夜空に明星
:ホットケーキ:
「ねえねえ光ちゃん、ホットケーキが食べたい」
部活後に、2人で訪れたファミレスの中。
メニューを開いたままで、羽山が黒瀬にそう強請る。
「……頼めばいい」
主食を選ぶよりも先に開いていたページには、数種類のデザートの写真が散らばっている。
その写真の中に、アイス付きのホットケーキがある。
アイスの種類は選べる上に、蜂蜜かメープルシロップがお好みで選べるという豪華な仕様だ。
「違うよ、光ちゃんが作ったやつ。今日じゃなくていいから」
「…………いいけど」
「ほんと?やったやった」
羽山は嬉しそうに笑ってから、デザートにもう用は無いと言わんばかりに、ページを主食の一覧へと戻した。
「……」
──皐は昔から、ホットケーキが大好きだ。
思いついた時に、気まぐれに、作ってくれとせがむ。
そのくせ外食の時、その店にホットケーキがあっても食べない。
どれだけ評判が良くても豪華でも、そこまで興味を示さずに他のものを食べるから、よくわからないと黒瀬は思う。
「光ちゃん決めた?」
「決めてた」
「そっか、おまたせ。何頼んだの?」
「これ……カレードリア」
「わかった。あ、すみませーん」
近くでテーブルを拭いていた店員に羽山が声をかけると、すぐに注文を伺いに来た。
「カレードリアと、イカスミパスタと……あと苺パフェ一つ」
羽山が2人分のメニューを告げる。最後に、デザート。ちらりと黒瀬に顔を向けた。
前髪に隠されている瞳は恐らく、「一緒に食べよう」と語っている。
──何故、皐は自分の好物は頼まずに、こちらの好物は頼むのだろう。
***
ファミレスでの約束から数日経った。
幾つかの材料を持ち込んだ黒瀬が、羽山の家に泊まった、次の日の朝。
その日は高校も休みで、家主である皐の叔父も仕事で留守にしていた。
羽山よりも先に目が覚めた黒瀬は、さっそく準備を始める。
ホットケーキミックスの粉に、卵に牛乳。
特にこれ以上、生地の材料は無い。
バニラエッセンスやココアパウダーなどの、アレンジを加える事は無い。
ボールの中に入れた材料が、泡だて器で混ぜられていく。
適度に混ぜられた生地を、熱したフライパンに流し入れた。
しばらくして、表面に気泡が浮かんできたホットケーキをフライ返しでひっくり返す。
ぱふん、と軽く音を立てながら、焼けた面が上になる。
長年、羽山の為に作り続けたからか、それなりに綺麗な焼き色がついて、綺麗な円形になっている。
だがそれ以外は、いたって普通だ。
ホットケーキミックスの袋の裏に書いてある、レシピ通りに作った。
最後にはバターとメープルシロップ、お手本のようなホットケーキだ。
材料は何処のスーパーにでも売っている。アイスもついていないし、蜂蜜も使わない。
盛り付けも、こだわりなんて一切ない。
自分が作るものよりも、飲食店で出される物の方が、数倍美味しいと断言できる。
焼きあがったホットケーキを、真っ白な丸皿に乗せて。
薄く湯気の立つそれに、バターをのせて琥珀色のメープルシロップを垂らして。
まるでお手本のようなホットケーキ。
けれど、これで皐が喜ぶから、いいかと黒瀬は思う。
皐が泣いてしまうよりは、ずっといい。
喜ぶ顔が見たいから、そろそろ起きてもらおう。
***
***
──光ちゃんの作るホットケーキは昔から大好きだ。
「好き」の理由は今でも覚えている。
初めて出会ってから一緒に遊ぶようになった、小学校時代のある日。
友達が居なかった自分にとって、光ちゃんは初めての友達だった。
どうやって他人と仲良くすればいいのか解らないまま、光ちゃんの家に遊びに行くことになった。
家には、自分たち以外に誰もいなくて、しんとしていて、冷たくて。
少し違っていたけれど、僕の家みたいだと思いながら、黙って光ちゃんの後を追った。
光ちゃんの部屋で、何をしたのかは、あんまり覚えていない。
仲良くする方法がわからなくて、自分は黙っていたのかもしれない。
どちらも、黙っていたのかもしれない。
ただ、3時のおやつに光ちゃんがホットケーキを作ってくれたことを覚えている。
その時のホットケーキは、表面はまだらに焦げていて、形も歪で、バターもメープルシロップもかけ過ぎていたけれど。
──それでも、僕に作ってくれた事が嬉しくて、何故だか涙が出てきてしまった。
光ちゃんはその事を覚えていないかもしれないけど、それでもいい。
