第二話「かくも懐かしき」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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彼らがあるドイツの都市で帰りの電車を待っていると、見覚えのある顔に話しかけられた。行きに助けた貴族夫妻の執事の男だ。あのときの不躾な態度は何処にいったのか、恭しく純に頭を下げてくる。
「先日は、大変なご無礼を失礼いたしました」
「…何のことでしょうか」
「お恥ずかしながら、ブローチをお譲りいただくまで貴方様が麻倉の姫君だと気付くことが出来ず。旦那様も失礼な物言いをしてしまったと、こうして謝罪に来た次第です。」
姫君という言葉にアルマが好奇心を向ける。どういうこと?と神田を問い詰めるも、一旦黙っておけと釘を刺されて大人しくなった。
「では、ウィッティ卿にはこうお伝え下さいな。すでに姫君は儚くなられた、と」
「貴方様がここにおられるのにですか」
「家は滅びました。私も今や使徒の身分です どうかご理解いただきたい」
「黒の教団、ですか…」
執事は怪訝な目線を胸元のローズクロスへと向ける。信用に足るかどうか見極めようとしている顔だ。それに気づいた彼女が一層笑みを深くする。蕩けるほどに美しい完璧な笑み。麻倉純がどういう生き物か知らなければそれだけで人を誑しこめる魔性の笑みがどういう意味をもつのか、この場で神田ユウだけが知っていた。彼女にとってこの執事も、あの夫妻も獲物だったのだ。
「…いいえ、貴方様がそこに居られるならば関係のないことですね」
「それでは」
「旦那様の名代として、ウィッティ家が黒の教団を支援することを誓いましょう」
「ふふ、それはどうぞ教団に直接連絡してあげてください」
「…それもそうですな。ああ、これだけはお受け取りください。これを使った酒が領地の名産品でございます」
「ウィッティ家のシードルは絶品と聞きました。ありがたく頂戴いたします」
バスケット一杯の林檎を受取り、執事に分かれを告げる。あれよあれよという間に貴族の支援者が教団に増えていた。
「…土産ってのはこれか」
「彼らは中立派でしたからね 伯爵側に取られる前に引き込んでおけるなら越したことはない いい偶然だったわ」
「なんだか難しい話だね ぼくにはわかんないや」
「彼らの領地は豊かだから 食堂の食材がもっと美味しくなるわよ」
「それは嬉しいね!」
やってきた電車に談笑しながら乗り込む二人を追う神田の眼差しには険がある。客室につくと純が林檎を投げ渡してきた。
「もらったんだし、食べましょ」
「いいね!ちょうどお腹すいてたんだ~」
神田も確かに小腹が空いていた。この小振りな林檎ならばちょうどいい量だろう。受け取った林檎を袖で軽くこすり齧り付くと、鮮烈な香りと共に果汁が口に広がる。鮮度の良い上質な林檎だ、だが…
「ふふ、おいしい」
「うん!凄い果汁…!でも、ちょっと酸っぱくない?」
そう、酸味が強いのだ。強い甘みを好まない彼にとってさして気になることでは無いが、一般的な美味しさの範疇から外れていることはわかる。それに気付かない彼女では無いはずだ。
「…加工用ですもの、それは仕方のないことだわ」
「そっか、シードルになるんだっけ」
「ふふ、きっと教団へも届くはずだわ。新酒が楽しみね」
彼女がまた誤魔化すような笑みを浮かべたことを彼は見逃さない。蕎麦を食べさせたときからの違和感が次第に確信へと変わった。彼女の身体にはどうやら異変が生じているらしい。アルマが探検にと席を外したタイミンで問い詰めることにした。
「純、お前 味がわかんなくなってんのか」
新たな林檎を手に取り、鼻を寄せて香りを楽しんでいた彼女の肩がビクリと跳ねた。林檎を握る手の力が一瞬強くなり、脱力とともに腕が下がる。俯いて垂れ下がった髪の向こうで眉根をきつく寄せ、声にならない息が漏れ出ている。一つ、大きなため息を付いた後に彼女の口が開かれた。
「…そう、味覚が壊れてる。よく解ったわね」
