ロクスメ

Andante











8月24日、スメラギ・李・ノリエガは端末に映るカレンダーを眺め、ため息を吐いた。
あっという間に1年が過ぎたのか。
何も成せないまま、また1年が経過したような気持ちになってしまう。
ソレスタルビーイングに加入してからは、この日付は特別な意味を持たなくなってしまった。
武力を以て戦争の根絶を願う、矛盾している。
命を奪う側でもある自分が自分の誕生日を祝う事など、出来るはずがない。

「誕生日くらい、ゆっくりしてきてください」

情勢もやや落ち着いていたその日、スメラギはクリスティナ・シエラに言われた。
疲れが溜まっていたスメラギは、苦笑しながら瞬き、反論出来なかった。
適度な休息を取り、任務の精度を保たなければ。

「分かったわ。ありがとうクリス」

それからトントン拍子で地上に降り立ったスメラギは、特に予定もなく街を歩いていた。
何をするでもなく、ただ足の向くままに。
いいホテルを見つけて、いいお酒でも飲んでゆっくり泊まって帰ろうかな。
そんな事をぼんやり考える余裕があるくらい、陽射しは穏やかで、人々の表情も明るかった。
戦場とは違う、平和な空気。
そんな景色を眺めながら、不意に気持ちが翳る。
この平和が長く続いて欲しい。
今もどこかで火種は燻っている……。
やめよう。
せっかくクリスティナが休めと言ってくれたのだから、さっさとホテルでお酒を飲もう。
スメラギは小さく深呼吸をした。
重量下で格別に美味しいお酒を飲んで、一晩ゆっくり休んで忘れよう。
ーー痛みを。


+++++++


ロックオン・ストラトスは複雑な思いを抱いていた。
スメラギの誕生日の事は知っていた。
祝いたい、純粋に、そう思っていた。
弱い心を酒で薄めながらもいつも冷静に、時に大胆に戦局を読み解く姿に、たまには力を抜いて休んで欲しいと願っていた。
だが、同時にどうしようもない悔しさが胸に刺さっていた。
彼女が誕生日を迎えると言う事は、また差が開く。
年の差が。
半年待ってやっと1歳に縮む年齢差が、また開いてしまう。
対等、もしくは彼女に頼られる年上になりたかった。
何かにつけて彼女に年下に見られるのが、年下扱いされるのが、歯痒かった。

「……くそ、ガキかっての」

そんな思いから逃げるかのように、実はロックオンは先に休暇を取っていた。
特に目的も無く街をぶらつく。
ショーウィンドウに並ぶ商品を眺め、店に入って興味のないものを手に取り、戻す。
無意識のうちに「スメラギが喜びそうなもの」を探していた。
上品で、実用的で、彼女が興味を持つようなもの。
香水、万年筆、ワイン……結局何も買わずに店を出る事数件。
プレゼントを渡すかどうかも決めてはいない。

「何やってんだか…」

ロックオンは独り言ちた。


+++++++


「ねぇ、お姉さん一人?良かったら一緒に飲まない?」

突然、声を掛けられた。
見知らぬ男。
派手なシャツに、ニヤけた笑い顔。
スメラギは足を止めず、ちら、とだけ男を見た。

「結構よ」

短く断るが、男は引き下がらない。
むしろ並び歩く様に距離が近付き、言葉を重ねる。

「つれないねぇ。そんな事言わずに、ちょっとだけ話そうよ。俺この辺にいいお店知ってるんだ。お姉さんみたいな綺麗な人と飲んでみたいなぁ〜」

「お断りします」

スメラギは薄く口元に笑みを浮かべたまま、内心で舌打ちをした。
こういうタイプは断っても断っても食い下がる事が多い。
どうやって撒こうか。
そう考えた瞬間、突然男がスメラギの右手首を掴んだ。
驚きすぎて足が止まってしまった。

「そんな、冷たい事言わずにさぁ。いい所に行こうよ」

ヘラヘラ笑っているのに手の力が強い。
簡単には振りほどけそうにない。
投げ飛ばしてやりたい気もするが、派手な立ち回りは出来ない。
スメラギは肩に掛けたバッグへ、そっと左手を伸ばした。
携帯している防犯グッズは、利き手ではない手で取り出すのに、僅かに時間がかかる。
慎重に、相手に気付かれない様に、指先でバッグの中を探る。
その時だった。
優しく、しかし確実に誰かの手がスメラギの肩を抱いた。
鼻腔をくすぐる、嗅いだ覚えのある香り。



+++++++


店から出て気を取り直したロックオンは、新しいジャケットでも探すか、と考えていた矢先、ふと視線が引っかかった。
少し先の歩道。
驚いた。
彼女の事を考えすぎて、幻でも見ているのかと思った。
彼女が地上に、しかも同じ街に降りて来ているなんて、知らなかった。
見紛う筈がない。
誕生日だというのに、独り、こんなところに。

