雨雲の日々
2人が会うのは、週に3回の部活動の中。
左雨と出雲は時折、菓子類を持参した。
分け合えるように、袋で小分けにされたものや、駄菓子が多い。
持参し合う中で、いつからか。和菓子の比率が多くなった。
コンビニで売っているどら焼きから始まり、煎餅や金平糖。
稀に、他県で販売されているような品物を、出雲が持ってきた。
「先輩が好きそうだったんで。貰い物ですが、どうぞ」
あまり積極的に外出しない左雨にとって、出雲がもたらしてくれるものは、新鮮さに溢れている。
「……ありがとう」
手渡された可愛らしい兎饅頭を、左雨はしばらく見つめていた。
***
***
左雨の小説の、誤字脱字の確認や修正についての話が一段落し、出版社に帰る前。
「この前同僚から聞いたんすけど。美味い甘味処があるらしくて。あんみつとか、メニューの種類が豊富だそうです」
先生さえよければ行ってみませんか、車出すんでと、出雲がいつものような調子で問う。
強制するような空気もなければ、消極的にも思えない。捉えどころのない割りに、はっきりとした声だ。
「……」
「興味がないなら、それはそれでいいですけど」
「あ、ああ。ごめん、違うよ。行くのは、うん。良いんだよ」
嫌だったわけでも、行きたくなかったわけでもない。
こんな風に人に誘われた記憶が無かったせいか、出雲の言葉が咄嗟に脳へと繋がらなかった。
「えっと……連れて行って、くれる?」
「……断られるのかと」
左雨が提案を受け入れた事で、出雲の声は僅かに安心したようなトーンに変わる。
「どうして?」
「外に出るの、そんなに好きじゃないんでしょう」
無理に連れ出すような事はしたくなかったのだろう。
気の回し方が、どうにも不器用で、左雨は苦笑してしまう。
「……否定はしないけど、僕だって散歩にくらいは行ってるよ、たまにね」
「それは良かった、こもりがちは身体に悪いですから。……じゃあ、次の休みに」
「うん……」
何とも不思議な心持ちで約束を交わした事を、左雨は鮮明に覚えている。
これが、高校を卒業した後、作家と編集として再会してから約1か月後のやり取りだった。
当日は約束通り、メニューが豊富な甘味処へと出向くことができた。
話の通り、あんみつやみつ豆だけでも20種類以上を選ぶことが出来る。魅力的な文字が並ぶメニュー表を眺めて、随分と時間をかけて選んだ。
左雨は抹茶クリーム白玉あんみつを、出雲はほうじ茶パフェを。
甘いものが好きで、和菓子が好物の左雨は、夢中になって食べていた。
そんな左雨の様子を見て、出雲は何やら考えて。
「食事メニューもあるんで、今度は昼飯時に来ませんか」
次の約束を取り付けたのだった。
それから時折、出雲は左雨を誘い、外に連れ出すようになった。
最初に行った甘味処以外にも、隠れた名店や手頃な価格の店。
「ここの店は餡子にこだわりがあるようです」
「新商品に紫芋のアイスが乗っていて、先生好みかなと」
他にも、和食を扱う飲食店や、定食屋、古本市──。
「ここの定食屋、米以外の量も選べるんです」
「来週に古本市行くんすけど、行きます?」
出雲の表情や態度というのは、あまり大きく変わる事が無い。
だから、何を考えているのかがわかりにくい。
初対面の頃よりは、わかる事が増えたが、それでもなお。
***
彼は何故、自分を誘ってくれるのだろうと、一人で居るとき、左雨は時折考える。
先輩だからだろうか、担当している先生だからだろうか。
学生時代に、休日に会う約束をして2人で出かける、という経験は無かった。
記憶の多くは、文芸部の部室の中だ。
だから、共にでかける度に、妙な気分になるのだろうと思う。
決して負の感情ではない、それは断言できる。
ただ。
物心ついた頃から諦めていた「何か」を、今も昔も、彼に与えて貰えている事に。
戸惑って、酷く心がざわつくのだ。
それにつられるようにして、彼は何故、彼は何故と、考え出す事が増えた。
学生時代にも随分と考えた事はあったが、現在は、過去の思考の続きをしているようだ。
──彼は何故、自分の好みを優先してくれるのだろう。
はたと、左雨が気が付いた。
そうだ、昔から。彼は他人の好みを優先していた。
知っているのはせいぜい、珈琲が好きな事、本の趣味。
好き嫌いのある印象が無かったせいか、それ以外を知らない。
──彼の、彼自身の好みは何なのだろう。
その事実を自覚したら、何故か出雲に会いたくなった。
***
「最近、君の事ばかり考えるんだ」
まるで恋の台詞のような言葉を、真顔に近い思案顔で吐き出した左雨を、出雲が困惑した目で見ている。
