Re:2000年の再演を
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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仮想21世紀初頭の英国某所、十一月十一日。
木枯らしと初雪の日に、幼馴染に白い椿を贈った。
十一月の寒い朝、アレン、神田、純の三名は仮の宿とした山中の洞窟を朝食を取らないままに出発した。一日と半分程前に通達を受けた緊急任務は成功裏に完遂され、後は教団へと帰路につくのみだ。太陽が登る前の薄明かりと朝靄の中を言葉少なに三人が行軍する。吐く息も例に漏れず白く濁り、踏みしめる土には霜が降りていた。シャクシャクと小気味いい音が足元から鳴る。それも街に近づくにつれ消えてゆき、石畳を踏む頃には木漏れ日に小鳥のさえずりが聞こえてくる。
予定通り始発の電車に乗り込み息をつく。暖房の効いた車内が三人の身体を暖めていた。クッションの効いた座面のボックス席に腰を落ち着けながら報告書の割り振りを決めていく。普段の神田であれば独り離れた席に座るところだが、昨日大怪我の隠蔽を行った幼馴染から目を離すわけにはいかず彼女を窓際に押しやり出口を塞ぐように隣に座っていた。
神田も純が毎度無傷で任務を終えているなどと思ってはいなかった。自分と似た、上位互換ともいうべき体質の彼女の事だから傷など負ってもすぐに癒えているだけだろうと思っていた。完璧のまま保たれる美しき少女、それこそが麻倉純なのだと、そう思っていたのだ。あの血に塗れた肢体を抱え上げるまでは。
肌を伝うごとに冷えていく血潮も、次第に弱まる呼吸音と心音も、見当違いな懺悔の声も死の感触を直に伝えてきた。思い出しただけで腸が煮えくり返りそうになる。傷を看破できなかったことも、隠し立てされていたことも、それ以前に彼女にそれだけの無理を強いていたことが腹立たしい。それを彼女が当然のように受け入れていることなど腹立たしさを通り越して呆れ返るばかりだ。更に言えば、それを知ったのが昨日だという事実が神田に影を落とす。よりにもよって十一月十日、麻倉純の誕生日前日に彼女は血に塗れ死の淵に立たされたのだ。
十一月十一日、麻倉純の誕生日当日にあって彼らの間にその話題は登らない。アレンはその事実を知らず、神田は知っているが口に出す質ではない。そもそも純が正確な生年月日を伝えた教団の人間など人事に係るごく少数だけだった。知っていれば朝一番に祝いそうなアレンがその素振りも見せないことで、神田は彼が教えられていない事実に感づく。生死や任務の進退に大きく関わるような情報ではないから、神田は態々口を出すつもりもない。だが彼女が、麻倉純が随分と寂しい道を選んでいることが無性に気になった。
乗り換えの合間に出来た空白の時間でアレンと純は昼食の買い出しに向かう。独り駅前の枯れた噴水に腰掛け彼らを待つ間も、神田の脳内は後悔に支配されていた。彼女がまともには眠れないのだと気付いたのに何も出来ず、みすみす怪我を負わせた。あの橋の下での怪我を、ただ彼女の不注意だと斬って捨てることは出来ない。側に付いていたのに守れなかった。不注意なのは自分の方だ。彼女に言わせれば、神田にただの幼馴染を守る義理はないのだろう。それでも彼にとって麻倉純は、たった一ヶ月前まで守るべきだと信じてやまない相手だったのだ。それが使命に擦り潰されながら死に追いやられていくのは、いくら冷血と名高い神田にとっても堪えるものがあった。しかも、彼女が生を受けた日の前日では遣る瀬無くてたまらない。
神田がモヤモヤと纏まらない思考を回し続けている間にも、彼の前の往来には多くの人が行き交っている。その中に布をかけられた背負籠から艶のある葉を覗かせ、嗄れた声を張り上げる老婆の姿があった。雪が降りそうなこの木枯らしの季節にこそ美しい花をつけるのだと謳いながら折れ曲がった小さな腰が道をゆく。その声に立ち止まった女が蕾のついた切り花を褒めちぎり金を出したことで、その価値が往来の誰から見ても明らかになった。腰の曲がった老婆から背負籠を奪い去るなど児戯に等しいのだろう。街の破落戸と思しき男が老婆を突き飛ばしては、ひったくった籠を雑に振り回しながら走り去ってきた。よりにもよって神田の目の前に。
ひったくりだと叫ぶ声の手前、無視を決め込むわけにもいかず通り過ぎようとする破落戸の足をつま先に引っ掛け転ばせて宙に浮いた背負籠を掴んだ。破落戸は追ってきた人間が取り押さえている。どうも面倒な役割を押し付けられたらしい、と軽くため息をつきながら神田は老婆の元に近寄った。
「ほらよ婆さん」
「ああ、ありがとうねえ」
往来の中心から少し外れたベンチの上、背負籠を渡された老婆は収められた花が無事か確認し始めた。暗褐色の枝に、艶のある深緑の厚手の葉と綻ぶ前の白い蕾が幾つかついている。神田はその花に見覚えがあった。幼い頃を過ごしたあの郷、麻倉の本邸に何本も植えられていたあの木だ。
