このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

雨雲の日々

:惣菜:

カートの車輪の音が、ゆったりと進む。

献立は決めていない。

スーパーの中をうろついていれば、適当に思いつくだろう。

「今日は何にしましょうか」

「家に、ほうれん草のお浸しの作り置きがあるよ」

「いいですね。じゃあ、メインは……」

ふと、出雲の目が留まったのは、総菜コーナー。

ただいま揚げたてです、と店員の声。

買い物中の、主婦や仕事終わりの会社員が、声につられて集まってゆく。

「先生、ちょっと……行ってもいいすか」

「うん?どうぞ。人が多いし、カート押すの変わるよ」

カートを押しているのは出雲本人なのだから、自由に進めばいいのに。

許可を求めてくるのが、少し、後輩感のようなものを感じて、左雨は面白かった。

揚げたてだという、コロッケやメンチカツ、エビフライやアジフライ。

しっかりと火が通された、濃いきつね色の衣が食欲をそそる。

僅かに歩みの速度を上げた出雲の後を、左雨が付いて行く。

その足取りが、僅かに機嫌良く見えて。

「……君って、惣菜とか選ぶの好き?」

左雨の問いかけに、出雲は至って平常時の、真顔に近い表情で答えた。

「ええ。そういうのって、わくわくするでしょう?」

"わくわく"とは距離のありそうな表情をした男の答えは、あまりにも意外だった。

左雨は、意外という気持ちを隠さずに声に乗せる。

「全部作るのが好きなのかと思った」

「まあ……1から作るの、嫌いじゃないですけど」

「僕の家に惣菜を持ってきたこと無かったから、主義なのかと」

「それは……なんというか、格好付けです」

「……?」

"格好つけ"の意図が掴めずにいる左雨が、出雲を窺う様に見た。

「先生が、俺の料理を美味そうに食べてくれるんで……まあ、はい」

出雲の答えは、わざと不明瞭にされていて、答え難いような、気恥ずかしさのような感情が入り混じる。

左雨は、その出雲の様子から"格好つけ"の意図を理解した。

元をたどれば、自分の為に全てを手作りしてくれていたのだと。

ああ、えっと、と言葉に詰まりながら、左雨は「ありがとう」と言った。

「でも、惣菜も、僕は嬉しいよ。……君が選んだ物を、食べてみたいんだ」

「……じゃあ、時々は持っていきます」

「うん。……今日は、どれにしようか」

君の好きな物を選んでよと、左雨が笑う。

わかりました、と微笑む出雲が、出来立ての惣菜に向き合う。

トングを持ち、惣菜を選ぶその背は、何だかとても、楽しそうに見えた。


:その微笑みは:

「探さなくても、良かったんじゃないですか」

出雲の言葉は、いつも以上に静かな声色に乗せられている。

感情を抑えていると、こんな声になるのだろうと左雨は思った。

「……持ち主が解っていたから。それは返してあげなくちゃ」

「先輩は、探して……やったんでしょう」

「……」

探していたのは、ビーズで作られた携帯のストラップ。

左雨のクラスメイトが無くしてしまった物だった。

「あんな人の、為に」

そのクラスメイトには幼い妹がいて、ストラップは妹からのプレゼントらしい。

妹想いで、サッカーが好きで、友人の多いクラスメイトなのだと左雨が言っていたが。

出雲は納得がいかない。左雨のクライスメイトの、普段の人柄がどうであれ。

自分の目の前で、要約すれば「頭が可笑しい」という内容の言葉を先輩に吐き掛けた。

そんな人間の為に、暴言を吐かれた当人は落し物を探したのだ。

最初は詳しい事を伏せたまま、出雲にもそれとなくストラップを見なかったかと左雨が聞いた。

在処は知らなかったが、その流れで出雲も探すのを手伝った。

ようやく見つけて、渡しに行って──クラスメイトは礼の一つもなく、左雨の手から乱暴にストラップを持って行ったのだ。

その態度を見た出雲は、咄嗟に後を追おうとしたが、左雨に止められた。

だから、思わず言ってしまった。探さなくても良かっただろうと。

「……僕が勝手にしたことだよ」

「……そう、でしょうけど」

「……彼は、困っていたから。誰にも言わずに探していたのを……僕が知っちゃっただけなんだよ」

左雨は笑っていた。固くて苦そうな笑い方で。

出雲は、その笑顔が受け入れがたかった。

「俺には、解りません……アンタは人が良いから、そう、出来るんだと思いますが」

「……褒められた?」

「……一応は」

ふふ、と声を漏らして左雨が笑った。

その苦笑は、嫌いではなかったけれど。

「けどね。これは、僕の人柄とかじゃなくて……もっと、単にさ」

僅かに俯いて、これまでとはまた違う微笑を左雨が浮かべた。

「……困っていたら、助けてほしいじゃないか」

例えるならば、とすり、と。

出雲は心の何処かに、細い刃物が突き刺さったような感覚がした。

左雨の表情は、先程受け入れがたいと思った笑顔よりも、遥かに酷な微笑みに見えた。

これは出雲の、勝手な想像でしかないが。

先輩が助けてほしいと思ったとき、そこには誰か、何かが居たのだろうか。

その表情は──居なかった者が、諦めの果てに浮かべる微笑みではないのだろうか。

この妄想の真偽を、出雲は聞いてしまおうかと思った。思ったが、すぐにやめた。

聞いた所で、意味がないからだ。

どんな答えでも、結局は自分を納得させる為の材料にしかならない。

それは、相手の為ではないのだから。

「……やっぱり、人が良いですよ」

「……褒めても何も出ないよ」

「いりません。……先輩」

「なに?」

「俺は、あの人の態度が許せないし、先輩への暴言にも怒ってます」

「……」

「怒ってますから」

左雨の行動が、間違っているとも、間違っていないとも言わない分、自分の意思だけを。

出雲は棘の無い声で、はっきりと言い切った。

「……うん。……ありがとう」

それは消え入りそうな、小さな声だった。涙を流さない人間の、小さな感謝だった。
20/20ページ
スキ