【第四十四争覇記録:于禁文則】
泰山は古くから『人間の生死を司る』『死者の集まる場所』──冥府として『泰山府君』を祀り、信仰している霊山であり、あの始皇帝や孔子も尋ねた聖地である。
そんな山岳の近くに生まれた人間は、みな度胸があった。
聡明な眼を持ち、弓馬に優れ、山の神様に敬服した。
泰山府君は『生前の罪を処断し、罪を犯した者は地底の獄に送り懲罰する』者であるから。
──だから、私もまた、『正道』を信じて生きてきたにすぎないのだ。
■▫■▫■▫■▫■
『信仰』といえば、かつて旧友に、こんな話を聞いたことがある。
旧友のいる『三公山』という山には、かつて霊験あらたかな雨の神の信仰があり、人々はこの神を祀ることで雨乞いをしていた。しかし、異民族である羌がたびたび侵入して来たり天災が連発したりしたために人々に余裕がなくなり、祭祀が行き届いていなかった。
そのせいで付近はいなごや旱魃に悩まされることになるが、さらに三公御語山はあまりに奥地にある上悪路で行くことすら容易ではなく、現地まで行って祀るのは極めて難しかった。
そこで馮という者が一計を案じ、元氏の東にある衡山という山で占いを行い、神殿を設置して三公御語山の神を勧請し祀ることにした。
するとたちまちのうちに雨が降り始め、元氏は飢饉から解放されて五穀豊穣となり、民も苦しむことがなくなった。このことと馮の機転を顕彰するため、常山および元氏の官吏たちが碑を建てることにした。これが、後の「祀三公山碑」である。
その日も、雨が降っていた。
しとしとと地を濡らし、野ざらしにされた屍体を冷やすその水は、
まるで心を殺した泰山の私と、故郷のために闘い続けた、諸山の男を憐れむかのように。
その日も雨が降っていた。
地上の軍勢をすべて水没させて、
まるで、行き過ぎた私達を、
誰よりも恨むかのように。
──江陵の檻に繋がれた私に待つのは罵声と、死だ。
背に立つ黒い闇が嘲笑った。
抗えども抗えども結局此処に辿り着いて、誰からも理解されないまま、弁解の余地もなく、私の名誉は地の底まで堕ちて死んでいくのだ。
その無様な有様を、闇が見つめて、嘲笑っている。
『カナシイネ』
「……嗚呼」
『クルシイネ』
「………嗚呼、」
手枷がかけられた状態では、耳を塞ぐことも出来ない。蹲って溢れそうな涙を堪え、必死になって抗うばかりだ。
──嗚呼、どうか、孫公。私を連れていかないでくれ。
しかし、その願いも虚しく私の元には頬を赤らめた孫権がやって来て、軍勢の捕虜は建業に移された。
──嗚呼、何故、何故。この『記憶』は、今世の私をこれ程までに苦しめるのだろう。
定められた“運命”の中、ふと思い出したその『記憶』は、私にはまるで三公山(ショウキ)の怨みのようだった。
そんな山岳の近くに生まれた人間は、みな度胸があった。
聡明な眼を持ち、弓馬に優れ、山の神様に敬服した。
泰山府君は『生前の罪を処断し、罪を犯した者は地底の獄に送り懲罰する』者であるから。
──だから、私もまた、『正道』を信じて生きてきたにすぎないのだ。
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『信仰』といえば、かつて旧友に、こんな話を聞いたことがある。
旧友のいる『三公山』という山には、かつて霊験あらたかな雨の神の信仰があり、人々はこの神を祀ることで雨乞いをしていた。しかし、異民族である羌がたびたび侵入して来たり天災が連発したりしたために人々に余裕がなくなり、祭祀が行き届いていなかった。
そのせいで付近はいなごや旱魃に悩まされることになるが、さらに三公御語山はあまりに奥地にある上悪路で行くことすら容易ではなく、現地まで行って祀るのは極めて難しかった。
そこで馮という者が一計を案じ、元氏の東にある衡山という山で占いを行い、神殿を設置して三公御語山の神を勧請し祀ることにした。
するとたちまちのうちに雨が降り始め、元氏は飢饉から解放されて五穀豊穣となり、民も苦しむことがなくなった。このことと馮の機転を顕彰するため、常山および元氏の官吏たちが碑を建てることにした。これが、後の「祀三公山碑」である。
その日も、雨が降っていた。
しとしとと地を濡らし、野ざらしにされた屍体を冷やすその水は、
まるで心を殺した泰山の私と、故郷のために闘い続けた、諸山の男を憐れむかのように。
その日も雨が降っていた。
地上の軍勢をすべて水没させて、
まるで、行き過ぎた私達を、
誰よりも恨むかのように。
──江陵の檻に繋がれた私に待つのは罵声と、死だ。
背に立つ黒い闇が嘲笑った。
抗えども抗えども結局此処に辿り着いて、誰からも理解されないまま、弁解の余地もなく、私の名誉は地の底まで堕ちて死んでいくのだ。
その無様な有様を、闇が見つめて、嘲笑っている。
『カナシイネ』
「……嗚呼」
『クルシイネ』
「………嗚呼、」
手枷がかけられた状態では、耳を塞ぐことも出来ない。蹲って溢れそうな涙を堪え、必死になって抗うばかりだ。
──嗚呼、どうか、孫公。私を連れていかないでくれ。
しかし、その願いも虚しく私の元には頬を赤らめた孫権がやって来て、軍勢の捕虜は建業に移された。
──嗚呼、何故、何故。この『記憶』は、今世の私をこれ程までに苦しめるのだろう。
定められた“運命”の中、ふと思い出したその『記憶』は、私にはまるで三公山(ショウキ)の怨みのようだった。
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