「顔見てりゃわかる なんで言わなかった」
「別に、言うことでもないから」
心配を無碍にされて腹が立つ。それ以上に、嘘を吐かれていたことが気に食わなかった。
「蕎麦の味もわかんねえでアレだけほざいてたのかよ」
「違っ」
「…何が違うんだよ」
隣に座っている彼女の顔を睨みつけると、真剣な瞳と目があう。それは何処か怯えの色を湛えていた。
「あのね、味そのものがわからないわけじゃないの。 どれくらい甘いか、塩っぱいか。どんな具材が入っていて、どう調理されているかはわかるのよ」
「…」
「でも、それが美味しいのかどうかがわからないの。この林檎が酸っぱいのはわかるわ ただ、美味しいも不味いもないだけ」
「それであの顔か」
「…練習したのよ?結構上手に出来るようになったの」
そうして浮かぶ彼女の表情には見覚えがある。確かに純が美味しいものを食べたときはそういう顔をしていた。最初はまんまと騙されたが、状況と合っていない場面で出されては馬鹿でも気付く。
「…あの辛味おろし、お前の好みには辛すぎたんだ。食えないんじゃないかと思った」
「そう、だったっけ」
悲しげに曖昧な笑みを浮かべる彼女に、怒りを通り越して遣る瀬無さが彼を襲う。懐かしい味を彼女と共有できて浮かれていた自分も、行き場のない感情を彼女にぶつけてしまう自分もどうしようも無く嫌だった。
「…蕎麦を食ったときも、何も思わなかったのかよ」
それでも止められない言葉が口をつく。聞いた所で彼女の心の柔らかい部分を引っ掻くだけだと解っているが、問わずにはいられなかった。その問いを受けた彼女は、彼の真剣な瞳を見つめ返して目を細める。威圧や策略を抜きにした、彼女本来の笑い方に神田は思わず息を呑んだ。
「あの蕎麦はね、とても懐かしい味がしたわ。それがなんだか嬉しかった」
「…そうか。」
くしゃりと破顔して林檎をかじり始める彼女にそれ以上言うことは何もなかった。懐かしい味、あの郷で過ごした日々の思い出の味が彼女の中から消えていない事実がささくれた心に染みる。どちらにせよ彼女が目の前から消えていないのであればそれで良いとさえ思えて、怒りも遣る瀬無さも一度置いておくことが出来た。ふと、気がついて雑談代わりに疑問を述べる。
「じゃあ、好きな食べ物っつーのは」
「それは本当。 香りはちゃんとわかるから、この林檎もそこが好き」
「なら新蕎麦だな」
「ふふ、引っ掛けたお貴族様の領地ね 蕎麦の名産地でもあるのよ」
「…そりゃいいな」
「ただいまー!ってユウご機嫌だね、何の話?」
「来年の蕎麦の話!」
「それは気が早くない?」
かくして車窓の時間は過ぎていく。往路よりも和らいだ雰囲気のなか彼らの談笑を客室に響かせながら。
第二話「かくも懐かしき」 つづく
深夜アルマがふと目を覚ますと、対岸の上の寝台に腰掛け窓の外を眺める純と目があった。
(どうしたの、眠れない?)
(うん、なんだかね)
(じゃあこっちきて、お話しようよ)
(そうしようかしら)
(ねえ、純といたときのユウってどんな子だったの?今みたいにキレ散らかしてた?)
(キレてたよ 主に兄さんに勝てなくて)
(アニキ強いもんね…ほかには?)
(蕎麦好きで、ぶっきらぼうで でも結構やさしい)
(ぼくの知ってるユウとおなじだ)
(…アルマの知ってる彼も教えて?)
(まずね、蕎麦が大好き ジェリーにああでもないこうでもないって文句つけてさ 満足行く仕上がりになったときなんて凄いドヤ顔してたよ)
(ふふ、目に浮かぶわ)
(あとは鍛錬馬鹿 時間があったら鍛錬、考えるより鍛錬)
(つきあわされた?)
(そりゃあもう 逃がしてくれないんだよ)
(私もよくあった)
(…それと、ユウはずっと誰かをまってたよ)
アルマは知っている、神田ユウには口に出せないほど大切な人が居ることを。彼が待ちわびた許婚とは彼女のことだろう。それ以上は口にするなと人差し指を唇に当てる彼女をみて、親友の恋路が一筋縄ではいかないと悟る。彼はただ、仲間の未来が明るいことだけを祈っていた。