第三章
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拓磨の能力で無事に修復されたアジトの一室。死体も片付けて壊れた家具類以外はすっかり元通りになったその部屋で、みさは俺たちの前に座っていた。
さっきの女が言っていた言葉。
樹さんとみさはピンときたようだけど、俺にはさっぱり分からなかった。
樹さんの過去についてはなんとなく聞いたことがある。
父親の実験のさなかに能力が暴走し街ひとつ氷漬けにしたことがあると。その後は少年院に入れられ、LDHの保護下に入ることで外に出ることを許されたと。
「みさは、父さんのことを知ってるの?」
樹さんが固い表情で尋ねた。
「知ってるっていうか、もともと私の原型を作ったのがいっちゃんのお父さんだよ」
「…は?」
「いっちゃん3つ子でしょ?で、そのうちの2人は産まれてすぐに死んじゃった」
今この部屋に、みさの話を理解できている人は何人いるんだろう。唯一事情を知っていそうな樹さんでさえ何も言えずにただみさを見つめている。
原型を作る?
樹さんのお父さんは一体何者なんだ?
樹さんが3つ子?
「で、君のお父さんは2人の細胞を死ぬ直前に採取し、再び細胞分裂させて人体を精製しようとした。科学者にとって生命を一から作るってのは禁忌にして永遠のテーマ。そこにより強い能力をプラスできたらっていう願望もあって、君の父親は禁断の聖域に足を踏み入れてしまったってわけ。理論的には不可能じゃないんだよ。物凄く難しいけどね」
みさは淀みなくすらすらと、まるでカンペでも読むように無感情に話を進めていく。
「人体には約37兆個の細胞がある。で、2人分だから単純計算74兆個の細胞がいっちゃんのお父さん…天才科学者、Dr.藤原の手元にあったわけだ。もちろん全ての細胞で実験できたわけじゃないだろうけど、でもとにかく膨大な数の『人間の素』が手に入った」
誰も何も言わない。
他人事のように話すみさはまるで操り人形のようで、どこか寒気すら覚えた。
「そして、2ヶ月という驚異的な速さで彼はその研究を成功させた。一番最初の細胞分裂が起こったんだ。でも、彼の頭脳を持ってしてもそれができた細胞はたったひとつだけ」
それが私。
みさの白く細い人差し指が、自分の左胸、心臓のある位置をとん、と示す。
「────────────じゃあみさは、俺の妹ってこと………?」
樹さんの声が震えている。
樹さんはどんな緊迫した状況でも冷静で、弱いところなどほとんど見せたことがなかった。
その樹さんが震えている。
しかしそれに対してみさはもはや狂気すら感じるほどに冷静で淡白だった。いや、興味がないのだろう。自分のことですら。
「うーん、そのへんが複雑でさ」
どうしてそんな風に理性的でいられるんだろう。
自分が科学者の興味本位で他人の細胞から『つくられた』存在だと知っていながら、どうして自分を保っていられるのだろう。
いや、と俺はあることに思い当たった。
みさにはもともと守るための自分など無いのではないか。
あるいは無いふりをしている。
食事や生活環境には無頓着で、誰にでも身体を開き、鉄塔から衝動的に飛び降りようとするなど自分の『死』ですらどうでもいいと思っているような所がある。
その特殊な出生ゆえに、無意識下で事故防衛本能が働いているのではないか。だからこそアイデンティティがないふりをして、心に蓋をしてしまっているのではないか。
そうでないと、心が壊れてしまうから。
「いっちゃんさ、考えたことなかった?一個人の研究にしては研究機材や設備が整いすぎてるって」
「…分からない。思い出したくもない」
男らしく整った横顔が苦しそうに歪んだ。
思い出したくもない過去。樹さんにとっては、それほど辛い経験だったのだ。
俺にもある。
殊に家族の話となればなおさら、あの時の生きたまま腸を引きずり出されるような苦しみは二度と経験したくないし、できれば思い出したくもない。
負の激情はそのまま痛みとなり俺の身体を内側から切り裂いていく。
俺は自分でも無意識のうちに手のひらをぐっと握りしめた。
「…そっか。まぁ結論から言うとバックにあるマフィアがついてたんだよ。ドクターの能力開発に関する研究がマフィアのボスの目に止まり、資金援助を行ったの。でもドクターはマフィアに『傑作』を奪われることだけは何としてでも避けたいと考えて、人体生成実験については黙っていた。でも、それが最初の細胞分裂からわずか1ヶ月後にバレてしまう」
「それで…?」
壱馬さんが恐る恐るといった調子で続きを促した。乗り掛かった船というか、その場にいる16人がみさの告白を最後まで聞かなければならないという不思議な義務感を感じていた。
「マフィアのボスは、自分が提供していた実験費を使い込んで無断で私的な研究をしていたドクターを生かすことにした。その代わり、彼の最高傑作を自分好みに作り替えるよう命じたの」
自分好み。
人の命を、みさの命を弄んで自分のためだけの人間を作ろうとしたということか。
その時俺の脳裏に浮かんだのは、みさと初めて身体を重ねた日に見たあの夢だった。
