第十一話「月景に名前を呼ばれた日」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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麻倉純が森の外れにいたのもまた、偶然ではなかった。
バチカン、ではなくルベリエ長官からの依頼。見合いに見せかけた不穏分子の排除活動は恙無く進行していた。情報も十分に引き出して、今日のこの日が最終回。
未だに名前も顔も判然としない三下の欲につけ込んで教団の森の外れに呼び出した。その口から飛び出てくる言葉はまさしく世迷言で。げに浅ましきは欲なりやと相槌すら打たないままに、気づいたら燃えていた。
燃えていた。というのは正確ではない。彼女が焼いたのだ。彼女が火を放った。
濁った声で彼女の名前を呼んだから、欲に塗れた瞳に彼女を映したから、薄汚い指先で彼女に触れようとしから。そのどれでもあって、どれでもない。単純に眼の前の男が不愉快極まりなく、痛めつける前にこれ以上の狼藉を態々見てやる必要もなかったというだけ。
ただ、きっかけのようなものがあるとすれば。眼の前のどうしようもない三下が、彼を侮辱したことだったように思う。
何を言っていたのかももう覚えていない。ただその瞬間に、かの三下はその裏に潜む歴々への見せしめに燃やされるだけの藁人形と変わらなくなって。だから火の手が上がった。
藁人形の安否などどうでも良いことだ。だが腐っても魔術師、死にはしまい。それでこそ見せしめとしての価値があるというものだ。
そうやって一仕事終えた純の後ろに神田が立っていた。つい先程、炎の勢いが少し収まるかという頃にやって来たばかりだ。少しだけ息があがって、どうやら彼女を探して走り回ったのだとわかる。
「見つかっちゃった」
このところ口も聞いていないし、顔すら合わせていなかった彼の登場を予想していなかったわけではない。ありうる可能性の一つとして、おおよそ五割の予想だった。
この場を見られてしまったこと、振り向いた先の大切な彼が切羽詰まった、覚悟を決めた瞳をしていたから彼女は曖昧に笑うしかなくなった。
こうなってはどうあがいても逃がしてはもらえないだろう。彼が満足するまで答えを吐かねばならなくなる。その結果、彼の近くに居られなくなったとしても。彼の覚悟が決まっているのなら。最早全てが遅すぎるのだ。
「話がしたい」
「…やだ、って言ったら?」
「知らん、聞け」
遅すぎると知って尚、彼の側から離れなくてはならないことが苦痛だった。彼に隠した秘密だけは、知られたくない。
口先だけで逃げようとして、青く透き通った瞳に睨みつけられた。
ああ、彼が怒っている。ついに痺れを切らした猟犬が獲物を見据えている。
神田が一歩距離を詰めるから、純も一歩後退った。
一緒に過ごした時間は五年と、再会してからおおよそ九ヶ月になろうとしている。ここへきてはじめて、純は神田を怖いと思ってしまった。
分かたれたときは差のなかった背丈は、今や頭一つ分も違う。体格の差はそれどころでは済まないほどに開いた。一歩進むにもその差が響いて、後退りしながらではじわじわと追い詰められるだけになる。
満月の夜の薄明かりの森の中、彼から目を逸らせずにいたからか。純の背は木の幹にぶつかった。
「純」
完全に逃げ場を失って、どこまでもまっすぐに射抜いてくる空色の瞳から逃れるために彼女は俯くしかなかった。
「……ッ、何よ」
「話がしたい」
「…やだ」
「純」
「いや」
もう彼女には話す以外の選択肢は用意されていないのに、こんな問答は駄々をこねているのと変わらない。
怒っているのに。怒っているはずなのに。神田の声が誠実で、優しくて。
「……純、お前一人で背負わないでくれ」
「…ッ」
もはや二人の距離は人ひとり分も空いてはいない。
絞り出すようにしてかけられた懇願に息が詰まる。彼はこんなにも真っ直ぐ、素敵に育った。それがあまりに嬉しくて、その側に居られなくなると知って涙が溢れる。
「俺に、一緒に背負わせろよ」
だからこそ。彼が素敵な男性になったからこそ。ちゃんと離れなくちゃならない。
覚悟の決まらないまま顔を上げたから涙で視界が歪んで、格好いい彼の顔が、大好きなあの瞳が捉えられずにいた。
今、彼は一体どんな顔で私を見ているんだろう。
「だめ、 だめなの」
「…どうしてだ」
またぐっと彼との距離が近くなる。純の頭の横に神田の腕が置かれて、長い髪がカーテンみたいに空間を切り取ってそこには二人しかいなくなった。
神田の声は低く落ち着いて、ゆっくりと問いかけながら彼女を急かすことはない。だが純を見つめるその瞳は確かに焦れていた。
「わたし、じゃ あなたに相応しく ない、もの」
しばし間が空いて純が口を開く。許嫁の約束を違ったことの、彼を突き放したことの、頑なに名前を呼ばないことの、おおよそすべての解答と言って良いそれ。
「何言って…」
「だって!」
理解が及ばずに神田は反射的に聞き返そうとして、遮られた。
遮った声に滲む痛みでそれが彼女の絶望だったのだと理解できる。張り裂けそうなのはきっと、喉じゃなくて心なのだろう。留まるところを知らない涙を拭おうにも、理由を知らずには拭えない。そんな不誠実を、彼女に働くわけにはいかない。
「…だって、」
だって、だってと続ける彼女は逃げているのではなく、絶望を語る痛みに覚悟を決めようとしている。どんどんと声が落ちていって、また俯いて、両の手で腹を抱えるようにしながら。
「もう 貴方の血を残せる体じゃ、ないのよ?」
純は曖昧に笑ってそういった。