雨雲の日々
何年かぶりにあった同級生、出雲修司が喫煙者になっていた。
いつかのクラス会で最後に会った時には、煙草を吸っていなかったはずだ。
記憶が微妙に曖昧なのは、出雲がある時期から、同窓会やクラス会に一切顔を出さなくなっていたせいだろう。
数年に一度のクラス会。幹事ではなかったが、必ず出席していた。
その時は、なんというか、普通だった。
高校時代と変わらずに、気だるそうな目をした、真面目な男のままだった。
「煙草は体に悪いだろ」と、彼はよく友人に言っていた。
煙草の匂いもしないような男が、今になってと、正直驚いた。
だが、人は変わるものだろうから、心境の変化など特別なことでもないのかもしれない。
同窓会にもでなくなっていたのは、日々の生活が忙しい、そんなよくある理由からかもしれない。
「お前って煙草吸うっけ?」
大して楽しくもなさそうな表情で煙草を吸っている同級生に、ちょっとした好奇心から、聞いてみる。
「……ああ」
「でも前は吸ってなかったよな、たしか」
「……最近、だな。吸うようにしたのは」
「身体に悪い、とか言ってたくせにな」
からかうように、軽い気持ちでそんなことを言った。
「そうだな。身体に悪いな」
そういって薄っすらと笑みを浮かべた、出雲修司に違和感を覚えた。らしくない、という違和感を。
一本、吸い終えた出雲が、もう1本、箱から煙草を取り出す。
どうやら最後の一本のようだ。
オイルの少なくなった、透明なプラスチックで出来た100円ライターを取り出し、慣れた手つきで煙草を咥えて火をつける。
その動作を見て、ますます違和感は強まるばかりだ。
会話を切り上げてもよかった。
出雲は特別、仲の良い友人、というほどの付き合いではないのだから。
「……何吸ってんの、銘柄」
違和感の原因に近づく必要はないのに、会話を続けてしまった。
「銘柄……さあ、気にしたことが無いな」
「なんだそりゃ」
「取りあえず安いのを適当に。毎回違うのがでてくる」
「……不味いのに当たったら嫌じゃね?」
「煙草は全部不味いだろ」
訳がわからない。
そもそも、なんでこの男が、煙草を吸っている?
身体に悪い、どれも不味い、煙草に良い評価は無いのに。
嗜好品でもない、昔からの根っこは変わってないのにだ。
──そうだな。身体に悪いな。
じゃあ、じゃあまるでこれは。
「なんでお前吸ってんの」
聞いてしまった。
だが聞いたところで。
「吸いたいから」
まともな答えが返ってくるとは思えなかった。
「……ほどほどにな」
「ああ」
表情一つ変えない、これはきっと生返事だ。
これを吸い終わったら、煙草を買いに行くんだろうと思った。
出雲修司は、自分を壊すために、煙草を吸っているのだろうなと、何となく気が付いてしまったけれど。
止めてやるほどの仲ではなかった。
***
チクチクとした、苦い喉への違和感、残り香、危険性。
何一つとして好きになれないと、台所の換気扇の下で、煙草を吸いながら出雲は思う。
慣れとは恐ろしいもので、今ではもう、煙で咽ることもなければ、涙が滲むこともない。
自身が担当していた先生は、時々、本当に時々、煙草を吸っていた。
それはもう意外で、似合わない姿で、紫煙をくゆらせていた。
身体に悪いと、1度だけは口を出した。1度だけだ。煙草を吸う自由はあるからだ。
「……ああ、もう空か」
最後の1本を吸い終え、灰皿に押し付けた。
明日、出勤時にでも買わなければ。
「……」
いや、1箱ある。ベッド横のサイドテーブル、引き出しの中に。
左雨柳が遺した、開封済みの半端な煙草が。
貰った訳ではない。
家主の死後に、左雨の家で見つけて、衝動的に持ち帰った盗品だ。
出雲は未だに、手を付けられずにいた。
サイドテーブルの引き出しを開けると、鮮やかな黄色いパッケージが目に留まる。
手に取り、煙草を吸う──ことは出来なかった。
箱を戻して、引き出しを閉めた。
「……はっ」
出雲はそんな自分を嗤う。
──今のこの姿を見たら、柳さんはどう思うのだろうか。
呆れるのか、笑うのか、似合わないとでも言うのか。
案外、悲しむか、怒るのか。
ねえ、柳さん。
アンタが居る場所まで、俺は走りはしません、近道もしません。
だけど、早歩きをするくらいは、許してくれるでしょう?
