藍色の秘密
まだ冷たい春の風が、庭園を吹き抜けていく。
藍と金の髪が、ふわりと巻き上がった。
「おかしいよな、あんなに彼のことを憎んでいたくせに、今は彼を近くに感じるんだ」
「アスラン・・」
地面に張り付けていた視線を、カガリは初めてアスランへ向けた。
彼は穏やかに命が宿り始めた庭園を見つめている。
「だから何となく分かってきたんだ、あのとき・・俺を助けたとき、彼は何を考えていたのか。多分・・俺はアレックスに君を託されたんだ」
また、春の風が吹いた。
春の訪れを告げる風は、冷たい冷気に凍てついた庭園をゆっくりと溶かしていく。
それに連動するように、頑なに閉ざされたカガリの心もまた、アレックスの想いに触れて、ゆっくりと解けていく。
「もう自分は助からないから、だから彼は俺に・・俺に託したんだ。一度は手にいれたカガリを」
(アレックス・・)
カガリはゆっくりと瞬きをした。
自分の身の危険を顧みず、何度もアスランの元へ行けと言ったアレックスを思い出す。
思えば、いつもそうだった。
アレックスはいつもカガリのことを一番に考えてくれていた。
生まれながらの宿敵であろうと、動乱のなかカガリを愛し守ることができるのは、アスラン以外にいないだろう。
でも、きっとそれだけが理由ではない。
彼の優しさと想いの深さを、カガリはよく知っているつもりだったが。
アレックスは自分の死後、カガリがアスランと結ばれることに罪悪感を感じることを見越していたのだ。
(だから自ら、私をアスランに返そうとしたんだ・・)
カガリが何の後ろめたさを覚えることなく、アスランの伴侶として生きていくことができるように。
いかにも彼が考えそうなことだ。
脳裏に浮かぶのは、いつも静かに遠くを見据えていた、アレックスの達観した瞳。
「だからカガリ、俺は君を妻にするよ。彼の想いを無駄にしない為にも」
ずっと遠くを見つめていたアスランが、カガリに顔を向けた。
カガリを安心させようとしているのか、彼は微笑もうとしていたが。
長い睫が細かく震えていて、泣き笑いのような表情になっていた。
アスランとて、双子の兄を亡くしたのだ。
剣を交え、殺したい程憎いと思っていたが、最後の最後でアレックスの優しさに触れて、アスランだって遣り切れない思いを抱えているはずだった。
涙に耐えるような歪んだ笑みに、どうしようもなく胸が揺さぶられて、カガリは請うように、もう居ない人の名を呼んだ。
(アレックス・・)
「君の悲しさを分かってやれるのは、俺だけだ。だから、君の喪失感を埋めてやれるのも、俺だけだ。そうだろう、カガリ」
カガリを気遣って、今まで一歩引いていた態度を取っていたアスランが、縋るようにカガリの顔を覗き込んできた。
涙の膜に覆われたエメラルドが、一層深みを増していた。
幼いころから知っているアスラン。
冷静沈着だけど、本当はとても危なっかしい人。
信頼していた部下を大勢失って、これから新たな地盤を作っていかなければならない。
無口で人付き合いの上手くない彼に、それができるだろうか。
(守ってあげたい、この人を)
その想いと共に、愛しさが、カガリの胸を刺した。
愛しているのだ、この人を。
(アレックス・・私は、お前に甘えても、いいのだろうか)
「俺のこと、自分勝手だと、思うか?」
アスランの震えた声で紡がれる問いかけに、カガリはぶんぶんと首を振った。
「アスラン、好き・・」
(アレックス、ごめん・・・)
ついに口に出した言葉と、心のなかで呟いた言葉は同義語だった。
アスランと添い遂げることは、アレックスの最後の優しさに甘えるということだった。
どれほどの決意で、アレックスはカガリをアスランに託そうとしたのか。
彼の胸の内を想像するだけで、切ないほどに胸が引き絞られる。
それでも、カガリはアレックスの優しさを素直に受け取ることを選んだのだ。
「カガリ・・」
カガリの言葉に、アスランが僅かに目を見開いた。
だがエメラルドの瞳はすぐに細められ、アスランはカガリの身体をそっと抱きしめた。
「カガリ・・ごめん・・」
「何で謝るんだ、アスラン・・」
いつのまにか、二人とも涙をこぼしていた。
アレックスのことは、大人に成り立ての二人には、あまりにも過酷な出来事だった。
整理しきれない、割り切れない思いが渦を巻いて、それでも今はっきりと分かるのは、互いへの愛しさだった。
「二人でプラントを変えていこう、誰もが苦しまない国に。もう二度とあんな悲劇が起こらないように」
カガリの肩に顔を埋めながらアスランは震える声でそう言って、カガリはその言葉に何度も頷いた。
アスランとカガリ、二人が最初に持っていた愛は、守られた温かな世界で形成された、とても穏やかなものだった。
アレックスは確かに、二人に深い爪痕を残したけれど。
愛情を、愛しさを、そして悲しみと憤り、二人の持っている感情を全て分かち合うように、二人は強く強く抱きしめあった。
アレックスによって、世の厳しさや不条理を知った二人は、以前よりも強固で確かな愛を築いていけるはずだから。
FIN