第十一話「月景に名前を呼ばれた日」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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「もう 貴方の血を残せる体じゃ、ないのよ?」
純の放った言葉の意味が理解できなかったわけではない。意味ならば十分に、むしろ数ある可能性の一つとしてはありきたりとさえ言える、想像に難くなかったそれで。
だからこそ神田は、彼女がそれを理由にすることが理解できずにいた。
「…だから、だめだわ 貴方には私じゃ」
固まった思考で返す言葉を見つけられずにいると、純が同じことを繰り返す。
彼女はこれが理由になりうると本当に考えているのか。こんな、どうだって良いようなことが。
「それが理由か?」
神田は彼女の腹に添えられた腕をとって、木の幹に押さえつけるようにして問いただす。逃れようとする抵抗はあまりに明確な力の差で意味をなさなかった。
純の瞳に浮かんでいる怯えとも諦観とも区別のつかない震え。力量差を凌駕して逃れられるはずの彼女が逃げていないのだから、諦観とあまりに唐突な最後の時間への固執だったのかもしれない。
「そう だって、許嫁ってそういうものでしょう?」
どうやら純は本気で言っているらしい。許嫁だから、その責を果たせないから、神田から離れるべきだと。
それが神田にはおかしくてたまらなかった。何もかもが間違っている。
その責があるのは元来、神田の方なのだ。
二人の許嫁の約束はそういった契約だった。
純が神田の許嫁なのではなく、神田が純の許嫁であると。だからこそずっと、そうでなくとも待っていたのに。
こんなくだらない理由で。
…くだらなくとも、彼女にはそれで十分だったのだろう。
この事実をどう受け止めればいい。彼女の気持ちに寄り添うのならば悲しめば良いのだろうか。そうだと解っていてなお、彼は悦ばずにはいられなかった。
これが理由になるほどに、彼女の心は既に彼のもとにあったのだと。そう知ってどうして悦ばずにいられようか。
揺れる紫の瞳から、月光の欠片のような涙を零し続ける彼女の目元を、神田の指が優しく拭った。ようやく涙を拭える時が来たのだ。
驚いた純が目を見開くと、満足げに笑う神田と目があった。ブルートパーズの瞳が彼女だけを見つめて、何を言わずとも何が言いたいのかわかるほどに雄弁で。それでなお、口を開いて言葉を紡ごうとしていて。
『神田、そろそろ集合ですよ』
「…早く行きなさいよ 貴方を待ってる子も、いるんだし」
そこで神田のゴーレムに通信が入った。言おうとしていた言葉を飲み込んで、神田が鋭く舌打ちをする。
純はあからさまに安心していた。これ以上聞いてしまっては、本当に逃れられなくなるところだった。否応なしに、神田に重荷を背負わせてしまっていた。もうあとは、彼が任務に行っているうちに姿を消して。それで本当にお別れだ。あとは皆とどうか仲良く、だなんて。眼の前の男がどれほど執念深いのか知らないわけでもないのに。
「おい」
「なっ……ッ!!」
ちょっと不機嫌そうに呼びかけられて、反射で返事をしようとして純は言葉を失った。顔の横、木の幹に押さえつけられていた左の手を引かれて。それがなぜだか神田の口元にあって。薬指に暖かくてすべらかな、柔らかいものが当たる。
ちゅ、と軽い音を立てて唇が離れた。純の涙は驚きで引っ込んで、目をまんまるに見開いて唇をわなわなと震わせるだけ。
その震える唇に、彼女の左の薬指が。神田に口付けられたそこが押し当てられる。ほんのりと湿って、まだ温度が残っているのかと思うほど熱い。
「純 …戻ったら続きだ」
押し当てられた指で口を開けないのを良いことに神田が一方的に話を進める。
「逃がしてやるつもりはねえからな …じゃあ、行ってくる」
そういって踵を返した神田の顔の晴れやかなことといったらなかった。それもそうだ。左手を押し当てたときの彼女の顔の赤さが、見開いた目に宿った驚愕と期待の色が、意図が十分に伝わったのだと示していたのだから。
その場に一人残された純は、力を失ったようにずりずりと下がり、終いには木の根元に座り込んでしまった。彼の背が見えなくなっても左の手は口元から離せずにいて。顔を染める赤色は一向に和らぐ気配がない。
だって、これは。反則じゃあないか。彼が知っているとは思わなかったのだ。こんな、誰にも言った覚えのない初恋のことなんて。
長く家を開けるときに、欠かさずおばさまの薬指に口づけていた彼の父親に憧れていただなんて、そんなこと、彼が知るはずが無い。
でも、さっきのは。あのしてやったりな意地悪な笑みは、間違いなくそれの再現で。
どうやら言葉通り、逃がすつもりは毛頭ないらしい。
それがどうしようもなく嬉しいのだから、また涙がでそうになって空を見上げた。
湿った空気にわずか滲んだ満月が眩しい。
神田が森から戻る途中、月光に照らされながら二つ結びの少女、リナリーが待ち構えていた。
純の言っていた待っている人間とは彼女のことか。
神田は一度立ち止まって、リナリーが何か言い出すのを待つ。
「あのね 神田、私」
「リナ、言うな それは刷り込みだ」
「…っ わかっ、てた ごめんね引き止めて」
きっと泣いていたリナリーを置いて先を進みながら気がつく。
刷り込みだ、とは純の言葉だった。ずっと彼女を待ち続けていた神田を突き放すための都合の良い文句だった。
今でこそ明確に、この感情が刷り込みなどではなかったと。断言するにあまりある証拠が彼の中に溜まっている。跳ね返せるだけの確固たる自覚がある。
それにしてもこの言葉の、なんと残酷で都合の良いことだろうか。自分が使う側に回ってこそ罪深さが際立つように感じる。それでもなお、リナリーにこれ以上の言葉をかけることが尚更罪深く、二人に対して不誠実極まりないことだと彼は信じてやまない。
「おせーさよ、ユウちゃん」
「…すまん」
「それで? ちゃんと純とは話出来たんですか」
「テメエが通信いれなけりゃ出来たんだがな」
「神田がヘタレなのが悪いんでしょ あーあ、二人が可哀想ですよ…」
集合場所、任務出発の船着き場には既にアレンとラビが揃っていた。
神田がどこに行っていたのか、何をしていたかなど二人には解りきったことだ。顛末を尋ねるアレンの言葉に憎まれ口を返す神田。
「…うるせえ、大方ケリは付けてきた」
「! マジ!?やったさね、ユウちゃん!」
「ファーストネームで呼んでんじゃねえよ」
「だから 感謝してる」
「…今回の任務が心配になりました、槍でも振るんじゃないですか」
「縁起の悪いこと言うなって、アレン…」
神田も自分が珍しいことを口にしているのは理解しているのか仏頂面のまま、それでも文句は言わずにいた。
任務への道中とは思えないほど和やかで少々浮かれた空気を乗せて小舟が進む。
「ほーん、じゃあリナリーもちゃんと振ったわけさね」
「やれば出来るじゃないですか…!」
「振るも何も最初からアイツの思い違いだ」
「…僕としては嬉しいのであんまり言いたくは無いですけど、君ってば本当に残酷というかなんというか」
「事実だろ」
「待て待てアレン、それって」
「そうですが」
「お兄さん 何の相談も受けてないさよ!」
「する必要あります?」
「ねえな」
「ひでえよ! そんな面白…大事な話を俺にしないなんて!」
任務への道中とは思えないほど和やかで、少々浮かれた空気を乗せて小舟が進む。向かう先はイタリア南部、アクマの大量発生の調査任務であった。