第六話「その八年に何があったのか」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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「この八年はね、ずっと復讐のために使ってたの。 私ね、貴方も兄さんも死んでしまったんだと思ってた。セカンドエクソシスト計画だっけ、それが失敗して被験体は全部処分されたって聞いて。
「…許せなかった。だからね、全部燃やしたの。残ってた資料も、施設もぜーんぶ燃やした。
「小娘一人じゃどうしようもないからさ、お祖父様の伝手を頼って飼ってもらってた 最初は大変だったな。戦闘訓練だって言っても、郷で教えてもらった剣術じゃ刃が立たなかったし 表情の作り方とか、料理まで叩き込まれて まあ、そのお陰で 美味しかったでしょ?
「施設を焼く度に、忌々しい魔術師たちを潰す度に清々したわ。 それ以外が酷く苦痛だと思うほど、その時だけは安らかだった」
静かに、落ち着いて話し始めた純だったが、語るにつれ声に感情が乗っていく。窓の外、遠くを見つめながら全てを燃やしたと言い、困り笑いで料理の出来を問うた。安らかだったと吐いたときの顔の引きつりようで、彼女の復讐がどれほどの痛みを伴っていたのか神田にも伝わってきた。
それでも、彼はある意味で安心していたのだ。彼女の八年は孤独の中にのみ在ったわけではなかった。組織に匿われていた時期の事を話す純の顔はどこか懐かしげで、情が移っているに違いなく。飼われていたと口では言うが、ローティーンの彼女はそこで育てられていたのだろう。なんとか、生きられるように。
「中国の実験場ね あれだけは私の仕業じゃないの」
「…みたいだな」
「貴方が死んだ場所だと思っていたから、丁重に葬ろうとしてたのよ? なのに先を越されてた
「今となってはそれで良かったと思ってる。 だって貴方もアルマも、兄さんもあの場所にいたんだものね。 私がやってたらあんなじゃ済まなかった。きっと皆死んでたわ
「……そこでね、ようやく貴方が生きてたって 死んでなかったって知って
「でも止まれなかった あの女、アイツを殺すまで止まれなかった イノセンスに適合があるってわかっても復讐だけは成し遂げないと そうじゃないと、報われないじゃない
「それで、二年前ヴァチカンでようやく、終わった
「アイツ殺して終わった ことに、したかったなあ」
掠れた声でそう吐き捨てた彼女が神田を見て目を細めた。明らかな作り笑いは諦観を帯びている。
「幻滅した?」
馬鹿げた質問だ、と彼は思う。罵倒するとでも思っていたのだろうか。それか、愛想をつかされるとでも?彼女が先に突き放してきたのではないか。
「いいや 奴らには当然の報いだろ」
「…そっか」
「ただ、お前のやるべきことじゃなかったとは思うぜ」
「わかってるよ 許されることじゃ…」
「ちげえよ 教団への、あの実験への復讐は俺のものだった それを勝手に持っていきやがって」
神田に彼女の行為の是非を審判するつもりなど元より無かった。純が復讐に時間を費やしていたと知ったときから、それしか生き延びる術がなかったのだと気がついていた。語られた過去はつまるところ、あの日の、郷が燃やされた日の全てを、彼らに降り掛かった火の粉全てを、麻倉純が背負ったという事実だけだ。馬鹿だ。馬鹿がすぎる。こんな重荷を彼女が背負う必要は無かったはずだ。俺の分は俺で背負えた。背負っていくつもりだった。背負うべきだったのに、彼女に全て持っていかれ、それを支えることすら拒まれてた。
「馬鹿野郎が…」
「……ごめんね」
また再会した日と同じ笑い方だ。もう許嫁じゃないと、一番大事だった約束を違えてきたのはこれのためか。そこまで俺は見縊られていたのか。
「なあ、それが理由なのかよ」
「…」
曖昧な笑顔は崩れない。
「答えろよ」
「…っ 違うよ …違うの」
ついに彼女の笑みは消えた。眉根を寄せて、目線を逸らし引き結ばれた唇。細い首にイノセンスが透けている。首輪のようだ。いや、正真正銘、彼女を縛る首輪なのだ。イノセンスが彼女を逃すまいと首を締め上げている。
「違わねえだろ! 他人の因縁を勝手に潰して、その挙げ句にこんな首輪までつけられて それ以外に何の理由があるっていうんだ!」
神田の節ばった長い指が細い首にかかる。怒りに任せた衝動的なその動きで純の頭は窓へとぶつかったが、どちらも気にかけてなどいない。首が締まるほどでないにしろ、男女の力の差では覆しようのない拘束に、彼女の冷ややかな目が彼を睨めつける。
「手を離して じゃないと答えないから」
