藍色の秘密
手を引いて、駆け抜けた路地裏のよどんだ空気。
一緒に食べたケバブの辛さ。
賑やかな街のざわめき。
それらは、湧き出る泉のように、鮮やかに蘇ったのに
あの日、私の隣にいたのは誰だったか。
それがどうしても、思い出せないんだ。
「アレックス・・私、お前に会ったことはないか?」
「え?」
カガリは身を乗り出し、アレックスに尋ねた。
その唐突な質問に、アレックスはわずかに表情を曇らせた。
「お前が私の護衛になる、もっと前に・・」
確証は全くなかった。
自分でも、何故そんなふうに思うのか分からなかった。
だけど、自分でも探れない程深い胸の奥がざわめいている。
そのざわめきが、アレックスを知っていると、そう訴えているような、そんな気がした。
「いえ・・カガリ様と、お会いしたことは、ありません」
けれど、アレックスの返答はカガリが期待したものではなかった。
「本当か?よく思い出してみろ!」
諦めきれなくて、アレックスにそう促したときだった。
カガリの心臓が大きく鳴り、同時に大声を出してしまったことに後悔した。
キイ・・と老朽化した納屋の扉が音をたて、ゆっくりと開いたのだ。
「こんなところにいたのか」
冷たい物言いだったが、それはカガリのよく知っている人の声だった。
「イザーク!」
「大声を出すな。デュランダルの手先がこの周りをうろついている」
イザークの言葉にカガリは慌てて口元を押さえる。
その仕草にため息をつきながら、イザークはゆっくりと扉を閉めた。
再び納屋に沈黙が満ちると、カガリは小声で訪ねた。
「お前、無事だったんだな。良かった・・でも、どうしてここに?」
「俺は城が陥落するとき、姫の護衛を任されていたからな。玉座の間にいたら、二コル達と運命を共にしただろうが、運よく混乱に交えて城から脱出することができた」
姫の護衛を全うすることはできなかったがなと、最後に付け足したイザークに、カガリは軽く俯いた。
反逆者がアレックスだと知るやいなや、イザークの手を振り切って、玉座の間に向かったことを思い出したのだ。
何も考えず、咄嗟の行動だったのだが、結論からいえば、結局カガリはアレックスに捕らえられてしまったのだが。
(でも、今はこうしてアレックスと身を潜めている・・)
なんと目まぐるしく状況が変わっているのだろう。
激動する日々に、カガリは結婚式前夜までの穏やかな生活がとても遠くに感じられた。
一月も前のことではないのに。
「親衛隊で生き残ったのは、俺と、当日市民の誘導に当たっていたディアッカだけだ。ディアッカも今、外で追手の様子を見ている」
「イザーク・・ディアッカも、有難う・・」
強張った身体が緩むのを感じながら、カガリはイザークに礼を言った。
アレックスに生きろと叱咤しながら、内心一人でこの状況を何とかできるか不安で仕方なかったのだ。
しかし、安堵の為にうっすらと涙を浮かべる琥珀の瞳とは対照的に、イザークのサファイアの瞳は冷ややかだった。
「勘違いするなよ。親衛隊である俺たちの保護の対象は、アスランの花嫁である姫だけだ」
イザークはゆっくりと二人に歩み寄り、淀みの無い仕草で長剣を引き抜くと、横たわるアレックスの喉元に剣先を突きつけた。
「イザーク!」
「コイツがアレックスとやらか。さすがに、アスランにそっくりだな」
思わず悲鳴を上げたカガリに、イザークは目もくれなかった。
「親衛隊も貴様に殺された。そのかたき、取ったところで咎められることはないだろう」
「イザーク・・お願い、やめて!」
イザークの言うことは正しい。
幼馴染であり仲間だった親衛隊を殺されて、かたきを取りたい気持ちもカガリにはよく分かった。
(だけど・・!)
アレックスが殺されるなんて、カガリには耐えられなかった。
確かに彼はそれだけのことをした。
けれども、先ほどの自らの過去を語ったときに見せた、悲しいエメラルドの瞳がちらついて。
そんな悲しい瞳のまま、彼に死んでほしくない。
「イザーク!アレックスは私を助けてくれようとしたんだ!アスランの牢の鍵まで手渡してくれて・・!!」
取り乱すカガリとは対照的に、アレックスは静かに床を見つめている。
エメラルドとサファイアの瞳が交わらないまま、イザークは剣を振り上げた。