雨雲の日々
:惣菜:
カートの車輪の音が、ゆったりと進む。
献立は決めていない。
スーパーの中をうろついていれば、適当に思いつくだろう。
「今日は何にしましょうか」
「家に、ほうれん草のお浸しの作り置きがあるよ」
「いいですね。じゃあ、メインは……」
ふと、出雲の目が留まったのは、総菜コーナー。
ただいま揚げたてです、と店員の声。
買い物中の、主婦や仕事終わりの会社員が、声につられて集まってゆく。
「先生、ちょっと……行ってもいいすか」
「うん?どうぞ。人が多いし、カート押すの変わるよ」
カートを押しているのは出雲本人なのだから、自由に進めばいいのに。
許可を求めてくるのが、少し、後輩感のようなものを感じて、左雨は面白かった。
揚げたてだという、コロッケやメンチカツ、エビフライやアジフライ。
しっかりと火が通された、濃いきつね色の衣が食欲をそそる。
僅かに歩みの速度を上げた出雲の後を、左雨が付いて行く。
その足取りが、僅かに機嫌良く見えて。
「……君って、惣菜とか選ぶの好き?」
左雨の問いかけに、出雲は至って平常時の、真顔に近い表情で答えた。
「ええ。そういうのって、わくわくするでしょう?」
"わくわく"とは距離のありそうな表情をした男の答えは、あまりにも意外だった。
左雨は、意外という気持ちを隠さずに声に乗せる。
「全部作るのが好きなのかと思った」
「まあ……1から作るの、嫌いじゃないですけど」
「僕の家に惣菜を持ってきたこと無かったから、主義なのかと」
「それは……なんというか、格好付けです」
「……?」
"格好つけ"の意図が掴めずにいる左雨が、出雲を窺う様に見た。
「先生が、俺の料理を美味そうに食べてくれるんで……まあ、はい」
出雲の答えは、わざと不明瞭にされていて、答え難いような、気恥ずかしさのような感情が入り混じる。
左雨は、その出雲の様子から"格好つけ"の意図を理解した。
元をたどれば、自分の為に全てを手作りしてくれていたのだと。
ああ、えっと、と言葉に詰まりながら、左雨は「ありがとう」と言った。
「でも、惣菜も、僕は嬉しいよ。……君が選んだ物を、食べてみたいんだ」
「……じゃあ、時々は持っていきます」
「うん。……今日は、どれにしようか」
君の好きな物を選んでよと、左雨が笑う。
わかりました、と微笑む出雲が、出来立ての惣菜に向き合う。
トングを持ち、惣菜を選ぶその背は、何だかとても、楽しそうに見えた。
:その微笑みは:
「探さなくても、良かったんじゃないですか」
出雲の言葉は、いつも以上に静かな声色に乗せられている。
感情を抑えていると、こんな声になるのだろうと左雨は思った。
「……持ち主が解っていたから。それは返してあげなくちゃ」
「先輩は、探して……やったんでしょう」
「……」
探していたのは、ビーズで作られた携帯のストラップ。
左雨のクラスメイトが無くしてしまった物だった。
「あんな人の、為に」
そのクラスメイトには幼い妹がいて、ストラップは妹からのプレゼントらしい。
妹想いで、サッカーが好きで、友人の多いクラスメイトなのだと左雨が言っていたが。
出雲は納得がいかない。左雨のクライスメイトの、普段の人柄がどうであれ。
自分の目の前で、要約すれば「頭が可笑しい」という内容の言葉を先輩に吐き掛けた。
そんな人間の為に、暴言を吐かれた当人は落し物を探したのだ。
最初は詳しい事を伏せたまま、出雲にもそれとなくストラップを見なかったかと左雨が聞いた。
在処は知らなかったが、その流れで出雲も探すのを手伝った。
ようやく見つけて、渡しに行って──クラスメイトは礼の一つもなく、左雨の手から乱暴にストラップを持って行ったのだ。
その態度を見た出雲は、咄嗟に後を追おうとしたが、左雨に止められた。
だから、思わず言ってしまった。探さなくても良かっただろうと。
