綺麗な足踏みを止めようとしない。
「私からはこれしか話せない、知りたければ道を進めばいい」
「なら、名前は?」
「悪いがそれは知らないよ、ドアは名前を覚えるものじゃない」
決められるもの、だからね。
その一言でアリスの声も空しく、扉は閉ざされた。彼女は一人、どこに続くかも分からない暗闇を進む事となった。
「大丈夫だよ、別のハンカチも巻いたしね。それに……」
「“それに”?」
親切心で尋ねてくるアリスに、ウイユは「さっきのことの方が衝撃だったから……」とは言いにくかった。
血飛沫の中を華麗に舞う彼女を思い出し、乾いた笑いを返した。此処まで順応性の高い少女を見たのは初めてだ。いや、そもそも外の住人を見るのが初めてなのか。
そんな彼を知ってか知らずか、歩調を緩めながらアリスは自分の行動には触れずにいた。
「それにしても木ばかりね、家も人も見かけない。こんなので女王に会えるの?」
「此処は一番深いから扉がいるんだ」
「扉?」
「そう、扉さ」
急ぎながらも足に負担をかけず、ゆっくり歩いて行くと、ある館に行き着いた。森の中に堂々と建つ姿は荘厳でもあるが、どこか似つかわしくなく滑稽だと思える。
2人が中に進むと、すぐ大広間に行き着いた。家具は棚と腰までの高さの小さな丸テーブルだけ。さらに壁や天井にアルファベットの書かれた数十の扉が乱雑に付けられている。これがどこかに繋がっているのかは分からない。
「無駄な量ね……」
「無駄? これくらいないと何処へも行けないんだ」
ウイユの言い分はいまいちアリスには伝わらなかった。
やっぱり変わってるわ。そんなことを思いながら、側の壁のにあるドアのノブに手を掛けた。回せば普通は開くはずだ。
「痛たたたた痛い、痛い!!」
しかしドアは開かず、叫び声が聞こえてきた。驚いたアリスが思わず手を離すと、そこには人の顔の模様が浮き上がっていた。
「ったく最近の子は扉の扱い方も知らないのかい……おー、痛……」
「……驚いた、この世界の扉は喋るのね」
「扉は話せるもんさ、常識だよ。むしろ血塗れのお前さんが非常識だ」
人で言う『首』にあたるらしいネックの部分を、自分で左右に捻りながらドアノブは文句を言った。側にある扉のノブ達がそうだそうだ、と声を揃える。
どうやらこの屋敷のドアは話せるらしい。 確かにそちらからしたら、自分の姿の方が非常識だろう。アリスは素直に謝ることにした。
「ごめんなさい、なら自分で鍵は開けられるの?」
「扉は鍵“で”開けられるもんだ、勝手に開いたら使い物にならないじゃないか」
「……そうよね、扉は鍵があってこその扉だもの。ただの板じゃ仕切ることも出来ないわ」
「そうとも! 分かってるじゃないか、お嬢ちゃん」
扉のあり方を即座に理解した相手に相手は笑顔を見せた。血塗れの姿にもそれ以上突っ込みはしなかった。彼女は他にも聞きたいことがあったが、それはウイユに中断された。大声で全ての扉に届く様に呼び掛ける。
「此処からハートの城に行きたいんだ」
「森から国に?」
「館から城に?」
「なら私達を開ければいい、どの鍵を使ってどの扉をあければいいか考えるのも一興さ」
だが、ウイユにはそんな悠長に考える時間はない。トランプ兵曰く、「女王陛下は機嫌を損ねている」からだ。女王から指定されている扉は“ハート”の“H”。鍵は確か王冠の付いた“クイーン”の“Q”。
棚の中には同じ様にアルファベットの書かれた鍵があった。様々な形の中から捜し出すのはまだ少し時間がかかりそうだ。棚の前で唸る一人の後で、もう一人は机の上の小瓶に注目していた。
「“お飲みなさい”? ……怪しいにも程があるわね」
「飲まないのかい?」
今度は足元の小さな扉が話しかけてきた。見るからに古そうで、真鍮の顔の端が少し錆びている。古参の扉だろうか。瓶を片手に彼女はしゃがみ、足元のドアになるべく視線を合わせる。
「興味はあるわ、何か利点があるなら一口飲んであげてもいいけれど」
「お望みのことが起こるさ、他に何が起こるかは知らないがね」
アリスが今望んでいることは、この服の血をどうにかすること。他にすぐ考え付くことも無く、女王陛下に会うのだから身支度は整えておきたい。
何があっても、自分が受け入れられるぐらいで済むといいけれど。多少諦めにも似た興味の感情で息を軽く吐き、瓶の中身を口の運んだ。
含んだ味は最初にチェリータルト。次にカスタード、パイナップルにキャラメルの波が襲ってきた。さらに熱々のバタートーストも混ざりあって、なんとも言えない甘さ。目まぐるしく変わる味に次に何が来るか気になり、もう一口もう一口と飲んで、アリスはぴたりと動きを止めた。
この瓶に“中身を飲まされている”感覚に陥ったからだ。瓶の中身は半分程残っている。最初は一口と決めていた。量としては十分に飲んだはずだ。次の味が名残惜しいが、怪しいものをこれ以上飲む気も無い。それに甘過ぎて口が重かった。
蓋をした途端、彼女に変化は現れた。まるで巻き戻しの映像のようにエプロンや服の赤黒い染みが薄れて行き、跡形もなく消えて、元のそれ以上の新品の状態に戻った。擦ったり絞ったりしても何も出てこない。それは指先も同じことで、拭ききれなかった血痕もすぐ消えた。
