けむりの向こうの君へ
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健太と瑠唯とは高校が同じだった。ほぼ同じタイミングで上京して、2人はアーティスト、私は彫師になった。別に彫師なんてどこでもできるじゃないかと周囲には言われたが、私はただあの時間の流れがやたらとのんびりした南の島を出てみたかっただけなのだ。
別に沖縄は嫌いではないけれど、このままここにい続けるのは危険だと、ぼんやりとした危険信号が物心ついた頃から常に警鐘を鳴らしていた。
あの時間の流れは私には合わない。なぜだか私は小さな頃からずっと、私の中を流れる時間は他の人の何倍も早いような気がしていた。私のこの体内時計に見合っているのはめくるめく魔境、東京だけなのではないかと思っていた。あの街で私は他人の肌に色を入れて生きていくのだと夢想し続けて育った。
彫師になったのは、母の腰に入っている小さな蝶のタトゥーが好きだったから。父が彫師をしていたから。母のようなイカした女に憧れて、父のようなヤバいセンスが欲しくて、自分も彫師の道を選んだ。
「あんた、シールなんか面倒なことやめて私ん店来ればいいのに。安く入れてあげるよ」
向かいの席でハイボールをあおる健太に箸の先を向けると、健太は拗ねたように唇を尖らせる。
「事務所がまだダメだって言うんだよ。ほんとは俺だって一刻も早くるなに入れてもらいたいのに」
「…健太そういうところあるよね」
「何が?」
「何でもねーよ」
私ははあ、とため息をついて箸を持つ右手をだらんと下げた。一緒に肩のあたりで揃えた髪もばさりと視界を覆う。仕事以外ではあまり髪は縛りたくない。
天然人たらしめ。大体一応女である私とふたりで飲みに来ている時点でだいぶガードが緩い。芸能人としての自覚はあるのだろうか。事務所はタトゥーがどうたらとか言う前にこの無自覚女の子キラーな性格を矯正するべきだと思う。このままではいつかフライデーされそうだ。
まぁこいつが誰とフライデーされようとも私の知ったことではないのだが。
そもそも私から健太へも、健太から私へも恋愛感情は皆無だ。高校が同じの、気の合う友人。親友と言ってもいいかもしれない。住んでいるところもそれなりに近いし、瑠唯も含めた私たち3人が会う頻度はかなり高かった。
「いいなぁるなは。タトゥー入れ放題で」
「ふふ、いいでしょ。見てこれ、こないだ新しく入れたやつ」
私はTシャツの襟元を軽く引っ張って鎖骨を見せる。そこに彫られた飾り文字を見て、健太は形のいい眉をくい、と上げた。
「わっ、えろ」
「もっと他にあるだろ、バカ」
私だって勉強は苦手だけど、健太はもっと苦手としていた。要するにバカ。本能と脳みそと下半身がぜんぶ一直線で繋がっているのが丸わかりで、それはそれで見ていて飽きないからいいのだけれど。
「今ぜんぶで幾つ入れてるんだっけ」
串カツを咥えて、健太が尋ねる。
「んーと、この鎖骨と、腰と、左腕と…」
あと、耳の裏。
最後のひとつは言わないつもりだったのに、健太が先回りしていた。大事なことはすぐ忘れるくせに、そういうどうでもいいことだけはバッチリと覚えているのがこいつの嫌なところ。
いや、どうでもよくはないんだけど。
「…忘れられないの?」
そう尋ねる声色が、先程までとはまるで違う。健太の1番深いところから響いてくる音。私は健太がこういう声で話す時、いつも居心地が悪くなる。バカのくせに人の心の動きはちゃんと本能で見透かしていて、こちらを傷つけないように気遣っている。慎重に、こちらの心に踏み込んでくるのが分かる。
それが嫌だった。高校から時間を共有してきた健太だからこそ、今更あれこれ探られるのは何となく気恥しい。
「忘れられないんじゃなくて、忘れたくないだけ」
耳の裏に彫られた、小さな『M』の飾り文字。高校三年生の夏、喪服を着たまま父の仕事場に押しかけ入れてもらった、私のはじめてのタトゥー。
「そっか」
健太がそっと私の心のすみっこに腰を下ろす。それ以上踏み込んでくる様子はなかったので放っておくことにする。
お会計はいつも健太の方が多く持つ。貸しを作るのは嫌だし割り勘でいいと言うのだが、聞き入れてもらえたことは1度もない。誘ったの俺だし、と断られて初めて私から健太をご飯に誘ったことがないことに気づく。
別れ際、タクシーの窓の向こうから健太が真面目くさった顔でこちらを見下ろした。