「……僕が勝手にしたことだよ」
「……そう、でしょうけど」
「……彼は、困っていたから。誰にも言わずに探していたのを……僕が知っちゃっただけなんだよ」
左雨は笑っていた。固くて苦そうな笑い方で。
出雲は、その笑顔が受け入れがたかった。
「俺には、解りません……アンタは人が良いから、そう、出来るんだと思いますが」
「……褒められた?」
「……一応は」
ふふ、と声を漏らして左雨が笑った。
その苦笑は、嫌いではなかったけれど。
「けどね。これは、僕の人柄とかじゃなくて……もっと、単にさ」
僅かに俯いて、これまでとはまた違う微笑を左雨が浮かべた。
「……困っていたら、助けてほしいじゃないか」
例えるならば、とすり、と。
出雲は心の何処かに、細い刃物が突き刺さったような感覚がした。
左雨の表情は、先程受け入れがたいと思った笑顔よりも、遥かに酷な微笑みに見えた。
これは出雲の、勝手な想像でしかないが。
先輩が助けてほしいと思ったとき、そこには誰か、何かが居たのだろうか。
その表情は──居なかった者が、諦めの果てに浮かべる微笑みではないのだろうか。
この妄想の真偽を、出雲は聞いてしまおうかと思った。思ったが、すぐにやめた。
聞いた所で、意味がないからだ。
どんな答えでも、結局は自分を納得させる為の材料にしかならない。
それは、相手の為ではないのだから。
「……やっぱり、人が良いですよ」
「……褒めても何も出ないよ」
「いりません。……先輩」
「なに?」
「俺は、あの人の態度が許せないし、先輩への暴言にも怒ってます」
「……」
「怒ってますから」
左雨の行動が、間違っているとも、間違っていないとも言わない分、自分の意思だけを。
出雲は棘の無い声で、はっきりと言い切った。
「……うん。……ありがとう」
それは消え入りそうな、小さな声だった。涙を流さない人間の、小さな感謝だった。
カートの車輪の音が、ゆったりと進む。
献立は決めていない。
スーパーの中をうろついていれば、適当に思いつくだろう。
「今日は何にしましょうか」
「家に、ほうれん草のお浸しの作り置きがあるよ」
「いいですね。じゃあ、メインは……」
ふと、出雲の目が留まったのは、総菜コーナー。
ただいま揚げたてです、と店員の声。
買い物中の、主婦や仕事終わりの会社員が、声につられて集まってゆく。
「先生、ちょっと……行ってもいいすか」
「うん?どうぞ。人が多いし、カート押すの変わるよ」
カートを押しているのは出雲本人なのだから、自由に進めばいいのに。
許可を求めてくるのが、少し、後輩感のようなものを感じて、左雨は面白かった。
揚げたてだという、コロッケやメンチカツ、エビフライやアジフライ。
しっかりと火が通された、濃いきつね色の衣が食欲をそそる。
僅かに歩みの速度を上げた出雲の後を、左雨が付いて行く。
その足取りが、僅かに機嫌良く見えて。
「……君って、惣菜とか選ぶの好き?」
左雨の問いかけに、出雲は至って平常時の、真顔に近い表情で答えた。
「ええ。そういうのって、わくわくするでしょう?」
"わくわく"とは距離のありそうな表情をした男の答えは、あまりにも意外だった。
左雨は、意外という気持ちを隠さずに声に乗せる。
「全部作るのが好きなのかと思った」
「まあ……1から作るの、嫌いじゃないですけど」
「僕の家に惣菜を持ってきたこと無かったから、主義なのかと」
「それは……なんというか、格好付けです」
「……?」
"格好つけ"の意図が掴めずにいる左雨が、出雲を窺う様に見た。
「先生が、俺の料理を美味そうに食べてくれるんで……まあ、はい」
出雲の答えは、わざと不明瞭にされていて、答え難いような、気恥ずかしさのような感情が入り混じる。
左雨は、その出雲の様子から"格好つけ"の意図を理解した。
元をたどれば、自分の為に全てを手作りしてくれていたのだと。