「凄い……って、え……!?」
見つめていた指の奥で、背景が徐々に大きく伸びていく。違う、自分が縮んでいるのだ。音もなく縮んでいく自分に呆気にとられ、アリスは動けなかった。途中で飲むのをやめたのがよかったのか、テーブルの1/3ほどの大きさで縮むのは止まった。
身につけていた物も、持っている物も、同時に小さくなったらしい。普通ならこうはいかないが服が変化した時に、どうやら服も普通ではなくなったようだ。綺麗になったのはいい。しかし、これは問題だ。
「私は言ったぞ? 他に何があるかは知らないと」
「……別にいいわ、普段と違うのも面白いもの。ただちょっと歩きにくいのが難点ね」
前は足元、今は目の前にで愉快に笑うノブに答えながらアリスは辺りを歩き出した。注意深く見渡し、ちょうどさっきと反対側のテーブルの脚の側に自分より小さな箱があるのを発見した。
外側にはさっきの瓶と同じ文字、中には美味しそうな袋入りのカップケーキが入っていた。思った通りだ。彼女はそれを取り出した。小さくなるものがあるならば、反対の作用がある何かも近くにあるはず。そう予想してみたが、的中するとは。
小さくなるジュースと予想通りならば、大きくなるクッキー。見慣れない視点はなかなか面白い。飽きたら食べて元に戻ればいいだけ。ポケットにしまっ2つの使い道を考えながら元の場所に戻ると、ウイユが彼女を呼んでいた。
女王陛下に会える鍵をようやく探し出せたようだった。
アリスは「此処よ」と叫び、手を振ってみる。ウイユは辺りを見渡すだけで、一向に気付いてはくれない。
歩き回りながら呼んでいるのだから、当然だ。彼女が不思議な液体を飲んで小さくなっていることを、彼は全く知らない。
暫く呼んでいたウイユだったが、急いでいる中で姿の見えない相手を待つほど気は長く無いようだった。
「……いいや、先に行こう」
女陛下をこれ以上怒らせない為にも、外からやってきた彼女より自分の目的を優先させた。本心ではこれ以上厄介ごとに巻き込まれるたくなかったのだ。
今度慌てたのはアリスの方だった。冗談じゃない、文句を言いたい相手の居場所を知っているのは彼だけなのに。諦めて進む黒兎を必死に追い掛けるが、どんどん引き離されていく。ケーキを取り出す余裕なんてない。
「ちょっと……! ウイユ!」
叫び虚しく、ウイユはある扉に鍵を差し込み、一人でその中へと進んでいってしまった。ゆっくりと目の前で閉まる大きな扉。大きさが違うだけで、障害として感じる感覚も大きい。
がらんとした広間の中に取り残されたアリス。庭で捕まえた時の、彼の気持ちが少し分かったような気がした。
「これからどうしようかしら……」
今更元に戻る気力もなく、しょうがなく元の小さな扉の前に戻ってきた。アリスは自分のポケットからあの鍵を取り出し、扉と鍵を交互に見つめる。
今の自分が入れそうな扉は見たところ、これひとつだけだ。
「おや、珍しいのをお持ちだね」
「鍵なんてどこにでもあるでしょう? 特に此処は」
「いや、それは本当に久し振りだね。自由、素晴らしいことだ」
扉には鍵など珍しくもない、見慣れた物のはず。しかも此処は無数の鍵を扱う扉達の館。彼の言わんとすることが全く分からないアリスは腕を組み、相手をじっと見つめた。
「その素晴らしいものも出られなきゃ、私には無意味よ」
「鍵が合えば、どこにでも繋げてみせる。それが扉の心意気さ」
「ふうん……」
物は試しだ。扉が自分自身を語るのなら、間違いはない。アリスは手の中の鍵を穴へと差し込んだ。ゆっくり回し、妙な沈黙と、確実な手応え。
そして、鍵が解除される音。
「……開いた」
何故分かるのかと彼に聞けば、どうやら昔彼女と同じ鍵を持った少女が此処へ来たらしい。
「君みたいに変わった子でね、話す私らを見たことないって言っていたよ」
「へぇ、私みたいに?」
まるで昨日のことの様に、扉は鮮明に思い出せる容姿を語り出した。
「その鍵を片手に、笑顔が似合う子で」
「可愛い子だったのね?」
「ああ、扉が全員うっとりするくらいだ。部屋の明かりにきらきら反射する綺麗な金髪に、何年も丁寧に磨かれたような金色の瞳……」
「待って。その話、もっと聞きたいんだけど」
何か思い出したようにアリスが慌てて話し掛けるが、喋りすぎたとドアは代わりに口笛を吹いた。
すると、どうだろう。彼はひとりでに開き、真っ暗な闇が現れた。彼女の黒い靴は軽く踵を鳴らし、勝手に扉の中へ向かっていく。
「ま、待っ、止まって! 私は話を聞きたいんだから」
自分の足を自分で叱り付けながら、アリスは必死でとどまろうとする。彼女の足は意志を持ったかのように正反対で、綺麗な足踏みを止めようとしない。
「私からはこれしか話せない、知りたければ道を進めばいい」
「なら、名前は?」
「悪いがそれは知らないよ、ドアは名前を覚えるものじゃない」
決められるもの、だからね。
その一言でアリスの声も空しく、扉は閉ざされた。彼女は一人、どこに続くかも分からない暗闇を進む事となった。
