第五話「幼馴染と過ごした日々」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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その五『茶の一つ適量淹れられない女』
天井まで伸びる壁のような箱に一分の隙間もなく本が詰め込まれている。埃っぽい空気を暖色の電灯が照らしていた。並べられた机の端でペン先をコツコツと叩きつける音がする。軽い山になっている書類は一向に減る気配を見せない。頬杖をついたまま眉間に皺をよせ神田ユウは記入欄とにらめっこしていた。
任務続きでまとまった時間が取れず書類仕事が溜まってしまっていたのだ。書類仕事と言っても任務の報告書と、あとは文書を読んで名前を記入するだけの簡単なお仕事だ。だが人には向き不向きと言うものがある。正直言ってアクマを屠りに動き回る一時間と書類に向き合う一時間では、体力面は別として、精神的に疲弊するのは圧倒的に後者なのがこの男だった。そこまで切羽詰まっていない状況なのも災いして面倒くささで文字から眼が滑る。やっとの思いで最後まで読み切った内容がくだらない確認事項で苛ついた。苛つきのままにサインをするものだから線が乱れて荒れる。なんとなく気に食わなくてまた苛ついて舌打ちをする。終わった書類を右手側に避けて山の上から次を取るのも億劫だ。
……手に取った。さっきの書類と同じに見える。破り捨てたくなるが万が一違った場合に損をするのは自分だ。またやっとの思いで読み切る。同じだった。怒りのままにグシャリと握りつぶして丸めて後ろに投げる。地に落ちた音がした。
………捨て置くのは良くないか。衝動的な行いを省みながら拾おうと後ろに意識を向けると、微かに気配が近づいてくる。足音も呼吸音も極小、過度な警戒も緩みもない空気感、ごく自然に視線が彼の様子をうかがっていた。
「純か」
気配に向かって話しかければ、予想通り射干玉の髪の少女麻倉純が立っていた。先ほど投げた書類を拾ったらしく手渡してきながら彼女は眉をハの字に下げる。なんだか困り顔だ。珍しい。
「……あのね お茶を淹れすぎたの」
発言の意図が掴めない。変に抜けている彼女のことだよくあるやらかしだろうとしか思わなかった。それをわざわざこんなところまで報告に来る必要など無いだろう。
「それがどうした」
「飲みきれそうになくて 休憩がてらに助けてくれない?」
なるほど、丁度いい処理先として選ばれたらしい。助けてなどと随分調子の良い発言ではあるが、そう言われて無碍にするほど狭量ではない。断じて体の良いサボりの口実が出来たとは思っていないのだ。
「…仕方ねえやつ」
「よかった 談話室に用意してあるから、行こ?」
「ああ」
連れて行かれた談話室にはポットに波々の紅茶、よほどでないと淹れすぎない量だ。大方茶葉を入れすぎてそれに合わせる形で湯量を多くしたのだろう。聞けばそうだという。馬鹿め。茶の一つも適量淹れられない女は困り顔で笑いながらカップにそれを注ぐ。白磁との境目に金縁が揺らぐ浅い赤茶色、淹れてから時間が立っているだろうにまだ舌を焼くような熱さが保たれている。茶菓子にと出された冷えるように溶けていく砂糖菓子の甘さを洗い流せば柑橘の香りが膨らんだ。目を細めながらカップに口をつける純の仕草は上品極まりない。茶を淹れすぎるようなやらかしはしないどころか、自ら茶を淹れることすらないようなお嬢様っぷり。これが馬鹿で抜けているなどと初見で見抜けるものがいるか、いやいまい。
おかわりにと注がれた二杯目も飲みきってポットは空になった。肩の力が抜け少し頭が冴えた気がする。丁度いい息抜きにはなったらしい。
「助かったわ、ありがとう 続き頑張ってね」
「……ああ」
これをきっかけになのか、彼女からは度々茶に誘われるようになった。毎回毎回淹れすぎるらしい。最初のうちは余程の馬鹿だと呆れていたが、今はそうではないと理解している。何度目かにアルマに見つかって茶会が三人に増えたのだ。各々のカップに注いでそれでポットが空になる。丁度三杯分、いつもの茶会も彼女が一杯、自分が二杯。どうやら彼女は毎回きっちり三杯分を適量淹れているらしいのだ。
それからは誘い文句が「淹れすぎた」から「お茶淹れるけど」とか「お茶に付き合え」というストレートなものに変化していった。
「…仕方ねえやつ」
文脈は滅茶苦茶だが誘いに乗る口実が欲しかった。茶一つ適量淹れられない仕方のない女に付き合っているのだという体を取って給湯室に並んで歩く。ヤカンを火にかけ湯を沸かす暇を他愛のない会話で潰した。壁に凭れながら純が透明な急須にコロコロとした珠を落とすのを眺める。甘い花の匂い。煮える湯を注げば珠が潤びて葉に戻っていく。静かなひだまりに場所を移し、緑がかった薄茶色が小振りな茶器に注がれて目の前に出される。二人の間に置かれた盆には今日の茶菓子、干しいちじくと豆菓子だ。ほの苦い白茶とジャスミンの香りに目を閉じて息をつく。一服とはまさしくこれを言うのだろう。
その五『茶の一つ適量淹れられない女』おしまい
机仕事や空振りの任務終わり、妙に気が立つその時にふと穏やかさを求めるようになった。その度に彼女が来ないかと心待ちにするのだ。あるいは、同じように机に向かう彼女に今日は淹れすぎないか尋ねたって良い。 きっとアイツは笑って良い時間だと給湯室に足を向けてくれるのだ。
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