残酷なまでの二者択一。神田はこれを選ぶことが出来ない。手を離してしまえば彼女は消えるだろう。そのつもりじゃなきゃ、あの過去を明かしはしなかった。最初から最期のつもりでこの小屋に来ていた。どうして離すことができようか。
そもそも、こんな拘束に意味などない。目の前に居るのは紛れもなく魔女で、首を掴まれる前に避けることすら造作も無いはずだった。だったら何故捕まった?離せというなら捕まらなければ良い。別れるつもりなら、現れなければ良かった。
「…っ、だったら逃げれば良かった お前なら使徒にならずにイノセンスから逃げて生きていられた! なのになんで 何故俺の前に現れてあんな…」
懐かしい背中に久しぶりだと声をかけた。たおやかに揺れる至極色の髪、大きくて奇麗な瞳が見開かれ眩しげに細められた。希望を見て、全てを手に入れたかのような満ち足りた顔をしていた。お前も嬉しかったんじゃないのか。八年越しの、ようやくの再会にあの顔をしたんじゃなかったのか。
「俺を振りほどくくらい、なんて事ないんだろ 早く行けよ」
今になって純は泣き出しそうな顔をする。歪められているにもかかわらず腹が立つほど綺麗だ。柔らかそうに膨らんだ唇が震えている。締められて細くなった気道が、息を通そうと蠢くのが伝わる。
「……貴方にもう一度会いたかった それだけなの
「復讐が終わったら貴方の顔をひと目見て、それでどこか遠いところに行こうと思ってた
「でも使徒に選ばれてしまったから、復讐の対価は支払わなくちゃ
「それにね、エクソシストになれば貴方に会えるとわかっていたから 逃げるのはその後だって構わないじゃない?」
「……くそ」
首にかけていた手で彼女を引き寄せ抱きとめた。暖かい。壊れ物みたいな細い肩と小さな頭が腕の中にある。脈拍が肌を伝ってきて、呼吸が近くに聞こえる。生きている。生きて、俺に会うためだけにここに来た。俺のために、このか弱い背に全てを負わせてしまった。
「っ、神田 やめてよ」
「うるせえ黙って聞いとけ」
「…俺は、この八年ずっとお前を待ってた 待つことしか出来なかった
「実験の後、頭ん中に知らねえ記憶が蔓延って 俺じゃねえ誰かがずっと頭にいた
「そいつの未練が視界を埋めてた 終いにはお前の顔すら思い出せなくなって
「それで兄貴に八つ当たりして何度も返り討ちにあった
「あの日、アルマを殺しかけたんだ 母体を見たアイツが暴走して、どうしようもなかった
「アイツを殺して俺も死ぬのがいいと本気で…
「俺の意思じゃなかったと、知らない記憶のせいだと言い逃れしたくてたまらねえ
「お前を手放しかけて、兄貴を刺すまで止まれなかった
「…歌、綺麗だった あの日のやけに明るい月がずっと沈まない気がして、俺もアルマも救われた」
記憶とあの人を救ったのは純だ。あの時、あんな近くにコイツは居て、兄貴はそれに気付いていた。
「兄貴は俺等を放っておけばお前を追えたんだな 俺が止まれてさえいれば」
「馬鹿言わないで アルマは貴方の大事な友だちでしょ、そんな事言わないでよ」
「わかっている だが・・!」
「神田、あの時会えてたって何も変わってないよ」
「っ、だから何故だ!」
「貴方は離さないことを選んだのよ」
「…お前は逃げなかった」
それでこの話はおしまいだ。彼女を離せずに理由を聞く権利を失った。いつでも逃げて終われるはずのコイツはまだ腕の中にいる。うす甘い女の肌の匂いと、指の間をすり抜けていく艶髪。これは幼馴染に向けるような、ましてやガキの頃の刷り込みで芽生えるものじゃない。劣情といって差し支えない感情が俺を支配している。
「…ねえ、そろそろ苦しいんだけど」
「もう少しだけこのまま 今だけは許せ」
離したくない。コイツに、この女に触れて良いのが俺だけだと許されていたい。この満月の、月明かりの中だけでも抱きしめることを許してほしかった。
第六話「その八年に何があったのか」 つづく
(…今だけよ)
結局、この月夜の密会で彼女が俺を拒んだ理由を知ることは出来なかった。思考の端で今すぐにでも犯して手中に収めてしまえばいいと下卑た考えが湧く。最悪に等しい非道だ。それこそコイツを失う他なくなるというのに。純にとってこれが、俺に抱きしめられていることがギリギリのラインなのだろう。この一線を超えれば彼女は消える。そのときは跡形も、素振りすら見せずに消えるに決まっている。コイツの腕が俺に回されずにいることが何よりの証拠だ。俺の名を呼ばないのも、幼馴染だと念押ししてきたのも同じ目的。本当によくわからん女だ。俺の前から消えたくないと、そう言っているようにしか見えない。
ならそれだけは甘受しよう。いずれ離れていく日まで側にいたい。たとえ許嫁でも、幼馴染ですらなくなっても構わないから、お前を守らせてほしい。