第三章
夢小説設定
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『猫と月』
タイトルだけ打ち込んだパソコンの画面を黙って睨み続けること、約2時間。
「…やっぱりダメかぁ」
私は諦めてタバコを吸おうとベランダに出た。
スランプを抜けきったわけじゃない。
というか、私が長年温め続けたこの話は、思入れが強すぎて中々満足のいく文章にならない。
からりと暑い外の空気と煙を吸い込みながら、私はぼんやりとむき出しの腕に刻まれたタトゥーを撫でた。
猫は私、月は樹。
そんな着想から始まった、この物語。
あの事件の前まではあんなに生き生きと私の中でキャラクターたちが動いていたのに、今は全くだ。全然ダメ。
「ふー…」
日向さんはゆっくりでいいと言ってくれているし、小さな仕事ならこなせるようになってきたし、ぱっと見私の復帰は順調なのだろう。
でも、この作品だけは。
「うまくいかないな…」
その時、ふいに玄関の方から「さくらー」と聞き慣れた声がして、樹がリビングに入ってきた。
「あれ…あ、ベランダにいたんだ」
「タバコ。仕事は?」
「さっき終わった。今日はすぐ帰るね、夜からみんなとご飯だから」
「ん」
ベランダに出てきて、手すりにもたれかかる樹。
夕方に現れた、私のお月様。
私はその肩に自分の頭をこてんと倒した。
「…あ、HARD HITのMV見たよ。かっこよかった」
「クランプの動きが難しくて撮影は結構大変だったんだけどね」
「その割には腹チラしたりしてノリノリだったじゃん」
「ま、ね」
心地よい沈黙が流れる。
私は紫煙を吐き出しながらあの作品のことに思いを巡らせていた。
「何考えてる?」
「ん~…」
完全に自分の世界に入ってしまった私は樹の問いかけにもうわの空。
あの物語をどんな言葉で始めたらいいのだろうとか、そればかりが頭の中を埋め尽くす。
樹は返事をしてもらうことを諦めたのか、もたれかかる私の頭をゆっくりと撫で始めた。
「あ、」
そうやってして貰っていたら、ふいにぽん、と文章が思い浮かんだ。
そうだ、これがいい。ここから始めよう。
「どうしたの?」
「ううん、樹に撫でられるの好きだなぁって思っただけ」
やっぱり私には樹がいないとダメなんだ。樹がいなければ、私は小説すらまともに書けなかったかもしれない。
「これでさくらが元気になるなら、いくらでも撫でてあげる」
「ふふ…ね、ぎゅってして」
私が言うと、樹は両手を広げてこの上なく綺麗な笑顔をみせた。
「おいで」
その逞しい胸板に頬を寄せて、ぎゅっと抱きつく。私があげた香水の匂いと樹の体温に包まれて幸福を感じた。
「私、頑張る。ストーカーなんかに負けない」
山田には10年の懲役が課せられたと、昨日連絡があった。
たった10年。
この間に私にできることは、この傷から立ち直ること。
樹の手のひらが私の肩のタトゥーに触れる。
「頑張りすぎるなよ。俺が隣にいるから。何かあれば俺を頼ってくれればいいから」
「うん。ありがとう。でも、樹も頑張りすぎちゃダメだよ」
「分かってる」
大丈夫、きっと立ち直れる。
大好きな人が、そばに居てくれるから。
そう、思っていたのに。