BAD BOY



アスランが宣言した通り、次の日から彼がカガリに構うことは無くなった。
朝練に行き授業を受け、休み時間は友達と他愛もないおしゃべりをして、放課後は部活に行く。
いままで通りの平和な日常を、カガリは取り戻した。
それはこの一カ月カガリが強く望んでいたものだったはずだったのに、手放しで喜ぶことができなかった。
もやもやとした黒い靄のようなものが、心の底に溜まって渦巻いている、そんな気分だった。
アスランが何故急にカガリに構わなくなったのか。
あれほど執拗にカガリを痛めつけ傷つけておきながら、醒めたようにぱたりと辞めることが出来るものなのか。
安堵すべきことなのに、何故だかその理由が気になって仕方ない。
授業中黒板をじっと見つめる彼の横顔や、部活中に組手をする真剣な彼の表情をそっと伺っても、答えは見つからなかった。





「女子!アイス買ってきたぞー」

部活が終わり、部室にてミーティングをしていたカガリ達だったが、話がうまくまとまり解散しようとしたところで、扉の外から声をかけられた。
見れば、暑さの為開け放した扉から、コンビニの袋をぶら下げたアフメドの顔が覗いていた。
その後ろには同じくコンビニの袋を手に持ち、苦笑いをするアスランの姿があった。

「やだ!あなたたち気が利くじゃない!」

「やったー!」

女子部員たちが喜びの声とともに腰を上げ、二人のもとに駆け寄っていく。
アイスの種類を尋ねられ、各々の好きな味を手渡していくアスランを、カガリは一番後ろから見つめていた。
部員達に囲まれたアスランは品の良さと知性を醸し出していて、とてもあの冷酷で激しい彼を想像することは出来ない。
しかし、カガリしか知らなかった「彼」も、もういない。
あんなにも熱く鋭く、カガリに痕跡を残したというのに。

「カガリは?何味がいい?」

ぼんやりと突っ立ていると、いきなり声を掛けられ、慌てて顔を上げたカガリに、アスランががさりと袋の中身を見せた。
気が付けば、カガリ以外の女子部員全員にアイスが行き渡っている。
アスランは涼しげな顔で、カガリに促した。

「残ってるのは、マンゴーとピーチとバニラ」

「あ・・・ピーチ」

頷いたアスランが、桃色のアイスを取り出す。

「はい」

「あ、ありがとう」

礼を言ってアイスを受け取ると、アスランは微笑んで軽く頭を下げた。
誰にも気づかれないくらいに、僅かに身を固くするカガリとは対照的に、アスランのカガリに対する言動は柔らかだった。
あれから、ずっとそうだった。
教室でも部活でも、アスランはカガリを避けることもなく、カガリが緊張を強いられるような態度を少しも出さず穏やかだった。
まるで、二人の間には何もなかったかのように。

「アスラン、あの・・・」

「ん?」

アスランは僅かに首を傾げた。
その僅かな動作でさえ、前髪がふわりと揺れて優美だった。
アイスと雑談に夢中になっているとはいえ、皆のいるなかで、何を切りだそうとしているのか自分でも分からなかった。
それでもカガリは尋ねずにはいられなかった。
どうして、こんなにもアスランのことが気になるのか。
望まないことを強いられて、それから解放されたのだ、もう彼に関わるべきではないと頭では分かっているのに。

「あのな、後で・・・」

「カガリっ!帰りにファミレス寄らないか?」

切り出そうとしたカガリに、そうとは知らないアフメドが割り込んできた。

「アイス食べたせいで中途半端に腹減っちゃったんだ。最近お前付き合い悪かったし」

「あ・・・」

決心を挫かれたカガリを置いてけぼりにして、アスランはアフメドに苦笑した。

「ファミレスって、お前昼も弁当の他にパン二つ食べただろ。家に帰れば夕飯もあるだろうに」

「育ちざかりなんだよ。で、どうする?カガリ」

いばるように胸を沿ったあと、アフメドはカガリを振り返った。
とてもファミレスに行くような気分ではなかった。
何と断ればいいのかと歯切れの悪いカガリに、アスランが一声かけた。

「付き合ってやれよ。カガリ」







中学は違ったが、カガリとアフメドは最寄駅が同じだった。
他の部員たちは初めから路線や降りる駅が異なっており、同じ駅で降りるのは二人だけだった。
だからこそ、アフメドはたまにカガリをファミレスに誘うのだ。
帰宅途中の高校生の集団はたいてい賑やかなものだが、電車に乗っている間、カガリはずっと上の空だった。
意識を皆の会話に集中させようとしても、上手くいかない。
皆との間に透明で分厚い膜があるかのように、一人別次元にいるような感覚だった。
今もアフメドが隣でしきりに何か話しかけてくれているが、頭に入って来ない。
授業中に起きたクラスメイトの笑える話を、カガリはただ適当に相槌を打っていたが。
改札を抜け、駅前にあるファミレスが見えてきたとき、カガリのなかで何かが弾けた。
それは、はっきりとしたこの空間への拒絶だった。
これ以上この状態で誰かと一緒にいたくなかった。
早く一人になりたかった。

「ごめん、アフメド。私、やっぱり今日は無理だ」

「えっ・・・」

「すまない・・・じゃあっ」

頭を下げて、カガリは勢いよく駆けだした。
後方で慌てたアフメドがカガリの名を呼ぶのも、聞こえない振りをして。
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