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昌豨伝(第四十四〜四十五争覇)

人によっては自身の人生譚を『天馬行空』と表現する人間もいるだろう。

そのぐらい、オレの人生は“叛乱”に生きていた。


■▫■▫■▫■

オレが旧友の“異変”に気づいたのは、とある宴席帰りのことだった。
目眩がするほどの酒も抜けて、何気なく歩いていた廊下の隅から、ふと、泣き出しそうな嗚咽が響いた。

──どうしたのだろう。
得意の人の良さが出てしまい、声のした方に近づくと、そこには、普段はピンと張っている背中を丸々と折りたたんで蹲っている旧友の姿。

「お、おい…文則、だよな?大丈夫か?気持ち悪いのか?」

慌てて近よりその背を摩ると、とたんに異常なほどにからだが震え、普段落ち着いている彼から発されたとは思えないうめき声が地べたを這った。
──例えるなら、それは全身の痛みを訴える獣のような咆哮で。

オレはすぐに“酔い潰れた”わけではないのを察して体を起こさせると、すがりつくあてを見つけた旧友はオレの胴体をへし折る勢いで腕を回し、爪を立てながら、上ずる息を殺す用量で胸に顔を埋めた。その血の気が失せた冷たい肌は未だ張り裂けんばかりに小刻みに震え続け、──そう、それは『何か』が内側から食い破って来そうなのを、必死に抑えて怯えているようだった。

……暫くして、旧友の体から急激に力が抜ける。
ゾクリとして直ぐに仰向けにして寝かせるが、相変わらずに息は上がったままでありながらも、安静にすれば大事なさそうだった。

「文則……?」

ようやく、綴じられた瞼が薄らと開かれた
……と思いきや、その深紅の双眼は驚愕とともに見開かれ、旧友は逃げ腰のまま後ずさる。
どうやら、まだ夢現のようだった。

「な、なんだよお…そんなに怖がらなくてもいいじゃねえか……。
まあ、確かにお前がこんなに弱ってるとこ見たのはオレが初めてかもな?大丈夫か?あんま無理すんなよ?」
「……昌豨………昌豨が……生きてる…」

ありえない、というような声を発したあとにようやく思考が追いついたのか、はっと自身の発言を撤回するように目を瞑る。
それが可笑しくて、つい、けらけらと笑ってしまえば、旧友はむっとして眉間に皺を寄せ、そのまま目線を横に流してしまった。

「なんだあ、悪い夢でも見たのか?ハハッ らしくねえなあ」
「……っ、寝言だ」
「心配しなくても、オレはそう簡単にやられる男じゃないぜ?安心しろよ」
「……法を犯してでもか?」

その、普段は絶対に見せないような悲哀に満ちた表情は必ず帰ってくると念を押す親に本当にと訪ねる子どものようで、また笑ってしまう。
──ああ、本当に夢見が悪かったんだな。可哀想な文則。

「ははあ。相変わらず真面目な奴だぜ。戦に規律とか関係ねえだろ?」
「っ……敵側に、捕虜になったりしたら」
「そんなの、捕まらなければいい。捕まる前に相手の懐に入る。“オレ達”はそうやって生きてきたんだ。命あっての戦だからな」

所詮、これは弱った旧友を励ます為の文句ではあるが、
“独立勢力”として力をつけてきた自分が、そこらの連中よりも強い自信があるのは本当だ。
もし、その刃が折れる時が来るとしたら、それは──


「なあに、このオレの腕前を見て赦さない奴なんて、お前ぐらいだよ」



■▫▫■▫▫■

「どうして………っ、どうして私のもとに来たんだ…昌豨!!」

──嗚呼。 泣くなよ、文則。

三度目になる叛乱は押していた于禁の軍勢に夏侯淵の軍が合流したことにより形勢逆転。
めでたく、“今生も”失敗に終わってしまった。

そもそも恩のある曹操軍に叛乱を繰り返した理由は“故郷”の統治を任されていたことがある劉備の影響が強い。
于禁と違って人間の出来ていない、情に流されやすいオレは『故郷で虐殺を働いた曹操に反逆する劉備』と、『恩や故郷の友人の多い曹操軍』の間で大いに揺れていた。

それを、今回は『旧友の為にも』頑張って叛乱を選んだっていうのに。
──オレが勝って、お前に捕まらなければ『もう怖くない』って言ってやれたのに。


「昌豨……分かっているだろう?我が曹操軍において……包囲されたのち降服した者は赦さないのが慣例だ。法律を奉って命令を行うのは上に仕える者の節義である。たとえ……旧友であっても…私は………っ」

「…いいんだ、文則。オレが悪いんだ。分かってる……分かってるよ。だから、」

オレを“赦そうとしないでくれ”。


部下の制止も聞かず、引見された先で大人しくうつ伏せになる。

姿は見えないが、背越しに旧友が、涙混じりの別れを告げたような気がした。

──もし、オレが叛乱を起こさなければ、お前を“恐怖”から救うことができたのだろうか。

──いいや。オレは『故郷』を荒らした旧友の主を、許せる気がしない。


さようなら、文則。

『次世』では必ず、お前を救ってやれることを願おう。
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