「…椿か」
「若いのによく知っているねえ」
「郷に植えられていた」
「兄さん、東の方の生まれかい ああ、よかった傷んじゃいないみたいだ」
老婆が胸を撫で下ろす。割り振られた役目は終えたと神田はその場を去ろうとしたが話に付き合ってくれないかと呼び止められた。電車には未だ時間があり二人が戻ってくる気配もない。時間つぶしの気まぐれに彼は付き合うことを決めた。
「それにしてもあんたみてえなババア一人で行商など、無理があるだろう」
「ははは、言うじゃないか まあそうさねえ、あんまり奇麗に椿が咲きそうなもんで思わず飛び出してきちまったんだよ それに今日は椿が売れるだろうからねえ」
「…今日?」
「兄さん、誕生花ってのは知ってるかい」
神田にとっては知らない概念だった。一般に誕生日の贈り物として花が採用されることはわかるがそれを誕生花とは呼ばないだろう。老婆によればこの世には一日一日すべての日に象徴する花が設定されているらしい。それで生まれた日の花のことを誕生花としてありがたがっているようなのだ。本日、十一月十一日の誕生花は白椿。だからこそ売りに歩いているのだと、なかなか上手い売り文句だった。
「花言葉は『完璧』、白椿なら『崇拝』なんてのもあるねえ」
「随分と高尚だな」
「白い花ってのは大抵高尚なもんさ そういやあ日本では縁起の悪い花だそうだね、首が落ちるからって」
完璧な美しさで崇拝される花、完璧なままで死にゆく花。まさしく彼女のことだと思った。死の間際にあってそれを悟らせず、血に塗れても彼女は美しかった。まさしく花の形を保ったまま枯れ落ちる椿だ。それが誕生日に定められた花とは実に皮肉が効いている。まるで昨日の彼女の様子を見てきたかのように言い当てていた。
いつのまにか老婆が手にしていた椿の切り枝を見つめながら、神田は己の思考を一笑に付した。この花につきまとう言葉はどこまでも彼女を想起させるが、一点だけ決定的に違う。彼女は、麻倉純は死なないのだ。首が落ちようと、彼女は死なない。椿の花が落ちようと、椿の木が枯れないように。凍てつく風に耐えてまた花を咲かせる。そういった類の完璧さ、不死という名の神性を帯びている。
「そうでもねえよ 郷じゃ魔除けとして植えてた、縁起なら良いほうだろ」
彼は機嫌を損ねたように老婆に言葉を返す。彼女の誕生日の花が不吉なものであってほしくないと言い聞かせるような声色だった。嗄れた笑い声、手にしていた椿の枝を神田に寄せながら老婆が笑う。
「さては兄さん 椿に誰かを重ねてんのかい」
「なっ…」
「図星だね 儂みたいな婆さんになるとね、兄さんみたいのが考えてることは手に取るようにわかるのさ」
「…何が言いたい」
「なに、助けてくれた礼だよ 一枝もっていきな」
「別にいらねえ」
「礼は大人しく受け取っときな、坊や ちゃんと水に差しゃじきに花も咲くだろうさ」
「おい…!」
なんのアドバイスのつもりなのか、ニヤついた顔で老婆は椿の枝を押し付けて往来の中に消えていった。仏頂面の美丈夫に白椿の蕾、絵面だけは耽美だが似合わないことこの上なく、戻ってきた二人が一瞬言葉に詰まったのもむべなるかな。
「…どうしたんですか神田、花なんか買っちゃって 素晴らしくファンシーですよ」
「うっせえな 押し付けられたんだよ!」
「へえ、上等な椿じゃない」
「この花、椿っていうんですか?」
「そうよ、冬に花を咲かせるの」
「無知モヤシ」
「似合わないメルヘンやってる君に言われても響きませんね」
神田としてもこのまま自分が花を持ち続けるのは耐えかねる。この椿を受け取ったときから行き先は決まっていた。十八年前のこの日に生を受けた幼馴染が椿に付随する意味を知っていようがいまいが関係ない。この花を彼女に重ねた。白椿を贈られるにふさわしいのは目の前の少女だ。
「お前になら丁度いいんじゃねえの 枯らすこともねえだろ」
「……神田、あなた」
「行こうぜ 電車ももうじき来る」
椿の枝は麻倉純に押し付けられた。押し付けた主は彼女と目を合わせないままに駅に向かい、追いかけて乗り込んだ電車では少女が椿片手に窓の外を眺めていた。彼女は時々指先で枝を遊んでは瞼を閉じる。唇に浮かぶほの薄い微笑、烏の濡羽の髪と真白い頬に影を落とす長い睫毛。
これが枯れることを知らない永遠の少女だとして、それでも傷つく姿を見たくないと願うのは傲慢だろうか。あるいは永遠でなくて良いと願うのは?如何にせよ誕生日を迎え一つ歳を重ねた永遠が、まだ来年も自分の傍らにいて歳を重ねてくれればそれでいい。ひとまずは彼女が自他に擦り潰されることの無いように、自分が出来ることには手を尽くそう。この八年彼女に対して俺はずっと無力だったのだからと、神田は片肘をついて純越しに流れる景色を眺めていた。降車駅が近づくにつれ暮れていく曇り空からは今年の初雪がちらついている。
閑話3-HPB『初雪と白椿』 つづく
来年があるのなら次は偶然でなく、この日を祝えれば良い。