「タバコはほどほどにね」
「はぁーい」
夜の街を切り裂くように、乱暴な運転でタクシーが道を走る。
次は私から誘ってあげようかな、と思ったが無遠慮に心を覗かれるのは嫌なのでやっぱりやめた。
別に沖縄は嫌いではないけれど、このままここにい続けるのは危険だと、ぼんやりとした危険信号が物心ついた頃から常に警鐘を鳴らしていた。
あの時間の流れは私には合わない。なぜだか私は小さな頃からずっと、私の中を流れる時間は他の人の何倍も早いような気がしていた。私のこの体内時計に見合っているのはめくるめく魔境、東京だけなのではないかと思っていた。あの街で私は他人の肌に色を入れて生きていくのだと夢想し続けて育った。
彫師になったのは、母の腰に入っている小さな蝶のタトゥーが好きだったから。父が彫師をしていたから。母のようなイカした女に憧れて、父のようなヤバいセンスが欲しくて、自分も彫師の道を選んだ。
「あんた、シールなんか面倒なことやめて私ん店来ればいいのに。安く入れてあげるよ」
向かいの席でハイボールをあおる健太に箸の先を向けると、健太は拗ねたように唇を尖らせる。
「事務所がまだダメだって言うんだよ。ほんとは俺だって一刻も早くるなに入れてもらいたいのに」
「…健太そういうところあるよね」
「何が?」
「何でもねーよ」
私ははあ、とため息をついて箸を持つ右手をだらんと下げた。一緒に肩のあたりで揃えた髪もばさりと視界を覆う。仕事以外ではあまり髪は縛りたくない。
天然人たらしめ。大体一応女である私とふたりで飲みに来ている時点でだいぶガードが緩い。芸能人としての自覚はあるのだろうか。事務所はタトゥーがどうたらとか言う前にこの無自覚女の子キラーな性格を矯正するべきだと思う。このままではいつかフライデーされそうだ。
まぁこいつが誰とフライデーされようとも私の知ったことではないのだが。
そもそも私から健太へも、健太から私へも恋愛感情は皆無だ。高校が同じの、気の合う友人。親友と言ってもいいかもしれない。住んでいるところもそれなりに近いし、瑠唯も含めた私たち3人が会う頻度はかなり高かった。
「いいなぁるなは。タトゥー入れ放題で」
「ふふ、いいでしょ。見てこれ、こないだ新しく入れたやつ」
私はTシャツの襟元を軽く引っ張って鎖骨を見せる。そこに彫られた飾り文字を見て、健太は形のいい眉をくい、と上げた。
「わっ、えろ」
「もっと他にあるだろ、バカ」
私だって勉強は苦手だけど、健太はもっと苦手としていた。要するにバカ。本能と脳みそと下半身がぜんぶ一直線で繋がっているのが丸わかりで、それはそれで見ていて飽きないからいいのだけれど。
「今ぜんぶで幾つ入れてるんだっけ」
串カツを咥えて、健太が尋ねる。
「んーと、この鎖骨と、腰と、左腕と…」
あと、耳の裏。
最後のひとつは言わないつもりだったのに、健太が先回りしていた。大事なことはすぐ忘れるくせに、そういうどうでもいいことだけはバッチリと覚えているのがこいつの嫌なところ。
いや、どうでもよくはないんだけど。
「…忘れられないの?」
そう尋ねる声色が、先程までとはまるで違う。健太の1番深いところから響いてくる音。私は健太がこういう声で話す時、いつも居心地が悪くなる。バカのくせに人の心の動きはちゃんと本能で見透かしていて、こちらを傷つけないように気遣っている。慎重に、こちらの心に踏み込んでくるのが分かる。
それが嫌だった。高校から時間を共有してきた健太だからこそ、今更あれこれ探られるのは何となく気恥しい。
「忘れられないんじゃなくて、忘れたくないだけ」
耳の裏に彫られた、小さな『M』の飾り文字。高校三年生の夏、喪服を着たまま父の仕事場に押しかけ入れてもらった、私のはじめてのタトゥー。
「そっか」
健太がそっと私の心のすみっこに腰を下ろす。それ以上踏み込んでくる様子はなかったので放っておくことにする。
お会計はいつも健太の方が多く持つ。貸しを作るのは嫌だし割り勘でいいと言うのだが、聞き入れてもらえたことは1度もない。誘ったの俺だし、と断られて初めて私から健太をご飯に誘ったことがないことに気づく。
別れ際、タクシーの窓の向こうから健太が真面目くさった顔でこちらを見下ろした。
「タバコはほどほどにね」
「はぁーい」
夜の街を切り裂くように、乱暴な運転でタクシーが道を走る。
次は私から誘ってあげようかな、と思ったが無遠慮に心を覗かれるのは嫌なのでやっぱりやめた。