第八話「過ぎゆく日々の幼馴染」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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その七『任務先では、ままある話』
任務に行けばトラブルに会う、というこの感覚にはおそらくバイアスがかかっているだろう。トラブルのあった任務は記憶に強く残る。そのうちトラブルのなかった任務のことがどんどんと薄れて、トラブルと任務が脳の中で離れなくなってしまったに過ぎないのだろう。
だとしても、トラブルというのは任務先ではままある話だというのがエクソシストの総意であった。
神田と純が向かっていたのはなんてことないアクマ討伐のための遠征である。それもロクに打ち合わせする必要も無いような単純なもの。
純が黒の教団にやってきてからもうすぐ半年になろうとしている。神田も純もお互いが戦闘中にどういう動きをするだとか、何を選択するだとかは理解が進んでいた。基本的に無駄を好まない質の二人である。必要十分に任務が遂行できるように立ち回る方向で同意が形成されていた。まあ、その必要十分を得るための道程にはかなり大きな差があって、わざわざ自分で労を負うことをしない神田が純に任せるというのがこの二人のパターンにはなっていた。
今回の任務では聞き込みなどする必要も無くアクマの所在も判明済み、暴れているソレを討伐するだけのお仕事だ。被害を受けている無辜の民には悪いが正直に言って彼らの労力は少ない方。すぐに記憶の片隅に追いやられるトラブルのない方の任務になる予定であった。
「純」
「…」
「…純! もう必要ない、行くぞ」
もう破壊されているアクマの義体に向かって、何度も、何度も執拗に、大振りのナイフが突き立てられている。最早塵になって消えかけているソレに振り抜くのだから、その下の石畳に跳ね返されて耳障りな音がする。反動だって相当なものだろうに、純はアクマの上から退こうとせずナイフを振る手を止める様子もない。
その塵すら風に飛んで判別がつかなくなり、合流した神田が怒鳴りつけてようやく純は顔を上げた。わかった、と立ち上がる彼女が何故にこんな行動を取っていたのかなど、神田には聞かずとも予想できることだった。
今回の討伐対象、レベル2へと進化しある集落を根城にして人間を食い荒らしてきたアクマの中に御伽噺に出てくるような蛇の化け物じみたのが混ざっていた。それを見て自分の獲物だと主張するから、神田は別のを標的にしたのだ。
彼女が蛇を忌み嫌っているのは知っていた。子どもの頃から嫌悪感を示していたのを何度も見た。そのときは今見せるような憎しみではなく怯えとかそういったものだったが。攫われ、奪われ、責苦にあった憎しみと痛みというのは、復讐を終えた今になって尚ぶり返すものなのだろう。神田はそれが抑えようのないものだと理解できた。だから震える手で無為な攻撃を続けるのを止めるだけに留め、それ以上は何も言わなかった。言えなかった。
何にせよ、任務自体は成功したと言って良い。この二人の任務にしては珍しく大きな怪我などは無しに終わったし、純も落ち着いたようでアクマに対峙していた時の壮絶な表情はどこかに消え去っていた。これくらいならトラブルの少ない任務だったな、で終わらせられる範囲だったのだ。この時までは。
「…部屋が一つしか用意出来てねえだと?」
「申し訳ございません 記録を確認いたしましても お二人様、一部屋のご予約で承っておりまして」
宿の手配の不備、というのはままあるトラブルの中でもよくある話の一つだ。大体の場合は教団の威光と金銭の力を存分に発揮して解決に導かれる簡単な類のトラブル。それがなぜだか今回に限って満員御礼空き室無し。更にこの集落に宿屋はこの一軒しかないと言う始末。幸いにして部屋は広そうなので仕方なしにと同室での一夜を選択し向かった部屋で、二人して盛大なため息をついた。
「……しかもダブルね」
「……しかもダブルかよ」
一体どんな予約をすればこの部屋が選択されるのだろうか。設備自体は上等と言っていいのに、部屋には大きなベッドが一台しかない。神田としてはもういっそのこと自分だけ野宿する選択肢も視野に入った。そうならなかったのは窓の外が嵐と形容して良いような大雨であったからで。それなら備え付けの硬そうな座面のソファに横になったほうがずっと良い。
