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雨雲の日々

出雲が初めて、左雨の食事に対する頓着の無さを知ったのは再開してすぐの頃だ。

実家から菓子のお裾分けが届いて、折角だからと左雨の家に届けに行った、終業後。

ちょうど、夕食時だった。

連絡を入れて、すぐに帰るつもりで、けれど左雨の家に上がる事になった。

確か、持っている本の貸し借りもしようという話になっていたような気がする。

そこで偶然、食卓の上に置いてある小鉢を見つけたのだ。

小鉢の中にはトマト。恐らくは、櫛形に切ろうとした形跡のある、潰れたトマトが入っていた。

自室から、いくつか貸すための本を持ってきた左雨に、出雲がこれは間食ですかと聞いたら。

「……晩御飯だよ?」

そこからは、務めて説教臭くならないように質問を繰り返した。

米は? 炊き忘れた。

炊き方は? それは知ってる。

他の夕食は? トマトだけでいいかなぁと。

流石に足りませんよね? そうかなぁ。

冷蔵庫を見ても構いませんね? ……どうぞ?

許可をもらった出雲が、空白の多い、勿体ない冷蔵庫から使えそうな食材を探す。

ジャガイモを1つ見つけた。痛んではいない。卵が3つ余っていた。

「……」

1人暮らしという事情を勘定にいれても、余りにも冷蔵庫の中身が少ない。

「先生……今までの食生活はどうなってます」

「うーん、おばあちゃ……祖母が亡くなった後は、適当だったかもね」

話によると、左雨の祖父母が亡くなり、出雲に再会するまでは約1年半。

その間の生活を出雲が想像してみるが、良いイメージは一つも浮かばない。

「…………ちょっと1品作っていいすか」

「材料とか……足りる?」

「まあ。多少、味が物足りないかもしれませんが一応は」

後、別に"おばあちゃん"呼びでもいいじゃないですかと一言付け加えて、出雲は料理に取り掛かった。

***

ジャガイモの皮を手早く剥き、一口大に切る。

切ったジャガイモをラップに包んで、電子レンジで数分加熱。

その間に、卵を3つ全て割り、塩コショウをしてボールで溶きほぐしておく。

レンジで加熱したジャガイモを、油をひいたフライパンの上で炒める。

座っていて良いと言われ、大人しく椅子に座って待っていた左雨が、やはり何か手伝えないかと出雲の隣に現れた頃には、殆んどの作業が終わっていた。

「……早いね、作業」

「元々、手軽に出来るレシピなんで」

「手伝える事は無いけど、見ててもいい?」

「ええ、勿論」

じゅうじゅうと音を立てるフライパンに、溶いた卵を入れて、ヘラで混ぜていく。

半熟の頃合いで蓋をしめて、弱火で蒸し焼きにする。

「皿、どれ使っていいですか?」

「もう出来るんだ。えっと、何でもいいけど……これとか?」

「ありがとうございます」

火が通り、固まった卵をフライパンをひっくり返して、手渡された皿へと移す。

こうして、出雲は食卓にもう1品、簡素なスペイン風オムレツを追加したのだった。

***

「……凄い。もしかして、昔から作れた?」

調理の手際の良さから、最近覚え始めたとは思えない。

美味しそうな焦げ目のついたオムレツを、左雨は観察するようにじっと見つめていた。

「まあ、そうですね、それなりには。先生、見てたら冷めますよ」

「た、べてもいいんだ」

「ええ、どうぞ」

当たり前だろうと思ったが、口には出さなかった。

多分、この人にとっては、聞いてみないと食べにくいのだろうと、出雲は思った。

「……いただきます」

戸惑いがちに、左雨がオムレツに箸を入れる。

半分を切り取って、新しい皿に取り分ける。

「全部食ってもいいんすけど」

「結構厚みがあるし、多分、これで十分」

左雨が少食だと言うのは事実らしい。

しかし、仮に足りなかった場合を考えて、出雲は半分に割られたオムレツの、更に半分だけを貰った。

オムレツを一切れ、口に運ぶ。

ほくほくとしたジャガイモと、とろりとした卵の温かさ。

多少、具材と味が物足りないが、調理に失敗はしていない。

左雨の食べる様子を見ても、人に出せるレベルの物には収まったようだ。

「トマト、一切れ貰ってもいいですか?」

「えっ、うん、……切るの、失敗したけど」

左雨が、苦笑したまま、恥じるように目を逸らす。

皮が広がり、ぐちゃりと潰れたトマトを器用に箸でつまんで、出雲は自分の皿へと運ぶ。

「味は変わらないんで。……先に軽く切れ込みを入れておくと切りやすいんだとか」

「そうなんだ」

「後は、まあ、包丁で押さないように……引いて切る事を意識してみる、とか」

「切り方か……気にしたこと無かったよ」

まるで、授業を行う先生と生徒のような会話をしていた。

他の切り方、オムレツの種類など、ぽつりぽつりと会話を織り交ぜた食事の中で、左雨から、質問が1つ上がる。

「……あの、君は」

「はい?」

「どうやって、その日の料理を考えているのかなと、思って」

「どう、とは」

「うーん。……食べたいものを、思いつく方法?」

「……」

出雲は、答えに詰まる。

正直に言えば、適当だ。その日の気分だったり、財布や時間の状況次第としか言えないのだ。

ただそれは、左雨が欲している解答ではない気がした。

──この人は、食べたいものが思いつかないから、トマト1つで済ませてしまえるのだろうか。

「おばあちゃんが……生きてた頃は」

「え、ああ、はい」

左雨が自分の事を、自ら話すのは珍しい。出雲はほんの少しだけ動揺した。

「作って貰った物を、ただ食べてたんだ。おばあちゃんは料理が好きで、作るものはみんな美味しかったけど……何かコレが食べたいと、深くは思ったことが無くて」

「……」

「僕も時々、料理を手伝ってはいたけれど……作り方を覚えるほど入れ込んではいなくて」

「……」

「だからかな。一人になって……いざ一人になると……何を食べていいのか、なかなか思い浮かばない」

その苦笑いの中に、どんな想いが積もっているのか。

どこか自嘲のように聞こえるのは、気のせいではないのかもしれない。

「……そんなの、自分の好きな物でいいじゃないすか。ざっくりとでも、好物はあるでしょう?」

「……和食かな」

「なら、そこから初めてみたらどうです。味噌汁でも、魚1匹焼く所からでも」

「そっか……うん。ありがとう」

何かを考えるようにして、左雨は箸を進めていった。

ほんの少しだけぬるくなったトマトを、出雲は噛みしめた。

***

出雲が自宅に帰る前、左雨は微笑んでこう言った。

「家で……誰かと一緒に食べるのは久しぶりだったから。楽しかったよ」

美味しかった、ご馳走様でしたと、嬉しそうにしていた。

左雨が、過去の話をした時の表情が、まだ出雲の何処かに残っている。

──先生が持つ皿の中身は、どうにも空虚で。

それを、満たしてみたいと思ったのだ。

いつか左雨が、左雨自身の為に料理を作れるように。

彼が、彼自身の為に動けるようになって欲しいと、出雲は思った。

次に訪れる時は、自分が使っていたレシピ本でも持って行こう。
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