辿り着いた時に、どんな顔をされるのか、もう想像も出来ないけれど。
明日も仕事がある。
支障をきたさないために、眠りにつく。
出雲修司は、明日も、早歩きをするために煙草を吸う。
いつかのクラス会で最後に会った時には、煙草を吸っていなかったはずだ。
記憶が微妙に曖昧なのは、出雲がある時期から、同窓会やクラス会に一切顔を出さなくなっていたせいだろう。
数年に一度のクラス会。幹事ではなかったが、必ず出席していた。
その時は、なんというか、普通だった。
高校時代と変わらずに、気だるそうな目をした、真面目な男のままだった。
「煙草は体に悪いだろ」と、彼はよく友人に言っていた。
煙草の匂いもしないような男が、今になってと、正直驚いた。
だが、人は変わるものだろうから、心境の変化など特別なことでもないのかもしれない。
同窓会にもでなくなっていたのは、日々の生活が忙しい、そんなよくある理由からかもしれない。
「お前って煙草吸うっけ?」
大して楽しくもなさそうな表情で煙草を吸っている同級生に、ちょっとした好奇心から、聞いてみる。
「……ああ」
「でも前は吸ってなかったよな、たしか」
「……最近、だな。吸うようにしたのは」
「身体に悪い、とか言ってたくせにな」
からかうように、軽い気持ちでそんなことを言った。
「そうだな。身体に悪いな」
そういって薄っすらと笑みを浮かべた、出雲修司に違和感を覚えた。らしくない、という違和感を。
一本、吸い終えた出雲が、もう1本、箱から煙草を取り出す。
どうやら最後の一本のようだ。
オイルの少なくなった、透明なプラスチックで出来た100円ライターを取り出し、慣れた手つきで煙草を咥えて火をつける。
その動作を見て、ますます違和感は強まるばかりだ。
会話を切り上げてもよかった。
出雲は特別、仲の良い友人、というほどの付き合いではないのだから。
「……何吸ってんの、銘柄」
違和感の原因に近づく必要はないのに、会話を続けてしまった。
「銘柄……さあ、気にしたことが無いな」
「なんだそりゃ」
「取りあえず安いのを適当に。毎回違うのがでてくる」
「……不味いのに当たったら嫌じゃね?」
「煙草は全部不味いだろ」
訳がわからない。
そもそも、なんでこの男が、煙草を吸っている?
身体に悪い、どれも不味い、煙草に良い評価は無いのに。
嗜好品でもない、昔からの根っこは変わってないのにだ。
──そうだな。身体に悪いな。
じゃあ、じゃあまるでこれは。
「なんでお前吸ってんの」
聞いてしまった。
だが聞いたところで。
「吸いたいから」
まともな答えが返ってくるとは思えなかった。
「……ほどほどにな」
「ああ」
表情一つ変えない、これはきっと生返事だ。
これを吸い終わったら、煙草を買いに行くんだろうと思った。
出雲修司は、自分を壊すために、煙草を吸っているのだろうなと、何となく気が付いてしまったけれど。
止めてやるほどの仲ではなかった。
***
チクチクとした、苦い喉への違和感、残り香、危険性。
何一つとして好きになれないと、台所の換気扇の下で、煙草を吸いながら出雲は思う。
慣れとは恐ろしいもので、今ではもう、煙で咽ることもなければ、涙が滲むこともない。
自身が担当していた先生は、時々、本当に時々、煙草を吸っていた。
それはもう意外で、似合わない姿で、紫煙をくゆらせていた。
身体に悪いと、1度だけは口を出した。1度だけだ。煙草を吸う自由はあるからだ。
「……ああ、もう空か」
最後の1本を吸い終え、灰皿に押し付けた。
明日、出勤時にでも買わなければ。
「……」
いや、1箱ある。ベッド横のサイドテーブル、引き出しの中に。
左雨柳が遺した、開封済みの半端な煙草が。
貰った訳ではない。
家主の死後に、左雨の家で見つけて、衝動的に持ち帰った盗品だ。
出雲は未だに、手を付けられずにいた。
サイドテーブルの引き出しを開けると、鮮やかな黄色いパッケージが目に留まる。
手に取り、煙草を吸う──ことは出来なかった。
箱を戻して、引き出しを閉めた。
「……はっ」
出雲はそんな自分を嗤う。
──今のこの姿を見たら、柳さんはどう思うのだろうか。
呆れるのか、笑うのか、似合わないとでも言うのか。
案外、悲しむか、怒るのか。
ねえ、柳さん。
アンタが居る場所まで、俺は走りはしません、近道もしません。
だけど、早歩きをするくらいは、許してくれるでしょう?
辿り着いた時に、どんな顔をされるのか、もう想像も出来ないけれど。
明日も仕事がある。
支障をきたさないために、眠りにつく。
出雲修司は、明日も、早歩きをするために煙草を吸う。