「じゃ、ベッドは使わせて貰うから」
「…分かってる」
状況的に決定権を持つ純からも滞在の許可が出たことで漸く二人の今宵の宿が定まった形になった。適当に夕食をとりながら報告書と明日の予定の打ち合わせをする。とはいっても帰るだけだ。話すことなど多々あるわけじゃない。
「お風呂入ろっかな…」
「…とっととしろ」
当然のように純が先にシャワーを浴びる権利を持つ。神田に選ぶ権利がないともいう。
純が浴室へ姿を消したことで、ようやく神田も力が抜けた。正直言って任務よりもずっと精神のすり減る思いだ。劣情を抱いている対象と二人きりで一晩過ごさねばならない。細かい水が打ち付けられる音がドアを一枚隔てた向こう側から聞こえてくる。想像しないようにと報告書に手などつけてみるも集中出来るはずもなく。
そもそもこの状況下で青少年が我慢できようものか?神田の答えは「せねばならない」であった。獣欲に負けるくらいなら嵐に打たれることも辞さないと、そう決めていた。
「お先いただきました」
「…報告書、途中までやったから続き任せた」
「どうぞごゆっくり」
脱衣所から出てくる純を眼に収めないようにして風呂場に向かう。平常心でなかった神田はここで一つ重大なミスを犯した。寝間着のシャツを、持っていき忘れたのである。
「シャツ忘れた」
「…ッ!」
「……わりい」
忘れたものは仕方がない。取りに行こうと脱衣所を出て、純の瞳が見開かれ息を飲む音が聞こえて神田は漸く自分の罪を悟った。手早くシャツを羽織っているうちに、純は飛び上がるようにしてソファから立ち上がりベッドへ向かっている。
「もう、寝るわ おやすみなさい」
出ていけと言われないだけマシだと思った。神田が使う分の枕と毛布は既にソファーの方に準備されていてこれ以上彼女に近寄る必要もない。ローテーブルの上に散らかされた報告書は大部分が埋まっている。それを押しやるように整えて、神田も横になり毛布をおざなりにかけた。
ひどく遠く見えるベッドの上の膨らみは規則正しく寝息を立てて、どうやら眠りにはつけている様子。ついこの間まで眠るのにすら四苦八苦していただけに、それだけでも良かったと思えた。
・・・
一人ダブルベッドの中、純は後悔と恐怖に飲み込まれていた。今日起こったすべてが恐ろしく、忌々しくて仕方がない。それで神田を振り回しては八つ当たりのような態度を取り続けていることが許せなかった。
何が一番恐ろしいかと言えば、神田の胸に掘られた刺青が一番恐ろしかった。あれこそが消えない自分の罪の証であるように思えた。純だってセカンドエクソシスト計画の顛末を知らないわけではない。その資料と技術を燃やし尽くす前に目を通してはいた。
だとしても、直接見るのは初めてだったのだ。彼の命を掌握するように心の臓の真上に鎮座する呪符。それを見て怯んで、何も言えなかった。ただ逃げるように彼と距離を取って布団で自らを押さえつけることしか出来なかった。
それを悟られまいと、ただ寝ようとして悪夢を見る。自分が燃やしてきた者たちの怨嗟の声の果、最後にたどり着くのはいつだってあの暗闇だ。天地の、時間の感覚すらわからなくなるような暗闇の中で一人。もしかしたら似たような目に遭ってる奴が側にいたのかもしれないが、それすらもわからない。焼けた蛇の鱗が体中を這い回る。
「こないで!」
それで責苦が終わった試しなど一度もないのに叫ばずにはいられないのだ。喉が裂けるんじゃないかと思うほど叫んで、その声が聞き届けられることはなく蛇は彼女を締め付ける。
火傷になった先から艷やかな玉肌に戻っていく中、太腿に巻き付いた蛇が胎に噛みつく。その痕だけは肌に焼き付いて消えることがない。呪いだった。
