BAD BOY
「ザラ君はいつ空手やってたの」
「小学校の低学年までだよ」
空手部の練習場所である道場へと向かう廊下の途中、カガリは覗き込むようにアスランに尋ねた。
先ほどまでの緊張感はもはや無く、カガリは完全にアスランに気を許していた。
オーブ高校の空手部は強豪だが部員は少なく、入部希望者と聞いただけで心躍ってしまう。
それも入部希望者が、スポーツ万能のアスラン・ザラだというのだからなおさらだ。
「勿体ない。ザラ君だったらインターハイ出られたかもしれないのに!何でやめちゃったんだ?」
「アスラン」
「え?」
「アスランで良いよ。その代わり俺もアスハさんのこと、カガリって呼んでもいいかな?」
「もちろん!」
名前で呼び合えば一気に距離が近くなる気がして、カガリは笑顔でうなずいた。
あんなに警戒していたはずなのに、現金にも今はアスラン・ザラと仲良くなりたいと思っていた。
空手好きの人に悪い人はいないというのが、カガリの持論だ。
現にこうして話してみると、アスランは優しく穏やかで、言葉づかいや雰囲気にも人柄の良さがにじみ出ていた。
「八歳のときに家が引っ越しすることになってね。新しい家の周りには、道場がなかったんだ」
「そうか・・・、なら仕方ないな。でもこうして、アスランがまた空手をやりたいと思ってくれて嬉しいぞ。私、応援するからな!」
カガリがガッツポーズを作ると、アスランは柔らかにほほ笑んだ。
その笑みにカガリは一瞬見入ってしまう。
何もしなくてもにじみ出る品の良さは、彼の育ちがいいことを容易に想像させた。
勉強もスポーツも出来て、性格も良い、おまけにこの容姿だ。
女子に人気が出るのも当然だろう。
「あ、道場はあそこだぞ」
見とれてしまったことが恥ずかしく、カガリはアスランから視線を逸らすと体育館裏を指差した。
道場は体育館の影になっており、存在すら知らない一般生徒も少なくない。
中履き用の簡易通路を通って、カガリはアスランを道場に案内する。
皆片付けを終え帰宅したようで、陽も沈みかけ薄暗くなった道場内の中には誰もいなかった。
中を一通り見せて、最後にカガリは離れにある部室へアスランを案内した。
男女別になっている部室は、着替えをしたり、簡単なミーティングを行ったり、下手したら教室よりも馴染んだ場所かもしれなかった。
場所を教えるだけのつもりが、なんとなく嫌な予感がして男子の方のドアノブを回すと、呆気なくドアが開いた。
「やっぱり」
カガリは呆れて顔をしかめた。
たまに一年生が戸締りを忘れることがあるのだ。
中にしまってある防具は高価で、もし盗まれでもしたら大変である。
明日早速、男子空手部の部長に報告しなくてはとカガリが内に怒りを溜めていると、後ろに居たアスランがカガリの頭上からドアを押した。
「折角だから、中に入りたいな」
「中っていっても、ご覧のとおり狭いし汚いぞ」
そう言って、一歩カガリが部室に足を踏み入れると、アスランがぴったり後ろくっついてきた。
アスランに押される格好となったカガリが、仕方なしに部室の中ほどまで歩みを進めたときだった。
カチリという音がして振り向けば、ドアを背にしたアスランが後手で鍵を閉めたところだった。
「アスラン?何で鍵なんか」
不可解な行動に、問いかけようとしたカガリだったが、アスランの様子がおかしくて、途中で口を噤んでしまった。
アスランは無表情だった。
その表情から、何を考えているのか読み取れない。
先ほどの穏やかな彼はもういなかった。
カガリを視線で捉えたまま、アスランが一歩足を踏み出した。
本能的にカガリはそれに合わせて一歩後退する。
しかし、三四歩下がったところで、すぐに肩に固い壁の感触を感じた。
狭い部室に逃げ場はなく、アスラン・ザラはすぐ目の前にいた。
「あの・・・」
掠れた声しか出なかった。
この豹変ぶりは一体何なのか。
ゆっくりとアスランの腕が伸びてきて、カガリの顔の横についた。
至近距離にあるエメラルドの瞳。
覗き込んでくるアスラン・ザラは冷徹な肉食獣のようで、カガリの知っているアスラン・ザラとは別人だった。
「もしかして、怖いのか?」
息を詰めて固まってしまったカガリに、額がつきそうなくらいの位置で、アスラン・ザラが笑いかけた。
嘲笑するような笑みは、カガリをますます怯えさせた。
優しい優等生のアスラン・ザラは一体どこに行ってしまったのだろうか。
「君が悪いんだ。ちっとも俺のことを思い出してくれない君が悪いんだよ、・・・カガリちゃん」