「それは、俺はどう受け取ればいいんですか」
「そのまま?」
「……取りあえず、理由を聞かせてください」
左雨が冗談やからかいで吐いた言葉ではない事は、表情から解る。
本人としてはごく真剣に、理由があって話をしているのだろう。
「……君は、僕を色んな所に連れて行ってくれる」
「まあ、そうですね」
「何故だろう、と思って」
出雲は、少しだけ相手を探るように考える。
外出に付き合わされることを迷惑がっているようにも見えない。警戒という空気も感じない。
ただただ、疑問の1つを聞いているだけのようだ。
なら、答え方を悩む必要も無い。
「何故って、先生が嬉しそうだったんで」
「……それだけ?」
「だけですけど……駄目でした?」
「いや、いいん、だけど。……少し考えて良い?」
出雲は何を?とは聞かずに、どうぞと肯定した。
それから左雨は、ぼうっと庭を眺めながら無言になる。
出雲は、考えている内容に興味が無いわけではないが、人の心を覗きたいとは思わない。
伝えてもらえるならそれでいいし、自然に感じ取れるならそれでいい。
お茶でも淹れようかと思い、腰を浮かそうとした瞬間に、「君は、」と左雨から声が掛かった。
僅かに前のめりになった身体が、座り直して元の位置に戻る。
「他人の好みを優先する人だから」
「……そうすかね」
「そう……だから、ええと」
本当に、会話という行為は不得意だ。執筆と違って内容が綺麗に纏まってくれない。
「……君の、好きなものが知りたい」
結論ばかりが先に行く。
「……」
会話の線と点が、繋がっていないようで、しかし繋がっているのだろう。
欠けている言葉、線の間に、いくつもの思考と理由が重なった結果なのだろう。
「……今度は、君が好きな場所に、行ってみたい」
出雲は、人の心を覗きたいとは思わない。
思わないが、今この時は、知りたいと思った。
彼がそう思うに至った心の道筋を、知りたいと。
けれど、聞きだしてしまうのは、何となく無粋な気がした。
「……わ、かりました。……じゃあ、次の休日に」
「うん……」
──再会することができた現在で、2人の時間に続きが許されたのなら。
今度は近づくことを恐れずに、君の事が知りたい。
「楽しみにしてる」と、左雨が出雲へ微笑んだ。
左雨と出雲は時折、菓子類を持参した。
分け合えるように、袋で小分けにされたものや、駄菓子が多い。
持参し合う中で、いつからか。和菓子の比率が多くなった。
コンビニで売っているどら焼きから始まり、煎餅や金平糖。
稀に、他県で販売されているような品物を、出雲が持ってきた。
「先輩が好きそうだったんで。貰い物ですが、どうぞ」
あまり積極的に外出しない左雨にとって、出雲がもたらしてくれるものは、新鮮さに溢れている。
「……ありがとう」
手渡された可愛らしい兎饅頭を、左雨はしばらく見つめていた。
***
***
左雨の小説の、誤字脱字の確認や修正についての話が一段落し、出版社に帰る前。
「この前同僚から聞いたんすけど。美味い甘味処があるらしくて。あんみつとか、メニューの種類が豊富だそうです」
先生さえよければ行ってみませんか、車出すんでと、出雲がいつものような調子で問う。
強制するような空気もなければ、消極的にも思えない。捉えどころのない割りに、はっきりとした声だ。
「……」
「興味がないなら、それはそれでいいですけど」
「あ、ああ。ごめん、違うよ。行くのは、うん。良いんだよ」
嫌だったわけでも、行きたくなかったわけでもない。
こんな風に人に誘われた記憶が無かったせいか、出雲の言葉が咄嗟に脳へと繋がらなかった。
「えっと……連れて行って、くれる?」
「……断られるのかと」
左雨が提案を受け入れた事で、出雲の声は僅かに安心したようなトーンに変わる。
「どうして?」
「外に出るの、そんなに好きじゃないんでしょう」
無理に連れ出すような事はしたくなかったのだろう。
気の回し方が、どうにも不器用で、左雨は苦笑してしまう。
「……否定はしないけど、僕だって散歩にくらいは行ってるよ、たまにね」
「それは良かった、こもりがちは身体に悪いですから。……じゃあ、次の休みに」
「うん……」
何とも不思議な心持ちで約束を交わした事を、左雨は鮮明に覚えている。
これが、高校を卒業した後、作家と編集として再会してから約1か月後のやり取りだった。
当日は約束通り、メニューが豊富な甘味処へと出向くことができた。
話の通り、あんみつやみつ豆だけでも20種類以上を選ぶことが出来る。魅力的な文字が並ぶメニュー表を眺めて、随分と時間をかけて選んだ。
