第七話「狐と兎」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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「機嫌、治ったみたいさね」
「…別に、良くなったわけじゃないの でもまあ、収支はプラスくらいかしらね」
任務終わりの帰りの車窓である。手際の良いことにブックマン達が聞き取りを終えた頃には既に席の予約は済んでいた。丁度到着した中央庁の職員にブローカーを引き渡し、これまた手際の良いことに調達されていた食事を受け取って車両に乗り込んだのがつい一時間ほど前だった。
昼食を通り越して夕食として用意されたのは街一番の人気店のパニーニ。純が預けた財布から用立てられたそれは、親父殿の経営する店で売られているもので、要するに迷惑料を多分に含んでいた。まったく気の利く使いっ走りだと軽くなった財布をもてあそびながら、山のように積まれたパニーニを分配して腹に収めることにした。到着したばかりの中央庁のいけ好かない役人にもご協力いただいたおかげで、純の腹は八分に収まっている。困惑した役人共にパニーニをゴリ押しするアントニオは傑作だった。
「…ごめんね だいぶ態度悪かったでしょ私」
「気にしてない って、言いてえけど ぶっちゃけ怖かったさね」
「本当にごめん」
「ま、純のそういうとこ見せてもらえたのは嬉しいさ ユウちゃんにも見せねえもんな」
「……必要ないもの」
「俺には必要あんだ?」
「必要、とはまた違うわ 貴方なら、知られても問題ないと思ったのよ 後継者殿」
似たような色合いの、緑の瞳が三つ。純の二つが、ラビの一つを射抜いている。
「その呼び方、やめてほしいって言わんかったっけ 姫様?」
「だって、戦争が終われば 貴方はラビではなくなるでしょう? 私は、その後にも貴方が私の情報を持ち続けることを許しているつもりなのだけれど」
不遜な態度で紡がれる言葉。彼女が話している内容は真であるし、許すというのも嘘偽りの無い本心に違いない。だとしても、ラビにはまだ想像が出来なかった。ラビでなくなる事ではない。名前が変わることなんか日常茶飯事だ。今のラビだって四十九番目の名前なのだ。慣れている。
それでも戦争が終わる、それだけが想像出来なかったのだ。
「…純は、この戦争が終わると思ってんさ?」
「終わるわよ 近い将来、必ず終わる」
「…っよ、く 断言できんな」
「……老師は、本当に何も教えてないのね」
「どういうことだよ」
麻倉純の冷えた瞳が、あの地下室で喚いていた頭の悪そうな男に向けられていたものと同じであるかのように思えた。あの時「間引く」と、そう口にした彼女の声に偽りはなかった。間引けるのなら本当に間引きかねないと、だからこそジジイも止めに入った。それほどの目線が自分に、ブックマンJr.に向いている。
「『再演を。二千年の後に再び問おう。』」
否応なく張り詰める静寂を純の声が引き裂く。誰かの声をなぞるようにして、淡々と本を朗読するように空々しく。
「『世界の作り直しを望むのか否か』…世界再演の日、黒塗りの魔女の言葉さ」
「流石にこれは知ってたわね」
「知ってっけど どこまで信用できたか解ったもんじゃない書さよ」
「二千年以上経ったのに、審判の日なんて来ないから?」
「そうさね 戦争が終わる気配も、その日が来る気配もない」
ラビの前に座っている魔女、書にあった黒塗りの魔女の直系にあたる『夢の魔女』は少し考え込んだようだった。何から話すか、どこまで話すか考えているような素振りである。
「まず、その日は来るはずだったの 今から大体三十年くらい前に でも来なかった」
「なんで?」
「…さあ? 聞かされてない それで大変おおらかであらせられる夜の魔女様は今の今までご放置遊ばれているわけ」
「だったら」
その日なんて来やしないんじゃないか。当然の帰結だ。昨日放置されたものが今日も放置される。明日も、明後日も、それを繰り返して今に至るならば、帰納法的にその日が来ることはない。脆弱すぎる詭弁だが、反論材料は「かもしれない」以外に用意出来るはずもない。
「来るのよ 来るとお祖父様は言った。 それは私の時に来る、もうじきだわ」
「純の祖父さんさ?」
「そうよ その日審判をするのが私のお祖父様、私の役目はお祖父様を降ろす巫女なの」
「……だから、姫様なんか」
「そういうこと おわかり?戦争はもうじき、それがどんな形であれ、終結に至るのだわ」
任務の移動中の雑談めいて、彼らが身をやつす戦争の終わりが示される。実際ブックマンが教団本部に連絡を取っている間のスキマ時間になされた雑談ではあるのだが。
「まあ、これくらいなら老師には怒られないでしょ」
「…ジジイが怒るんか?純に?」
「……本気で言ってる? 貴方を唆すなってずっと睨まれてんのよこっちは」
「ジジイは取って食われそうだっつってたさよ」
「まさか教えてないなんて思ってなかった」
往路のあの妙に張り詰めた緊張感はこのせいだったのかと合点がいく。しばしバツの悪そうにしていた純が、ラビを見てニヤリと肉食獣めいて笑った。
「でも、もう教えちゃったから しっかり記録してね?兎さん」
ラビの名は別に『兎』を由来としていない。戯れにそう渾名してくる人間が居るが、それとこれは別だった。彼女を調べて、『狐』と呼ばれているところを見て、『兎』と呼ばれて、今になって漸く純がそう呼ばれている理由を感じ取った。正しく唆されている。どの勢力にだって真には属さない記録者であるブックマンに、協力しろと投げかけてきている。
「……答えらんねえ」
「別にそれで良いわ ラビ、貴方に任せる」
「あーもう! オマエ、そんなだから女狐って言われんさよ!」
「さもありなん 自分で理解しています」
後継者殿と、そう呼ばれるべきところで今の名前を呼ばれた。蠱惑的な笑みを浮かべる純の瞳に底冷えするような色はもう見えない。イタズラっぽいくすくすとした笑い声。
結局、狐と兎の密やかな対談はラビが情報を得ただけで終わったのであった。
第七話「狐と兎」 つづく
数日後、黒の教団司令室。呼び出しを受けて入室した純に、コムイが革張りの冊子を数冊突きつけていた。
(ルベリエ長官からだ)
(なるほど アントニオはこれの餌のつもりでしたか)
(…どうするんだい?)
(決まってます、突き返してください 彼は無礼への詫びとして受け取ると、長官殿にお伝え下さいな)
(一応確認とかは…)
(しません 長官殿だって返されるとわかってるはずです 兄さんに見つかる前に処理してしまうことをオススメしますよ)
(わかった、急いで返送するよ… それで、アントニオ君は愁君の元に?)
(そうしていただけると アレを使い潰すのは惜しい)
(……ルベリエ長官からもそういう司令が出てたよ)
(ですから、私へのご機嫌取りのつもりなんですよ まったく)
話は終わったと純が足早に司令室を去る。書類に埋もれた部屋の中、コムイと開かれずに戻されることになったお見合い写真だけが残されていた。