藍色の秘密





北に位置するプラントの春は遅い。
それでも日差しが少しずつ力を増し、刺すように攻撃だった寒さが段々と穏やかになっていく。
そんな春の到来を、カガリはプラント宮の庭園で迎えていた。
金色の目線の先では、寒さに耐えた樹木が、薄桃色の花を咲かせている。
しかし、長く厳しい冬が終わり、命が芽吹く、人々が待ち焦がれる季節を前にして、カガリの心は明るく晴れることはなかった。
本来のカガリの気性であれば、命が芽生え始めた山々にはしゃいで足を運んでしまうのだが。
プラントの王妃になるカガリにとって、それは、もはや不可能なことだった。
オーブで自由気ままに暮らしていたときとは違うのだ。

(それに・・)

カガリは、王宮の城壁の間から見える山々の影を、目を細めて見つめた。

(優秀な護衛は、もう、いないから)

だから、外にはもう、行けないのだ。








「この傷では助からないと、彼も初めから分かっていたのだろう」

デュランダルの陰謀を転覆させ、アスランがパトリックの跡を継ぎ、王位に就いたとき。
即位式の記念パーティー、その終盤で、アスランとカガリ、そしてイザークの三人で話す時間があった。

「見てすぐに分かった。どんな手当を施そうと、彼が助かることはないとな」

腕を組みながら、イザークは淡々と話した。

「じゃあ、どうして・・どうしてアレックスが付いてくると言ったとき、止めなかったんだ?!」

カガリは思わず声を荒げた。
要人のほとんどと挨拶を終え、アスラン達は人目に付きにくいバルコニーの一角にいた。
もしそこが、ホールの真ん中だったら、周りの人が振り返っていただろう。

「彼がそうしたいと言ったからだ。誰よりも自分の身体を分かっている彼がな。その意思を尊重してやるのが人情だろう」

「・・・」

イザークの言葉に、カガリは何も言えなくなった。
アレックスがあの時、何を考えていたのか。
どうして自らアスランの救出に行くと言ったのか。
それがどうしても分からなかった。
いや、アレックスがもうこの世にいないということさえ、カガリは信じられない気がした。
自らの膝の上で、確かに彼は息をひきとったはずなのに。


それから、カガリ達は激動の日々を過ごした。
正確に言えば、アスラン達がと言うのが正しいのかもしれない。
カガリはただ、再びプラントを取り戻そうとするアスランやイザーク、ディアッカ達を遠くから眺めていただけに過ぎない。
ただ、ぼんやりと。
アレックスが居なくなってから、透明な膜が世界と自分を隔てているような、そんな感覚だった。
だから頓挫していた結婚式を春に行うという話も、どこか遠いことのように思えた。










「カガリ、ここにいたのか」

「アスラン」

長椅子に座って、カガリがぼんやりと色づきはじめた庭園を眺めていると、後ろから声を掛けられた。

「暖かくなってきているとはいえ、外はまだ寒いだろう」

さくさくと芝生を踏みながら近づいてきたアスランが、カガリの隣に腰を下ろすと、近くに控えていた女官たちがその場を離れる。
要らぬ気遣いに、カガリは心のなかで、ため息をついた。
カガリにとって、アスランは今、一番二人っきりになりたくない相手だった。

「俺との結婚を、迷っているか?」

しばらく沈黙が続いて、アスランが切り出した。
責めるような、探るような響きでもない穏やかな声音だった。

「いや・・」

「無理しなくていい。顔にそう書いてあるぞ」

「・・・」

カガリの返答にアスランは苦笑して、カガリは何も言えなくなってしまう。
アスランの言ったことが、全くの事実だったからだ。
アスランのことは愛している。
けれども、その想いに向き合おうとすると、胸の傷が痛むのだ。
アレックスという、深い傷が。
その傷のせいで、今はアスランの顔を見ることができない。

「何で、アレックスは俺を助けたんだろうな」

アスランの言葉に、カガリは思わずドレスの膝元を握った。
それはまさに、カガリが理由を知りたくて、悩み続けた疑問だった。
けれでも、アレックスの居ない今、その問いに答えてくれる人はいない。

「国を統べるというのは、思ったよりずっと大変なことだったよ」

淡い日差しを浴びながら、アスランが淡々と語り出した話は、全く話題の違うものだった。

「俺が決めたことで、大袈裟だが、プラント国民の一生が左右される。こんな恐ろしいことはないよ」

(うん・・知っている)

カガリは足元を見つめながら、アスランの話を無言で聞いていた。
まだ十代という若さで王位を継がざるおえなかったアスランの苦労は、計り知れないものだと思う。
昼も夜も政務室にこもるアスランを見れば、彼がどんなに激務をこなしているか、考えるだけでも恐ろしい。
彼の肩に掛る重圧を少しでも癒してあげることが、カガリの役目なのだろうが。
今のカガリにその役目を果たすことはできず、そんな自分がカガリは情けなくてしょうがなかった。

(でも・・でも、どうしても出来ないんだ・・ごめん、アスラン・・)

「父上もいない、切れ者な宰相もいない、親衛隊も今は二人で、彼らも復興で忙しい」

顔を歪めたカガリと対照的に、アスランの顔は穏やかだった。

「大きな決断を前にして、どうしようもなく不安なとき、俺は自分に問いかけるんだ、これで本当に大丈夫なのかって」

僅かに目を伏せ、小さく息をつくと、アスランは言った。

「そうするとどこからか、誰かに大丈夫だ、頑張れって、背中を押してもらえるんだ。それが俺には、アレックスに思えてならない」
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