あの鋭い目をした男が。みさという存在を作り上げたマフィアのボスだったのだ。
「まだちゃんとした人の形も成していない段階だったから、作業もそれほど難しくなかったはず。マフィアのボスは細胞に遺伝子操作を施させた。容姿、頭脳、能力。全て彼の要望通りになるようにね。そして十月十日後、私は試験管の中で目を覚ました。その後私はすぐにドクターから取り上げられ、ボスのもとで育ってきたってわけ」
奇跡的なまでに整ったビジュアル。
IQ未知数という天才的な頭脳。
それをバックアップするのは一種最強の能力。
これら全てが神の悪戯によって生まれ落ちた訳では無かったんだ。
人間の欲望と身勝手な理想をその身ひとつに押し付けられて誕生したのがみさだったんだ。
あまりにも酷だ、そう思った。
その細い背中で背負うには過酷すぎる運命。
それをみさは何でもないことのように20年間背負い続けてきたのだ。
どうしてだ。
脳裏に焼き付いたあの男に向かって問いかける。
どうして、お前は。
どうして。
『私は死なない。お前のここで、生き続ける』
お前は今もひとりの人間を創造した神として、みさを支配しているというのか。
許せなかった。
どうしてみさなんだ。
どうしてその運命を背負わされたのがみさなんだ。
みさ以外なら誰でもよかった。みさでさえなければ。
よりによって、どうして。
どうして。
HIROさんではなく、俺がこの手であの男を殺してやりたかった。そして幼いみさを強く抱きしめて君は何者にも変え難い大切な存在だと、少なくとも未来の俺は君を必要としていると、耳元でそう囁いてやりたかった。
でも、俺の目は過去や未来を見ることができても俺自身が過去に行くことは出来ないから。
結局俺は無力なままだ。
どうして。また問いを投げかけた。
今度は自分に。
長谷川慎。どうしてお前はいつも大切な人達に何も出来ないんだ。
どうして。
どうして。
「たぶん遺伝子検査でも私といっちゃんの血縁関係は出てこない。それくらい私のDNAはまるっきり書き換えられてる。ただ、私の『原型』となったのは間違いなくいっちゃんの『家族』なんだよ」
家族、という響きに樹さんの肩がびくりと震えた。
「…かぞく、?」
「そう。死んだ3つ子の姉妹が、私という存在のベースになってる。正確にはいっちゃんと私は兄妹じゃないかもしれないけど、でも、私のこの身体はいっちゃんの…藤原樹の家族からもらったもの」
みさが一歩、樹さんに歩み寄った。もう一歩。さらに一歩。
手を伸ばせば届く距離まで近づいて、みさは樹さんを見上げる。
「…それから、これはそのマフィアのボスに聞いたんだけど」
「…え?」
「いっちゃんのお父さん、人体生成実験がバレた時にね、ボスに必死にお願いしたんだって」
バレてしまってはこの実験はどうなっても構わない、でもまだ自分を殺さないではくれまいか。幼い息子にも手を出さないでほしい。
唯一残った家族がこの残酷な世界をひとりで生きていける強さを手に入れる瞬間を見届けるまでは、どうか殺さないでくれ、と。
樹さんの目が大きく見開かれた。
あぁ、零れる。
そう思った瞬間に涙が一筋、その頬を伝う。
泣いているのは樹さんだけじゃない。メンバー全員が家族や大切な人を思い、瞳を潤ませていた。
流れる涙もそのままに、樹さんが手を差し伸べる。
右手がそっと、本当にそっとみさの顔に触れた。その手は感触を確かめるようにゆっくりと輪郭をなぞり、最後には優しく引き寄せる。
震える両手がみさの背中に回った。
身体を屈めてその肩口に顔を埋めた樹さんの声が小さく、だが温かく零れ落ちる。
「──────────────────おかえり」
みさは柔らかく笑っていた。
「うん」
答えは短かったが、樹さんだけが受け取ることのできるなにかがその2文字の中に詰め込まれていたのだろう。
樹さんは堰を切ったように大声で泣き始めた。
みさの身体を強くかき抱いて、何度も何度も嗚咽をもらす。涙はとめどなく溢れ、みさの襟元を濡らした。
悲しみ、懺悔、喜び、孤独、恐怖、愛。いろんなものが混ざりあった涙。
その様子を見ていたメンバーのうち何人かも堪えきれずに目元を拭う。
部屋の中心で、みさはまるで小さな子供をあやすかのように樹さんの背中を撫で続けていた。
さっきの女が言っていた言葉。
樹さんとみさはピンときたようだけど、俺にはさっぱり分からなかった。
樹さんの過去についてはなんとなく聞いたことがある。
父親の実験のさなかに能力が暴走し街ひとつ氷漬けにしたことがあると。その後は少年院に入れられ、LDHの保護下に入ることで外に出ることを許されたと。
「みさは、父さんのことを知ってるの?」
樹さんが固い表情で尋ねた。
「知ってるっていうか、もともと私の原型を作ったのがいっちゃんのお父さんだよ」
「…は?」
「いっちゃん3つ子でしょ?で、そのうちの2人は産まれてすぐに死んじゃった」
今この部屋に、みさの話を理解できている人は何人いるんだろう。唯一事情を知っていそうな樹さんでさえ何も言えずにただみさを見つめている。
原型を作る?
