第七話「狐と兎」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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彼女の苛立ちの一端、そのきっかけは数日前の昼飯時にまで遡る。
食堂に偶然居合わせた今と同じ面子、つまるところラビ、ブックマン、純の三人は適当に近況を語りながら昼食の席を一緒にしていた。食べる物の内容に大した頓着の無いらしい純はラビの勧めるままに焼肉定食を頼み、およそ淑女的なその態度に似つかわしくない大口で白飯を頬張っている。
「なるほど、甘みのあるタレは白いご飯に合うのでしょうね」
「ってことさ~」
「麻倉嬢には少々味が濃かろう」
「わかってねえなジジイ ここでキャベツ食うのがうまいんさよ」
「…確かに」
「ねえそれはどっちに言ってるんさ?」
「……どっちも?」
ところどころに笑みの溢れる極めて穏やかな昼食だったと言って良い。
その平穏をぶち壊して彼女のご機嫌を一気に地に落としたのは食堂の入口から駆け寄ってきた男の、黒の教団にあまりに似つかわしくない、まるで場末の酒場で旧知の仲を見つけたときのような、軽薄な声だった。
「よーお!おい、フォックスじゃねえか! アンタもここに来てたのかよ!」
中肉中背、三十から四十代のラテン系の男だった。どこにでも居そうな、というには少々薹のたった、しかし市井ではさぞかし持て囃されたとわかる顔つき。探索部隊のコートが頭から爪先まで似合っておらず食堂の中で浮いている。明らかに三人に対して声をかけてきているが、あいにくラビにもブックマンにも『狐』と呼ばれる覚えはない。では純の事かと二人して彼女を見やったが、まるで聞こえていないかのように味変に付けられたレモンをそのまま囓っている。どう考えてもそう食べるものではないが、いと麗しくあらせられる彼女の顔は凪いでいた。
「おいおい、忘れちまったとは言わせねえぜフォックスよお でっけえヤマいくつもこなした仲じゃねえか!」
三人の無反応に怯む様子も無く男は純に顔を寄せながら続けた。どうやら彼のいう『狐』とは彼女、麻倉純のことらしい。
それも無視しながら純はレモンの身を外皮から剥がし咀嚼する。飲み込んでグラスの水を空にした。カタン、と硬質な音。グラスが盆に少々強めに置かれたことで男がペラペラと回し続けていた舌も止まる。そこでようやく純が男の顔を見た。猫を被った聖女的な笑みがお決まりの彼女にしては珍しく、侮蔑と落胆がないまぜになった冷たい目だった。
「…その減らず口で思い出した。足抜けのアントニオ 終の棲家がこんな場所とはお前もヤキが回ったな」
二人の知る純とは口調までもが違う。少なくとも探索部隊や職員に対してはお嬢様然として丁寧なはずだった。嘲笑混じりに突き放すようなその態度は、ともすれば敵対のそれだが男は気にした様子もない。おそらく彼らの間ではコレがいつもの態度に違いなかった。
覚えられていたことに満足した様子の男、アントニオが純と肩を組もうとした時、探索部隊がもう一人ラビたちの元へと駆け寄ってきた。それも酷く息を切らして。
「おい新人!勝手に動き回るな…! 申し訳ありませんエクソシスト様!今日はいったばかりの新人で、中を案内していた最中でして!」
「いや、まあ 気にしてねえさよ?」
「……エクソシスト様?」
指導役と思しき探索部隊はアントニオが声をかけていた相手が三人だと知って顔色をかえて説教を始めた。
「そうだアントニオ、この方々はイノセンスに選ばれたエクソシスト様で、お前がそんな絡み方をして良いお方では…」
「この女もか…?」
「お、女ァ!? 口を慎めよお前!この方はな!エクソシストであられるだけでなく!我々探索部隊の為に心を砕いてくれる聖女のようなお方で…!」
一段と純の瞳が冷たくなった。この指導役はどうやら彼女の熱心なシンパらしい。任務で探索部隊に被害を出さず、無傷で教団に戻り、死者があっては歌で弔うとあって、純の意にそぐわない形ではあるが、彼女の信奉者と呼べる団員は少なくない。いつだかうざったいと純が愚痴っていたのを思い出してラビは苦笑する。この指導役から飛び出る『聖女』という単語は実に薄っぺらだった。
アントニオも同じように思ったのか『聖女』という言葉を耳に入れた途端に吹き出して、堪えられないと肩を震わせている。
「は、はは! とんだお笑いもあったもんだ!こいつが、この女狐が聖女ってか! ははは!あんたら騙されてるぜ」
ひーひー言いながら笑い転げる男に一層顔面を青白くしながら指導役は純に謝り倒している。温度のない瞳、貼り付けられた笑みでそれを宥める純の機嫌の悪そうなことと言ったらなかった。
「いいのよ、気にしていませんから 落ち着いて?」
「しかし…!」
「こう言われるのは慣れていますから ね?」
「…やはり貴方は、寛大でいらっしゃる いいか新人、彼女が許しているからと滅多な口は聞くなよ!」
「そりゃどうも、大変な失礼をいたしましたこって」
「……アントニオ、昔の好で忠告してあげるわ 『女狐』の歌で弔われたくなければ、せいぜい生き永らえることね」
単なる脅しとも、死ぬなと激励したようにも聞こえるそれに何も返すことは無く、アントニオは指導役に引きずられて食堂を出て行った。教団で最も生存率が低い探索部隊に対してその言葉はいささか冷たすぎるだろうが、訂正する者はここには誰も居ない。
「…えーと、知り合いさ?」
「昔の、前の仕事で、何回か使ったことがあるの」
ここに来る前、ラビ調べではイタリアの某マフィアでのこと。なるほど、以前の仲間ということでは先程までの態度にも説明がつく。
「教団での仕事に耐えられそうかの」
「生き汚くて、使い勝手の良い駒でした 教団には馴染めないでしょうけど、探索部隊向きの性能ではありますね」
「なるほど?」
「生きて帰れるギリギリのラインを見極めて、たった一人だけでも戻って来る あの男は、最低保証のようなものだわ」
実に便利だった。と、続ける純は遠い目をして食堂の出入り口を眺めながら息を吐くように軽く嗤っていた。