「何してんだ……ミス・スメラギ……」

小さく呟いた瞬間、男が彼女に近付いて行くのが見えた。
一見普通の市民だが、目つきが気に入らなかった。
スメラギに声を掛け、にじり寄る。
彼女が男を避け、通り過ぎようとするも、男は引き下がらない。
距離を詰めて、くどくど何事か言っている。
ロックオンの目が不機嫌に細められ、眉間に皺が寄る。
スメラギが断っているのが、遠くからでも分かる。
しかし、次の瞬間、男がスメラギの手首を掴んだ。
ロックオンの中で何かがはっきりと音を立てて切れた。
奥歯が軋む。
あの野郎、勝手に掴みやがったな。
イライラが胸の奥に渦巻く。
視界が狭くなる。
戦場で敵を狙うときとは違う、もっと原始的で、どうしようもなく不快な怒りだった。

「触ってんじゃ、ねぇよ」

大股で、足が自然に動き出す。
群衆をすり抜け、最短距離で2人の後ろに回り込んだ。
小さく深呼吸をして、スメラギの肩に、優しく左手を伸ばした。


+++++++


「俺のツレに、何か用かい?」

耳に馴染んだ、落ち着き、軽く問うような声音。
スメラギが顔を上げると、そこにはロックオンが立っていた。
男とスメラギの間に割り込むように立つロックオンは、いつものように微笑んでいる。
しかし何故か目は全く笑っていない。
スメラギの腕を掴んでいた男は一瞬動きを止めた。

「……は?この人の、ツレ?」

訝しむように男はロックオンの顔を眺めている。
スメラギの右手首は未だに拘束されていた。

「そうだよ。これ以上彼女の手を掴んでいるつもりなら、話が変わるぞ?この人は俺の大事な人だ」

スメラギから見えない位置で、ロックオンの右手が動く。
音もなく腰のホルスターから、小型の銃が抜き出される。
冷たく硬い金属の感触が、男の背中に突き付けられた。

「……っ」

男の顔が一気に青ざめた。
ロックオンは声のトーンを変えず、微笑んだ。
ブルーグリーンの瞳は男の目線を絡め取る。
口元は弧を描いているが、全く、笑っていない。
むしろ射殺してしまいそうな冷たさを孕んでいる。

「わかったか?」

男は慌てて手を離し、後退った。

「わ、わかった……!悪かったよ!」

そう吐き捨てるように言い残し、男は人混みに紛れて走って消えた。
ロックオンは素早く銃をホルスターに戻し、スメラギの肩から手を離した。

「……ロックオン」

静かにスメラギが呼ぶと、ロックオンは肩を竦めた。

「よう、凄い偶然だな。同じ街に居るなんて」

「本当に。凄い偶然」

まだ見られているかもしれないと、ロックオンはスメラギに左腕を差し出した。
少し躊躇って、スメラギは腕を絡ませる。

「ありがとう、助かったわ。でも、銃まで抜く必要はあった?」

「抜いただけさ。撃っちゃいない。それに、あれくらいの方が早く諦めてくれる。戦術予報士殿が無事でよかった」

スメラギは小さく息を吐いた。

「……それはどうも」

「そういや、今日誕生日だろ?ミス・スメラギ」

男が去って行ったのを最後まで確認し、思い出したかのようにロックオンが話す。
スメラギの肩が僅かに強ばる。

「どうして知ってるのよ。……それに、もう祝ってもらう歳じゃないわ。私たちはソレスタルビーイングよ」

「分かってるさ。……それでも、俺は祝いたい。祝いたいと思ってる」

ロックオンの声は、いつもの軽さの中にどこか真剣な響きを帯びていた。

「祝いたいと思っていたんだが、少し、悔しいんだ」

「悔しい?どうして?」

ロックオンは照れくさそうに頬を掻きながら視線を逸らした。

「せっかく1歳差だったのに、また開いちまう…。対等か…少しでも年上に生まれたかった」

何を告白されているんだろう、スメラギは目を丸くした。
彼女は小さく吹き出して、ロックオンを優しく見つめた。

「……何言ってるの…?」

「ほら、そうやって年下扱いだよ」

「実際年下じゃない」

「分かってるよ!」

ロックオンの頬が赤い。
スメラギはこの何気ないやり取りに泣きそうな気持ちになった。
気にかけてくれる人が居る事が、嬉しくて。
口元が緩んでしまう。

「……ばかね」

「自分でもそう思ってるよ!……かっこ悪い」

2人はそのまましばらく、並んで歩いていた。
陽射しが柔らかくアスファルトを照らしている。
スメラギはふと先程まで考えていた事を思い出す。
いいホテルで、いいお酒を飲みたい。

「……ロックオン」

「ん?」

「良かったら、少し付き合ってくれない?いいお酒が飲めるお店を探してるの」

ロックオンは驚いたような顔で一瞬目を見開き、くしゃりと笑った。

「いいぜ、丁度暇してたから」

ロックオンの腕をスメラギがぎゅっと握った。

「とりあえずミス・スメラギ、誕生日おめでとう」

「やめて、年取っちゃうから」

「そりゃ失礼した。お詫びに奢る」

「結構よ。一緒に飲んでくれるだけで充分嬉しいの」

「俺にお相手が務まるかねぇ?」

「嫌ならいいけど?」

「ば〜か、言葉の綾だよ」

夕暮れが近づく街角で、2人の影が長く伸びる。
互いに言葉の端々が甘い気がするのは、これから飲む最高の酒に想いを馳せているからだと言い聞かせて、歩みを止めなかった。

隣を、同じ速度で。
18/18ページ
スキ