だって今でもホットケーキを作ってくれるから。
:安眠:
「……俺、寝るのがこわいんだ」
羽山の幼い記憶の中、それは黒瀬が言った。
怖いと言っても、怯えのような気配は無く淡々と。
「なんで?」
「わかんない」
黒瀬はまるで、何かに諦めているような声を出す。
ただ、幼い日の羽山には、声から感情を読み取ることは出来なかった。
「うーん、おばけ怖い?」
「違う、おばけは居ないから」
「ええー、居るかもしれないよ?」
「朝まで起きてても、何もいなかった」
その時は、朝まで起きていて眠たくならないのかな、何て呑気な心配をしていた。
朝まで眠る事が出来ないという深刻さなど、微塵も思いつかなかった。
「そっか。じゃあ何だろうね」
「さあ……わかんない。けど、怖い」
羽山は、夜が怖いという気持ちならわかるが、眠りが怖いという感覚は解らなかった。
けれど、恐怖という感情が、辛くて悲しくて、苦しい事はわかる気がした。
「えっとね、僕もわかんないけど。お泊りすれば僕が一緒だよ」
「……お泊り?」
「うん!……えっと、お、お母さんに頼んでみる。だめって言われても頑張るから」
親に、何かを頼むのは勇気がいたけれど。
「……」
「お泊り出来たら、そうしたら、光ちゃんが寝るまで、隣で一緒に起きてる」
黒瀬が眠れないまま怖い思いを抱えているのが、羽山は嫌だった。
「……うん」
あまり表情を動かさない黒瀬が、僅かに俯いて、ほんのりと赤い顔で呟いた。
「だからね光ちゃん──」
***
懐かしい記憶を夢に見た。
珍しく、夜中に目が覚めた羽山がベットサイドの置時計に目を向ける。
午前3時。幼い頃の自分なら、怖がっている時間帯だと思い、ふと笑みが浮かぶ。
背に感じる温度に安心しつつ、水でも飲もうかとベッドから降りる。
ベッドの壁際の半分。布団からはみ出る黒い髪。
ぐっすりと眠る黒瀬を眺めて、羽山が微笑む。
──俺、寝るのが怖いんだ。
羽山と共に眠るようになってから、黒瀬からそういう話は、殆ど聞かなくなった。
怖い思いをしていないのなら、良い。
黒瀬の心を守れているのなら、幸せだと羽山は思う。
──だからね光ちゃん。
もう大丈夫だよ。おやすみなさい。
「ねえねえ光ちゃん、ホットケーキが食べたい」
部活後に、2人で訪れたファミレスの中。
メニューを開いたままで、羽山が黒瀬にそう強請る。
「……頼めばいい」
主食を選ぶよりも先に開いていたページには、数種類のデザートの写真が散らばっている。
その写真の中に、アイス付きのホットケーキがある。
アイスの種類は選べる上に、蜂蜜かメープルシロップがお好みで選べるという豪華な仕様だ。
「違うよ、光ちゃんが作ったやつ。今日じゃなくていいから」
「…………いいけど」
「ほんと?やったやった」
羽山は嬉しそうに笑ってから、デザートにもう用は無いと言わんばかりに、ページを主食の一覧へと戻した。
「……」
──皐は昔から、ホットケーキが大好きだ。
思いついた時に、気まぐれに、作ってくれとせがむ。
そのくせ外食の時、その店にホットケーキがあっても食べない。
どれだけ評判が良くても豪華でも、そこまで興味を示さずに他のものを食べるから、よくわからないと黒瀬は思う。
「光ちゃん決めた?」
「決めてた」
「そっか、おまたせ。何頼んだの?」
「これ……カレードリア」
「わかった。あ、すみませーん」
近くでテーブルを拭いていた店員に羽山が声をかけると、すぐに注文を伺いに来た。
「カレードリアと、イカスミパスタと……あと苺パフェ一つ」
羽山が2人分のメニューを告げる。最後に、デザート。ちらりと黒瀬に顔を向けた。
前髪に隠されている瞳は恐らく、「一緒に食べよう」と語っている。
──何故、皐は自分の好物は頼まずに、こちらの好物は頼むのだろう。
***
ファミレスでの約束から数日経った。
幾つかの材料を持ち込んだ黒瀬が、羽山の家に泊まった、次の日の朝。
その日は高校も休みで、家主である皐の叔父も仕事で留守にしていた。
羽山よりも先に目が覚めた黒瀬は、さっそく準備を始める。
ホットケーキミックスの粉に、卵に牛乳。
特にこれ以上、生地の材料は無い。
バニラエッセンスやココアパウダーなどの、アレンジを加える事は無い。
ボールの中に入れた材料が、泡だて器で混ぜられていく。
適度に混ぜられた生地を、熱したフライパンに流し入れた。
