Re:2000年の再演を
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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誕生日というものがある。
その人間が、人間として命を得て初めて己が声を上げた日、らしい。
その日を喜ばしい日だと位置づけた何某の気持ちは別として、理屈は理解できる。どうやら原初より命が増えるということは、遍く喜ばしいことなのだという。それが人間の共通認識なのだとしたら、なるほど誕生日とは何物にも代えがたく素晴らしき日に違いない。
だがそれは、あくまでも一般論に過ぎず。自身の誕生日に大した関心も持たずに、あるいは持てないほどの、日々を過ごしてきた人間だって山ほどいる。かくいう彼も、その一人だった。
教団の森のはずれ、ここひと月はとんと誰も訪れていない山小屋に一人の男がやってきた。
神田ユウである。
ちょうど十分程前に馬鹿みたいな経緯で、冗談みたいな薬のために、嘘のように身体が縮み、夢物語を語った少女を寝かしつけてきたところだった。
少女の語った夢想に自分の願う先を見て、彼は狙いを定めた。これから己の成すことに覚悟を決めて病室を後にして、ふと時間が欲しくなった。
迷っているわけではない。彼女をわからせて我を通す道筋は既に見えている。彼という美しき猟犬からすれば、既に獲物は手中にあるも同然だ。
恐れているわけではない。覚悟は決めたのだ。十中八九逃げ出す彼女を傷つけることになろうとも、あの原初の夢想は叶えねばならない。何より、そうしたいと彼自身が望んだのだから。
ただ、彼女が十歳の少女のまま眠るこの夜だけは。先に進むと決めた彼に与えられた唯一かもしれない空白の時間に、神田は柄にもなく感傷に浸りたくなったようだった。
それで選んだのがこの山小屋である。誰に邪魔される心配もなし。何より、ここには彼女の面影ばかりが残っている。
名目上はエクソシストの少年少女たちで使うと決まっているはずなのに、神田が持っている思い出はどれもこれも彼女とのものばかり。
山小屋を見つける前、凍える夜闇に一人泣き叫ぶようにして歌っていた。暇つぶしにとたびたびギターを教わった。鍛錬の合間に何をするでもなくただ黙って休息をとった。かっぱらってきた酒を酌み交わした夜があった。月光の下で細い肩を抱きしめた。彼女は、逃げずにいた。
このところ誰も訪れていないはずの山小屋は、どうしてか埃っぽさを感じさせない。まるで、最近誰かが入って掃除でもしていったかのような。
戸を閉じて、いつも通りに彼女の持ち込んだソファに腰掛けて指を組む。感傷に浸ると言ったところで神田ユウだ。やろうとしたことは場所を変えての瞑想に近い。雑念が消えない分、瞑想にも満たないのだが。
しばらく瞼を閉じて雑念に耳を傾けた後、座ったソファの端に見覚えの無い塊があることに気がついた。
厚手の布と、綿の入ったクッションと、何らかのカード。月明かりでかろうじて青い刺繍がなされていることがわかる。
その図柄には見覚えがあった。
菖蒲か杜若。どちらも似たような青紫色の花。残念ながら神田はそれらがどう違うのかなんてしらないし、なんならもう一つ似たような花があった気はするものの思い出せずにいる。
ただわかるのは、これが彼のために用意されたらしいということだけ。
この小屋に神田の私物はない。アルマや純が持ち込んだものを適当に使ったりしていたのだ。その度にちょっとした小言を言われたが、ついぞ持ち込まなかった。
それで良いと思っていたから。
伸ばした手の先のメッセージカードには、整った日本語で誕生日が言祝がれている。そして、小さな椿の判。
署名はない。
ないが、 こんな事をするのは一人しかいないとわかっている。
『あなたの信念が揺らぐことのありませんように』
締めに書かれた一方的な願いは、おそらくは彼女が彼の前から消えることを想定したもので。あまりにも残酷で小賢しい、傲慢たる姫君の望みであったのだが。しかして今の、獲物を定めた美しき肉食獣にはただただ後押しにしかならずにいた。
「…望むところだ」
もう、揺らぐことがあるはずもない。
思えば白椿を送ったときから何も変わってはいなかった。あの時、次は偶然でなく彼女を祝うと決めたのだ。
生まれてから今まで、特にこの八年間は自分の誕生日など気にもとめなかった。ただ歳をとるだけの、過ぎゆく日々のただの一日。
それがここに来て。言祝がれるとはなんとも心強いものか。
六月六日、気付けば日付が回っている。これで神田はまた一つ歳を重ねて、彼女とは一つ違いになった。
彼女からのプレゼントはしかと受け取った。きっとこれで彼女をみすみす逃がすことはないだろう。
なにせあの、白椿の如き完璧で永遠たる少女の願いなのだ。おひいさまが望まれるなら、それは叶えなければならない。
閑話10-HPB『菖蒲を絹の針で繍い』 つづく
群青と空色でなされた刺繍に指を這わせる。滑らかな質感のそれは、ところどころ不揃いで。思わず抱きしめたクッションの奥に、懐かしい白檀の香りがした気がした。