第六話「その八年に何があったのか」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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――――神田ユウの独白
八年前、十歳になった年。結界の中で焼け落ちていく郷と、兄貴の話し声が脳裏にこびりついている。自分が郷から逃げ延びたのを計ったかのように遅れて到着した教団の人間は俺に目もくれず、幼馴染の兄なるものと言葉を交わしていた。俺の連行と引き換えに兄貴は教団でのポストを手に入れる。それしか妹を追う方法がないと言いながら。
そのまま忌々しい実験場に連れて行かれて呪いを受けた。死なない身体に作り変えられ、適合するかもわからないイノセンスとの同調実験に晒される。実験場に生まれ落ち同じ実験に晒されたアルマ・カルマと身を寄せ合いながら日々を過ごした。
かの少年は地獄のようなあの場所で底抜けに明るかった。毎日毎日これから生み落とされ同じ地獄に叩き込まれる同胞に声をかけては笑っている。馬鹿みたいにヘラついて、無邪気で、俺には理解できようもない生き物だと思った。アイツがそうでもしないと息苦しくてしようがないのだと分かった頃、俺の頭の中に知らない記憶があることに気がついた。知らない場所、知らない景色、知らない『愛する人』の優しい笑顔、似ていると言われた蓮の花。
それらの本当の意味を知らないままに『セカンドエクソシスト計画』と呼ばれた一連の実験は凍結された。兄貴がその悉くを潰したのだ。あとから聞いた話によれば、俺に記憶の混濁があると気付いた研究員たちによって処分される寸前のことだったらしい。聞き耳を立てていたアルマが俺を逃がそうとして鴉に捕まったのと、兄貴が助けに来たのが丁度のタイミングで命拾いをした。それまで散々身体を痛めつけてきたイノセンスは、去り際に付いてやってきてもう逃れられないのだと知った。
それから教団本部につれていかれて、俺とアルマはエクソシストとして運用されることになった。あの実験場よりは随分とマシな地獄の中には色々な人間が居た。実験場で助けてやったエクソシストのおっさん、父親面してくるうざったい師匠、何かとアホくさい薬やら機械やらつくる科学班の連中。アルマは新しい世界に興奮してあちこち走り回ってた。その中に射干玉の髪を靡かせる少女をみつけて、もしやと思ってしまった。あの日攫われた幼馴染は既に救出されて俺を待っていたんじゃないかと。彼女の生死すら俺は知らされていなかったのに。
その少女はリナリーと言う名前だった。両親をアクマに殺されイノセンスの適合があると連行され、心を病んだ年下の娘、年の離れた兄をもつ黒髪黒目の少女。僅かなりともアイツを重ねてしまったのは、そうでもしないと俺の記憶の中から彼女が消えてしまうような気がしたから。知らないはずの記憶は日毎に解像度を増していって、夢にまでみるあの人に会いたい、『愛した人』に、恋人に会いたいと記憶が叫んだ。所構わず蔓延る蓮の花は思い出まで侵食して、アイツの顔を覆い隠し、それにあの人の笑顔が重なる。俺の記憶じゃない。違うはずなのに、紫と緑の宝石みたいなあの瞳の燦めきも、俺を振り返る度にサラサラと舞い上がる鴉の濡羽のような髪も全てが上書きされて明確に思い出せない。同じような色の瞳と髪をもった少女を見て、まだ完全に忘れてはいないと再確認し続けていた。
俺がエクソシストとしての修行と任務に追われている間、兄貴は教団の特務をこなしながら純を探し続けていた。俺以上にあちこちを飛び回り、帰ってきたかと思えば捜索の報告もせずに次の任務に向かう。女連れで帰ってきたときは喧嘩になった。結局その女は麻倉の家の協力者でべらぼうに強かったから納得してやったが、まともに捜索しているのか疑わざるを得なくなった。アイツは無事なのか、生きているのか、それ以上に『あの人』が生きているのか確認したい、しなくてはならないと記憶が訴えてきて兄貴に食って掛かった。あのときの俺は純と『あの人』の区別がつかなくなっていた。
「アイツが見つかってねえのに また長期任務とは、随分呑気なんだな」
「…ユウ、話は今度だ 時間が惜しい」
「時間が惜しい? テメエはあの人の事を諦めただけじゃねえのか!漆峯愁夜ァ!!」