しばらくして、表面に気泡が浮かんできたホットケーキをフライ返しでひっくり返す。
ぱふん、と軽く音を立てながら、焼けた面が上になる。
長年、羽山の為に作り続けたからか、それなりに綺麗な焼き色がついて、綺麗な円形になっている。
だがそれ以外は、いたって普通だ。
ホットケーキミックスの袋の裏に書いてある、レシピ通りに作った。
最後にはバターとメープルシロップ、お手本のようなホットケーキだ。
材料は何処のスーパーにでも売っている。アイスもついていないし、蜂蜜も使わない。
盛り付けも、こだわりなんて一切ない。
自分が作るものよりも、飲食店で出される物の方が、数倍美味しいと断言できる。
焼きあがったホットケーキを、真っ白な丸皿に乗せて。
薄く湯気の立つそれに、バターをのせて琥珀色のメープルシロップを垂らして。
まるでお手本のようなホットケーキ。
けれど、これで皐が喜ぶから、いいかと黒瀬は思う。
皐が泣いてしまうよりは、ずっといい。
喜ぶ顔が見たいから、そろそろ起きてもらおう。
***
***
──光ちゃんの作るホットケーキは昔から大好きだ。
「好き」の理由は今でも覚えている。
初めて出会ってから一緒に遊ぶようになった、小学校時代のある日。
友達が居なかった自分にとって、光ちゃんは初めての友達だった。
どうやって他人と仲良くすればいいのか解らないまま、光ちゃんの家に遊びに行くことになった。
家には、自分たち以外に誰もいなくて、しんとしていて、冷たくて。
少し違っていたけれど、僕の家みたいだと思いながら、黙って光ちゃんの後を追った。
光ちゃんの部屋で、何をしたのかは、あんまり覚えていない。
仲良くする方法がわからなくて、自分は黙っていたのかもしれない。
どちらも、黙っていたのかもしれない。
ただ、3時のおやつに光ちゃんがホットケーキを作ってくれたことを覚えている。
その時のホットケーキは、表面はまだらに焦げていて、形も歪で、バターもメープルシロップもかけ過ぎていたけれど。
──それでも、僕に作ってくれた事が嬉しくて、何故だか涙が出てきてしまった。
光ちゃんはその事を覚えていないかもしれないけど、それでもいい。
だって今でもホットケーキを作ってくれるから。
:安眠:
「……俺、寝るのがこわいんだ」
羽山の幼い記憶の中、それは黒瀬が言った。
怖いと言っても、怯えのような気配は無く淡々と。
「なんで?」
「わかんない」
黒瀬はまるで、何かに諦めているような声を出す。
ただ、幼い日の羽山には、声から感情を読み取ることは出来なかった。
「うーん、おばけ怖い?」
「違う、おばけは居ないから」
「ええー、居るかもしれないよ?」
「朝まで起きてても、何もいなかった」
その時は、朝まで起きていて眠たくならないのかな、何て呑気な心配をしていた。
朝まで眠る事が出来ないという深刻さなど、微塵も思いつかなかった。
「そっか。じゃあ何だろうね」
「さあ……わかんない。けど、怖い」
羽山は、夜が怖いという気持ちならわかるが、眠りが怖いという感覚は解らなかった。
けれど、恐怖という感情が、辛くて悲しくて、苦しい事はわかる気がした。
「えっとね、僕もわかんないけど。お泊りすれば僕が一緒だよ」
「……お泊り?」
「うん!……えっと、お、お母さんに頼んでみる。だめって言われても頑張るから」
親に、何かを頼むのは勇気がいたけれど。
「……」
「お泊り出来たら、そうしたら、光ちゃんが寝るまで、隣で一緒に起きてる」
黒瀬が眠れないまま怖い思いを抱えているのが、羽山は嫌だった。
「……うん」
あまり表情を動かさない黒瀬が、僅かに俯いて、ほんのりと赤い顔で呟いた。
「だからね光ちゃん──」
***
懐かしい記憶を夢に見た。
珍しく、夜中に目が覚めた羽山がベットサイドの置時計に目を向ける。
午前3時。幼い頃の自分なら、怖がっている時間帯だと思い、ふと笑みが浮かぶ。
背に感じる温度に安心しつつ、水でも飲もうかとベッドから降りる。
ベッドの壁際の半分。布団からはみ出る黒い髪。
ぐっすりと眠る黒瀬を眺めて、羽山が微笑む。
──俺、寝るのが怖いんだ。
羽山と共に眠るようになってから、黒瀬からそういう話は、殆ど聞かなくなった。
怖い思いをしていないのなら、良い。
黒瀬の心を守れているのなら、幸せだと羽山は思う。
──だからね光ちゃん。
もう大丈夫だよ。おやすみなさい。