樹さんのお父さんは一体何者なんだ?
樹さんが3つ子?
「で、君のお父さんは2人の細胞を死ぬ直前に採取し、再び細胞分裂させて人体を精製しようとした。科学者にとって生命を一から作るってのは禁忌にして永遠のテーマ。そこにより強い能力をプラスできたらっていう願望もあって、君の父親は禁断の聖域に足を踏み入れてしまったってわけ。理論的には不可能じゃないんだよ。物凄く難しいけどね」
みさは淀みなくすらすらと、まるでカンペでも読むように無感情に話を進めていく。
「人体には約37兆個の細胞がある。で、2人分だから単純計算74兆個の細胞がいっちゃんのお父さん…天才科学者、Dr.藤原の手元にあったわけだ。もちろん全ての細胞で実験できたわけじゃないだろうけど、でもとにかく膨大な数の『人間の素』が手に入った」
誰も何も言わない。
他人事のように話すみさはまるで操り人形のようで、どこか寒気すら覚えた。
「そして、2ヶ月という驚異的な速さで彼はその研究を成功させた。一番最初の細胞分裂が起こったんだ。でも、彼の頭脳を持ってしてもそれができた細胞はたったひとつだけ」
それが私。
みさの白く細い人差し指が、自分の左胸、心臓のある位置をとん、と示す。
「────────────じゃあみさは、俺の妹ってこと………?」
樹さんの声が震えている。
樹さんはどんな緊迫した状況でも冷静で、弱いところなどほとんど見せたことがなかった。
その樹さんが震えている。
しかしそれに対してみさはもはや狂気すら感じるほどに冷静で淡白だった。いや、興味がないのだろう。自分のことですら。
「うーん、そのへんが複雑でさ」
どうしてそんな風に理性的でいられるんだろう。
自分が科学者の興味本位で他人の細胞から『つくられた』存在だと知っていながら、どうして自分を保っていられるのだろう。
いや、と俺はあることに思い当たった。
みさにはもともと守るための自分など無いのではないか。
あるいは無いふりをしている。
食事や生活環境には無頓着で、誰にでも身体を開き、鉄塔から衝動的に飛び降りようとするなど自分の『死』ですらどうでもいいと思っているような所がある。
その特殊な出生ゆえに、無意識下で事故防衛本能が働いているのではないか。だからこそアイデンティティがないふりをして、心に蓋をしてしまっているのではないか。
そうでないと、心が壊れてしまうから。
「いっちゃんさ、考えたことなかった?一個人の研究にしては研究機材や設備が整いすぎてるって」
「…分からない。思い出したくもない」
男らしく整った横顔が苦しそうに歪んだ。
思い出したくもない過去。樹さんにとっては、それほど辛い経験だったのだ。
俺にもある。
殊に家族の話となればなおさら、あの時の生きたまま腸を引きずり出されるような苦しみは二度と経験したくないし、できれば思い出したくもない。
負の激情はそのまま痛みとなり俺の身体を内側から切り裂いていく。
俺は自分でも無意識のうちに手のひらをぐっと握りしめた。
「…そっか。まぁ結論から言うとバックにあるマフィアがついてたんだよ。ドクターの能力開発に関する研究がマフィアのボスの目に止まり、資金援助を行ったの。でもドクターはマフィアに『傑作』を奪われることだけは何としてでも避けたいと考えて、人体生成実験については黙っていた。でも、それが最初の細胞分裂からわずか1ヶ月後にバレてしまう」
「それで…?」
壱馬さんが恐る恐るといった調子で続きを促した。乗り掛かった船というか、その場にいる16人がみさの告白を最後まで聞かなければならないという不思議な義務感を感じていた。
「マフィアのボスは、自分が提供していた実験費を使い込んで無断で私的な研究をしていたドクターを生かすことにした。その代わり、彼の最高傑作を自分好みに作り替えるよう命じたの」
自分好み。
人の命を、みさの命を弄んで自分のためだけの人間を作ろうとしたということか。
その時俺の脳裏に浮かんだのは、みさと初めて身体を重ねた日に見たあの夢だった。
あの鋭い目をした男が。みさという存在を作り上げたマフィアのボスだったのだ。