俺と、記憶の怒りに任せて兄貴の本当の名前を呼んだ。麻倉純の兄なるものとして養子にとられた兄貴は、彼女からもらった愁という名前を神聖視している。本当の名前を呼ぶことは彼にとって敵対に等しい。引きちぎれるほどの力で首を締め上げられ、そのまま宙吊りにされた。
「若様の身体で好き勝手吠えてんじゃねえよ 亡霊風情が」
朦朧とする意識の中で見た睨みつけてくる視線は俺の知る人間のものじゃなく、それを向けられているのが植え付けられた記憶のほうであることに心底安心したのを覚えている。
植え付けられた記憶の本当の意味を知ったのは三年前、十五歳になった年。あの忌々しい実験場跡に襲撃予告があるからとアルマと俺で護衛任務にあたったのだ。終わったはずの施設のなかでここだけは守りきれと示された場所を覗くなと言われたのに見てしまった。呪符で巻きつけられた人間の肢体がたった二つだけ、それだけだった。俺とアルマがそこに居た。アルマはしばらく死体を凝視して、俺の奥にある記憶を見つめながら言った。
「ねえ、ユウ これ僕達だよ 私達、ずっとここに――
差し伸べられたアルマの手を取ろうとした時、外から爆発音が聞こえてきた。それに反射的に身体が突き動かされ否応なしに話は途切れる。
アクマ共を葬り去りながらアルマはずっと泣き叫んでた。騙され、利用され、また使い潰される。そんなことなら生まれ落ちなければ良かったと。同感だった。俺もアルマももう死んでいる。こんなクソッタレな世界に意味など無いと、生きていてもしょうがないと。
アクマを屠り終えてもアルマは止まらなかった。馬鹿みたいに明るかったあの顔に、曇りきった笑顔を浮かべながら泣いていた。
「ユウ、私達もう死んでるんだよ 楽になっても良いんだよ? 守るものの無いこんな世界逃げ出してさ、一緒に死んでよ!」
襲いかかってくるアルマの刃に貫かれて死にたいと、そうしたいと思いたくなかった。俺には守るべきものがあったはずなのに、それが既に失われていると記憶が主張し続けてくる。かき乱された思考の中ではじき出された答えは目の前の大事なものを楽にしてやることだった。
「だったら楽にしてやるよ 彼女の居ない世界に意味なんかない」
この言葉を吐いたのは俺だったかもう定かでない。どちらにせよ倒れたアルマにトドメを刺そうとして六幻の切先を振り抜いた。肉に刃が突き刺さる感覚と呆然とするアルマの顔。アルマに向けたはずの切先は、兄貴の胸に突き刺さっていた。
「駄目だ、ユウ アルマを殺しちゃならない」
「彼女はもう死んだのにか!?」
「ユウ、純は生きてるよ 必ず生きてる」
「どうして言い切れる! あの人はあそこに、死体で居たのに!」
「混乱してんな… いいか、純が死ぬ時俺も道連れになる、そういう契約だ だから大丈夫、ひいさまは絶対生きている ユウ、彼女は純ではない わかるな?」
純が生きていると確信して、ようやく記憶と自分の区別がついた。それなのに叫ぶ口を止められないでいた。
「では俺達はどうなる!彼女とようやく再会出来るはずだったのに、永遠に会えないというのか!」
「黙れよ亡霊 遠い過去の痴情に俺の家族を巻き込むな」
「貴様如きに何がわかる、俺の唯一の存在意義だった!」
記憶の恨み言ばかりが口をつく。兄貴を殺したくはなかったのに身体が思うように動かなかった。起き上がったアルマが切先を振り上げ俺達に近づいていた。それでも、吐きたくも無い罵詈雑言が止まらない。
「もういい、ユウの口をつかわないでくれ」
「うるせえ、早く死ねよ!」
「…反吐が出る コイツらの生命維持に必要だから生かしていることを忘れるなよ 貴様らの自我など一欠片も求めちゃいない」
兄貴から漏れ出す殺気にアルマの動きが止まり、記憶も口を閉ざした。底冷えした声が従者の女の名前を呼ぶ。問答無用に彼らと俺達が分かたれようとした時、美しい歌声が天から降ってきたような気がして、あの人の姿を見た。あの人はようやく記憶に声が届いたと嬉しそうに笑っていた。親切な人が記憶とあの人を引き合わせてくれたのだと。あの人は俺とアルマに微笑みかけて、記憶を連れて蓮の咲く泥濘に沈んでいった。
視界に蔓延る蓮の花は一気に数を減らし、純の顔をようやくはっきりと思い出せるようになった。蓮も、あの人も被らない守りたかった少女の顔だ。アルマの思考もクリアになったようで、また泣きながら謝り散らしていた。馬鹿みたいなアホ面の汚え泣き顔は、まさしくアルマのもので、俺もアルマも救われたのだと実感した。