呪われた。知っている。麻倉純はあの暗闇で呪われた。知っていて、諦めがついているのに今宵の夢は意地が悪い。あの暗闇で最後まで導にしていた彼が、神田の姿が遠のいていく。嫌だ。見捨てないで。手放して。忘れたくない。許さないで。相反した感情がランダムに頭の中を埋め尽くす。思考が混乱する毎にイノセンスが喉を締め付けているような気がして、その環を外そうと藻掻いた。その気になれば外せる筈のイノセンスに、首の肉が邪魔をして指が届かない。夢の中だからか爪の立て方も上手く解らずにただ掻き毟るようにして指を動かすだけ。その間にも神田の姿はどんどんと遠ざかっていく。「ユウ」と、思わず呼びかけたくなった。自分から呼ばないと決めているのに唇が動いて、既のところで息が通らず音にはならない。でも、呼び止めないと行ってしまう。その背に腕を伸ばして、
「ッ、いかないで!」
「落ち着け 純」
指が空を掴むと同時に目が覚める。飛び跳ねて起きたらしい。純の身体はじっとりと汗に濡れていた。殊更に早い動悸に合わせて肩で荒い息をする。横には神田が立ってこちらを見ていて、それでホテルのベッドで眠っていたことを思い出した。
混乱と未だ頭から離れない恐怖の中で彼を見る。その顔は忸怩たる思いの、ひどい後悔のに苛まれているようで。純の肩から外された拳をきつく握りしめながら、目線を合わせようともしないままに告げるのだ。
「…俺は廊下で寝る 怖がらせて悪かったな」
純には彼の言っている意味が解らなかった。ただ、離れていく背が先程の夢に酷似していて。それが恐ろしくて仕方なかった。
「やだ いかないでよ」
思わず裾を掴んで駄々をこねるような声を出す。神田が動きを止めてしばらくした後、時が止まったような静けさの後にその手は優しく振りほどかれる。
「ね、やだ」
「…行かねえよ 枕と毛布持ってくるから、詰めとけ」
・・・
神田は藻掻くような音で目を覚ました。酷く小さいのに張り裂けそうな声が聞こえてきて思わず駆け寄って、腹と首の辺りを布団の上から掻き毟る純の姿を見た。「こないで」とか「いやだ」とかいうぐちゃぐちゃの譫言と目の端から溢れる涙にひどく後悔した。これならば嵐に打たるべきだったとすら思えた。
彼女をこのまま放っておく訳にもいかず、名前を呼びながら身体を揺するうちにその唇が音もなく動いた。何を言おうとしたのか、どういう動きをしたのかなんて期待したくなかった。その直後に跳ね起きて、憔悴の中離れようとする神田を引き止めてくる。神田にはそれが最善とは思えなかったが、今にも儚くなりそうな純を一人置いていくことが出来るほど薄情にはなれずにいた。
「…」
「…ごめんなさい ごめんなさい、わたしが」
「言わなくて良い 前も聞いた」
ダブルベッドの端と端、神田に向かって純が縋るように謝り続けている。意識すらはっきりしないままに懺悔を続けようとしていた。
「わたしのせい、で」
「…お前のせいじゃない いいから、寝ろ」
布団の上から彼女の小さな手に掌を重ねる。言葉以外で彼女を落ち着かせる術を神田は他に持ち得ていなかった。首を反対方向に寝かせているから、純が今どんな顔をしているかはわからない。ただそれきり譫言のような呟きは収まって、静かな呼吸音だけが聞こえるようになった。掌を離し横目で寝顔を確認すれば、落ち着いて穏やかな眠りについている。神田にとってはこれ以上を知らないほどの美しい寝顔。それを確かめ続けるように身体の向きを変えて、彼も眠りについた。
その七『任務先では、ままある話』おしまい
翌朝、いつも通りの時間に神田の目は覚める。いつもと違うのは胸元に柔らかな温もりを感じること。まさかと思い見てみれば、寝返りで近寄ってしまったのだろうか、純の顔が近くにある。しかも、それを抱きとめるようにして自分の腕が回っていた。
すやすやと気持ちよさそうに寝ている純に昨日見た険は残されていない。実に安心しきった、穏やかな寝顔だ。この状況で安心されているというのも男としてどうなんだと思いつつ、腕を回している自分の迂闊さにも呆れつつ。だとしても役得といえば役得だ。しばし逡巡した挙げ句神田は腕は外すことにして、身体はそのまま彼女の温もりから離れないことを選んだ。
しばらくして純の目が覚めて、眠たげな猫目と目線が会う。
(かんだ…?)
(…もうじき出発時間だ、準備すんぞ)
(ん…おはよ…)
(はよ)
寝起きの働かない頭で困惑しているような純を置いて、神田はすぐにベッドから起き上がる。軽率にも腕を回し肌に触れた罪に彼女が気づかなければいいと、そんな事を考えていた。ままある日の、朝のことだった。
第八話「過ぎ行く日々の幼馴染」 つづく