第一話「最期の願い」
[必読]概要、名前変換
・概要「亡霊に名前を呼ばれた日」から約2000年後の物語
ジャンル:転生/やりなおしモノ。神田落ハピエン確定(リナ→神田片思いからのアレリナ着地を含みます)
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――――神田ユウの独白
葦原の中津国にあって、高天原にほど近い山間の地。白檀の香が焚きしめられた隠れ郷で生を受けた。
麻倉純と初めて会ったのは物心ついて間もない5歳の晩秋。生まれる前から許婚と定められていた当主の娘に粗相のないようにと、名乗りの言葉を何度も繰り返し諳んじた。当日、なんとか名乗りをあげた俺を、座敷の上座にいたアイツが無表情な紫の瞳でただ見ていた。不審に思って問いかけると、花弁のような唇がようやく開かれた。
「――――、ひめさま?」
「いいなづけは、まなでよびあうとききました」
「では、ユウとおよびください」
「わたしのことは純とよんでね、ユウ」
「純さま?」
「…」
「…純」
その名を呼んでやれば満足気に笑った瞳が鮮やかな蒼色に変わり、その揺れるアレキサンドライトの瞳から目を離せなくなった。
それから傍を離れることはなかった。護身のためにと純の指南役を務め、彼女の兄にと連れてこられた愁のヤツに二人して動けなくなるまでしごかれた。年中問わず薔薇の咲き乱れる庭園で日が暮れるまで遊んだ。たまに城下の海街におりては海辺の線路沿いを散歩して歩いた。
彼女の母親と爺さんが亡くなって、当主の座が実質的に純に移った日からアイツの顔には気味の悪い笑みが張り付くようになった。それが気に食わなくて、せめて俺と兄貴の前では作り笑いをしないと約束させた。
八年前のあの日、純だけが最奥の離れにいた。内部から食い破るように襲撃された郷からは俺と兄貴だけが逃されて、結界の中が焦げ落ちていく様をただ眺めるしかできなかった。
遅れて到着した教団の人間が郷の様子には目もくれず、俺がイノセンスの適合者だと言い放った。兄貴は純を追えたはずなのに、俺を連れて行く代わりに教団でのポストを望んだ。
それからあの忌々しい実験場に連れて行かれて呪いを受けた。寿命を対価にした不完全な不死の呪いと植え付けられた知らない記憶。同じ呪いを受けたアルマ・カルマという少年に出会ったのはこのときだ。結局、セカンドエクソシスト計画と呼ばれたそれは兄貴の手により凍結に追い込まれ、俺の手には呪いとイノセンスだけが残った。
教団本部に身を置くようになって、アイツの、純のことを忘れたことなど一度もない。生死を知ることすらできない状況に苛立って鍛錬と任務に打ち込んだ。知らない記憶が視界と脳内を覆い尽くしたときでさえ、それだけは手放さないようにと必死だった。
二年前ようやく純の所在がつかめたと報告を受けたとき、彼女も使徒として選ばれたと聞いてやるせなかった。それでも、ただアイツが生きているだけでよかった。もう一度だけでいいから、あの瞳を見たかった。
そしていま、彼女が目の前にいる。俺にだけは向けないはずの仮面をつけたまま、震える唇で一番最初の誓いを手放された。純の述べる理屈に返せるだけの言葉が俺にはない。事実、本当に添い遂げるだけの見通しなど持ってはいなかった。ただ、純は俺の下から離れないのだと愚直に信じていただけで、俺が彼女に何かをしてやれた試しなどこの八年間にはなかった。
「…許婚の最期の願いを叶えてはくださらないの?」
だからこそ、俺が断れないと解っていて放たれた狡い言葉に頷かざるを得ない。わかったと伝えてやれば、酷く重い荷物を降ろしたように彼女の身体の強張りが溶ける。きっと、俺の知らない八年の間に彼女が背負い込んだものの一つだったのだろう。それを肩代わりしてやれないことが口惜しくて、ふと気がつく。彼女と添い遂げることを想像して、そうできないことを残念に思った。背筋が凍るほどに美しく育った少女の、その過程を見られなかった事が恨めしかった。痛いほど握りしめた拳に添えられていた細指の嫋やかさが一秒でも長く離れずにいてほしいと願った。これは、この感情だけは刷り込みではないと確信しているのに、それを今伝えたところで純が壊れてしまうだけだと解ってしまい、身動きが取れず歯噛みした。
「ともあれ、貴方が生きていてくれて本当に良かった。 今日からは、また幼馴染ね」
「だったら、その猫被りと妙な呼び方をやめろ。薄気味悪い」
「…そうね。じゃあ、私は神田と呼ぶから。 貴方は、好きに呼んで?」
「勝手にしろよ、純」
ただの幼馴染として振る舞えという命令文にすぎないその言葉が、今の俺には光明に見えた。今は幼馴染で満足するしかないにせよ、コイツが手放した誓いの片割れを、俺が縛った彼女とのつながりを手放さずに済むのだから。純と呼んでやればアレキサンドライトの瞳が見開かれる。すぐ細められた目元はあの日と同じように揺らめいている。
「じゃ、話は終わり。 ねえ、薔薇が見たいわ、案内してよ」
「仕方ねえな」
そうだ、コイツはこういうやつだった。我儘で不遜なお姫様気質のずる賢い狐みてえな女。それを幼馴染でいることで傍に引き留めていられるのなら、今のところは我慢していられる。一先ずは、八年ぶりの再会を噛みしめることにした。
第一話「最期の願い」 つづく
(本当に素敵な庭園ね)
(…そうか?)
(この薔薇なんて、本当に見事)
(育ててるヤツに言ってやれよ)
(なんて方?)
(クロウリーっつう、吸血鬼みたいなヤツ)
(へえ…。うん、いい香り)
(…ああ)
試しにと彼も花へ顔を近づけてようやく気づいた。彼女に覚える違和感の最期のピース。あの郷の、狂い咲いた薔薇の青々とした香りが、何処にもなかったのだ。