「まだちゃんとした人の形も成していない段階だったから、作業もそれほど難しくなかったはず。マフィアのボスは細胞に遺伝子操作を施させた。容姿、頭脳、能力。全て彼の要望通りになるようにね。そして十月十日後、私は試験管の中で目を覚ました。その後私はすぐにドクターから取り上げられ、ボスのもとで育ってきたってわけ」
奇跡的なまでに整ったビジュアル。
IQ未知数という天才的な頭脳。
それをバックアップするのは一種最強の能力。
これら全てが神の悪戯によって生まれ落ちた訳では無かったんだ。
人間の欲望と身勝手な理想をその身ひとつに押し付けられて誕生したのがみさだったんだ。
あまりにも酷だ、そう思った。
その細い背中で背負うには過酷すぎる運命。
それをみさは何でもないことのように20年間背負い続けてきたのだ。
どうしてだ。
脳裏に焼き付いたあの男に向かって問いかける。
どうして、お前は。
どうして。
『私は死なない。お前のここで、生き続ける』
お前は今もひとりの人間を創造した神として、みさを支配しているというのか。
許せなかった。
どうしてみさなんだ。
どうしてその運命を背負わされたのがみさなんだ。
みさ以外なら誰でもよかった。みさでさえなければ。
よりによって、どうして。
どうして。
HIROさんではなく、俺がこの手であの男を殺してやりたかった。そして幼いみさを強く抱きしめて君は何者にも変え難い大切な存在だと、少なくとも未来の俺は君を必要としていると、耳元でそう囁いてやりたかった。
でも、俺の目は過去や未来を見ることができても俺自身が過去に行くことは出来ないから。
結局俺は無力なままだ。
どうして。また問いを投げかけた。
今度は自分に。
長谷川慎。どうしてお前はいつも大切な人達に何も出来ないんだ。
どうして。
どうして。
「たぶん遺伝子検査でも私といっちゃんの血縁関係は出てこない。それくらい私のDNAはまるっきり書き換えられてる。ただ、私の『原型』となったのは間違いなくいっちゃんの『家族』なんだよ」
家族、という響きに樹さんの肩がびくりと震えた。
「…かぞく、?」
「そう。死んだ3つ子の姉妹が、私という存在のベースになってる。正確にはいっちゃんと私は兄妹じゃないかもしれないけど、でも、私のこの身体はいっちゃんの…藤原樹の家族からもらったもの」
みさが一歩、樹さんに歩み寄った。もう一歩。さらに一歩。
手を伸ばせば届く距離まで近づいて、みさは樹さんを見上げる。
「…それから、これはそのマフィアのボスに聞いたんだけど」
「…え?」
「いっちゃんのお父さん、人体生成実験がバレた時にね、ボスに必死にお願いしたんだって」
バレてしまってはこの実験はどうなっても構わない、でもまだ自分を殺さないではくれまいか。幼い息子にも手を出さないでほしい。
唯一残った家族がこの残酷な世界をひとりで生きていける強さを手に入れる瞬間を見届けるまでは、どうか殺さないでくれ、と。
樹さんの目が大きく見開かれた。
あぁ、零れる。
そう思った瞬間に涙が一筋、その頬を伝う。
泣いているのは樹さんだけじゃない。メンバー全員が家族や大切な人を思い、瞳を潤ませていた。
流れる涙もそのままに、樹さんが手を差し伸べる。
右手がそっと、本当にそっとみさの顔に触れた。その手は感触を確かめるようにゆっくりと輪郭をなぞり、最後には優しく引き寄せる。
震える両手がみさの背中に回った。
身体を屈めてその肩口に顔を埋めた樹さんの声が小さく、だが温かく零れ落ちる。
「──────────────────おかえり」
みさは柔らかく笑っていた。
「うん」
答えは短かったが、樹さんだけが受け取ることのできるなにかがその2文字の中に詰め込まれていたのだろう。
樹さんは堰を切ったように大声で泣き始めた。
みさの身体を強くかき抱いて、何度も何度も嗚咽をもらす。涙はとめどなく溢れ、みさの襟元を濡らした。
悲しみ、懺悔、喜び、孤独、恐怖、愛。いろんなものが混ざりあった涙。
その様子を見ていたメンバーのうち何人かも堪えきれずに目元を拭う。
部屋の中心で、みさはまるで小さな子供をあやすかのように樹さんの背中を撫で続けていた。