左雨は抹茶クリーム白玉あんみつを、出雲はほうじ茶パフェを。
甘いものが好きで、和菓子が好物の左雨は、夢中になって食べていた。
そんな左雨の様子を見て、出雲は何やら考えて。
「食事メニューもあるんで、今度は昼飯時に来ませんか」
次の約束を取り付けたのだった。
それから時折、出雲は左雨を誘い、外に連れ出すようになった。
最初に行った甘味処以外にも、隠れた名店や手頃な価格の店。
「ここの店は餡子にこだわりがあるようです」
「新商品に紫芋のアイスが乗っていて、先生好みかなと」
他にも、和食を扱う飲食店や、定食屋、古本市──。
「ここの定食屋、米以外の量も選べるんです」
「来週に古本市行くんすけど、行きます?」
出雲の表情や態度というのは、あまり大きく変わる事が無い。
だから、何を考えているのかがわかりにくい。
初対面の頃よりは、わかる事が増えたが、それでもなお。
***
彼は何故、自分を誘ってくれるのだろうと、一人で居るとき、左雨は時折考える。
先輩だからだろうか、担当している先生だからだろうか。
学生時代に、休日に会う約束をして2人で出かける、という経験は無かった。
記憶の多くは、文芸部の部室の中だ。
だから、共にでかける度に、妙な気分になるのだろうと思う。
決して負の感情ではない、それは断言できる。
ただ。
物心ついた頃から諦めていた「何か」を、今も昔も、彼に与えて貰えている事に。
戸惑って、酷く心がざわつくのだ。
それにつられるようにして、彼は何故、彼は何故と、考え出す事が増えた。
学生時代にも随分と考えた事はあったが、現在は、過去の思考の続きをしているようだ。
──彼は何故、自分の好みを優先してくれるのだろう。
はたと、左雨が気が付いた。
そうだ、昔から。彼は他人の好みを優先していた。
知っているのはせいぜい、珈琲が好きな事、本の趣味。
好き嫌いのある印象が無かったせいか、それ以外を知らない。
──彼の、彼自身の好みは何なのだろう。
その事実を自覚したら、何故か出雲に会いたくなった。
***
「最近、君の事ばかり考えるんだ」
まるで恋の台詞のような言葉を、真顔に近い思案顔で吐き出した左雨を、出雲が困惑した目で見ている。
「それは、俺はどう受け取ればいいんですか」
「そのまま?」
「……取りあえず、理由を聞かせてください」
左雨が冗談やからかいで吐いた言葉ではない事は、表情から解る。
本人としてはごく真剣に、理由があって話をしているのだろう。
「……君は、僕を色んな所に連れて行ってくれる」
「まあ、そうですね」
「何故だろう、と思って」
出雲は、少しだけ相手を探るように考える。
外出に付き合わされることを迷惑がっているようにも見えない。警戒という空気も感じない。
ただただ、疑問の1つを聞いているだけのようだ。
なら、答え方を悩む必要も無い。
「何故って、先生が嬉しそうだったんで」
「……それだけ?」
「だけですけど……駄目でした?」
「いや、いいん、だけど。……少し考えて良い?」
出雲は何を?とは聞かずに、どうぞと肯定した。
それから左雨は、ぼうっと庭を眺めながら無言になる。
出雲は、考えている内容に興味が無いわけではないが、人の心を覗きたいとは思わない。
伝えてもらえるならそれでいいし、自然に感じ取れるならそれでいい。
お茶でも淹れようかと思い、腰を浮かそうとした瞬間に、「君は、」と左雨から声が掛かった。
僅かに前のめりになった身体が、座り直して元の位置に戻る。
「他人の好みを優先する人だから」
「……そうすかね」
「そう……だから、ええと」
本当に、会話という行為は不得意だ。執筆と違って内容が綺麗に纏まってくれない。
「……君の、好きなものが知りたい」
結論ばかりが先に行く。
「……」
会話の線と点が、繋がっていないようで、しかし繋がっているのだろう。
欠けている言葉、線の間に、いくつもの思考と理由が重なった結果なのだろう。
「……今度は、君が好きな場所に、行ってみたい」
出雲は、人の心を覗きたいとは思わない。
思わないが、今この時は、知りたいと思った。
彼がそう思うに至った心の道筋を、知りたいと。
けれど、聞きだしてしまうのは、何となく無粋な気がした。
「……わ、かりました。……じゃあ、次の休日に」
「うん……」
──再会することができた現在で、2人の時間に続きが許されたのなら。
今度は近づくことを恐れずに、君の事が知りたい。
「楽しみにしてる」と、左雨が出雲へ微笑んだ。