ああ、えっと、と言葉に詰まりながら、左雨は「ありがとう」と言った。
「でも、惣菜も、僕は嬉しいよ。……君が選んだ物を、食べてみたいんだ」
「……じゃあ、時々は持っていきます」
「うん。……今日は、どれにしようか」
君の好きな物を選んでよと、左雨が笑う。
わかりました、と微笑む出雲が、出来立ての惣菜に向き合う。
トングを持ち、惣菜を選ぶその背は、何だかとても、楽しそうに見えた。
:その微笑みは:
「探さなくても、良かったんじゃないですか」
出雲の言葉は、いつも以上に静かな声色に乗せられている。
感情を抑えていると、こんな声になるのだろうと左雨は思った。
「……持ち主が解っていたから。それは返してあげなくちゃ」
「先輩は、探して……やったんでしょう」
「……」
探していたのは、ビーズで作られた携帯のストラップ。
左雨のクラスメイトが無くしてしまった物だった。
「あんな人の、為に」
そのクラスメイトには幼い妹がいて、ストラップは妹からのプレゼントらしい。
妹想いで、サッカーが好きで、友人の多いクラスメイトなのだと左雨が言っていたが。
出雲は納得がいかない。左雨のクライスメイトの、普段の人柄がどうであれ。
自分の目の前で、要約すれば「頭が可笑しい」という内容の言葉を先輩に吐き掛けた。
そんな人間の為に、暴言を吐かれた当人は落し物を探したのだ。
最初は詳しい事を伏せたまま、出雲にもそれとなくストラップを見なかったかと左雨が聞いた。
在処は知らなかったが、その流れで出雲も探すのを手伝った。
ようやく見つけて、渡しに行って──クラスメイトは礼の一つもなく、左雨の手から乱暴にストラップを持って行ったのだ。
その態度を見た出雲は、咄嗟に後を追おうとしたが、左雨に止められた。
だから、思わず言ってしまった。探さなくても良かっただろうと。
「……僕が勝手にしたことだよ」
「……そう、でしょうけど」
「……彼は、困っていたから。誰にも言わずに探していたのを……僕が知っちゃっただけなんだよ」
左雨は笑っていた。固くて苦そうな笑い方で。
出雲は、その笑顔が受け入れがたかった。
「俺には、解りません……アンタは人が良いから、そう、出来るんだと思いますが」
「……褒められた?」
「……一応は」
ふふ、と声を漏らして左雨が笑った。
その苦笑は、嫌いではなかったけれど。
「けどね。これは、僕の人柄とかじゃなくて……もっと、単にさ」
僅かに俯いて、これまでとはまた違う微笑を左雨が浮かべた。
「……困っていたら、助けてほしいじゃないか」
例えるならば、とすり、と。
出雲は心の何処かに、細い刃物が突き刺さったような感覚がした。
左雨の表情は、先程受け入れがたいと思った笑顔よりも、遥かに酷な微笑みに見えた。
これは出雲の、勝手な想像でしかないが。
先輩が助けてほしいと思ったとき、そこには誰か、何かが居たのだろうか。
その表情は──居なかった者が、諦めの果てに浮かべる微笑みではないのだろうか。
この妄想の真偽を、出雲は聞いてしまおうかと思った。思ったが、すぐにやめた。
聞いた所で、意味がないからだ。
どんな答えでも、結局は自分を納得させる為の材料にしかならない。
それは、相手の為ではないのだから。
「……やっぱり、人が良いですよ」
「……褒めても何も出ないよ」
「いりません。……先輩」
「なに?」
「俺は、あの人の態度が許せないし、先輩への暴言にも怒ってます」
「……」
「怒ってますから」
左雨の行動が、間違っているとも、間違っていないとも言わない分、自分の意思だけを。
出雲は棘の無い声で、はっきりと言い切った。
「……うん。……ありがとう」
それは消え入りそうな、小さな声だった。涙を流さない人間の、小さな感謝だった。
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