藍色の秘密
「貴方にだけは、見られたく、なかった・・」
こんな醜い傷痕・・・と、静寂さに満ちた小屋のなかで、アレックスが小さく呟いた。
諦めの滲んだ寂しい声に、止まっていたカガリの時間が動き出す。
「お前、これ・・いつ・・どこで?」
喉から出る自分の声は震えていた。
それほどに、アレックスの傷跡は酷いものだった。
茶色い裂傷の痕が幾筋も背中を走っている。
その痛々しさは、一番上に走る先ほどついた赤い傷よりも大きかった。
その傷の手当をしなければいけないと思うのに、カガリの身体は動かなかった。
「わたしは、娼館で働いていたんです。六歳のころから、身請け、されるまで、ずっと・・」
それは、今まで語られることのなかったアレックスの過去だった。
苦しそうな息遣いで語れるアレックスの過去を、カガリは息を詰めて聞いていた。
「客を、拒んだり、何かヘマを、したりすると・・罰として、鞭で打たれるんです。見えないよう、背中、に・・」
そこまで言って言葉を切ると、アレックスが小さく息をついて言った。
「この傷痕は、汚らわしい私の人生そのもの、なんです」
どこか自嘲めいた響きだった。
「私は、カガリ様の・・お傍になど、いてはいけない、人間、だったんです」
長く喋ったからだろう、アレックスの息遣いが、ますます苦しそうなものになっていく。
「生きる価値もない、醜く穢れた私を、カガリ様は、こうして、助けて下さって・・もう充分・・です」
それなのに、アレックスの表情はどこか安らかで穏やかだった。
「もうこれで充分なんです・・ですから・・どうか、お一人で、お逃げ、ください・・」
(アレックス・・)
その台詞はもう何度目だろう。
敵に見つかったとき、傷を負ったとき、アレックスは必ずそう言った。
自分を犠牲にして、カガリを助けようとしてくれた。
そんなアレックスが、どうして醜く穢れているというのか。
「醜くくなんてないさ・・」
カガリは傷痕にそっと触れた。
傷から流れ出た血がカガリの指先に付着する。
アレックスがピクリと反応したのが分かった。
「お前は、いつだって私のことを一番に考えてくれて・・」
アレックスは有能な護衛だった。
だけどそれ以上に、カガリの大切な人だった。
嬉しいとき、哀しいとき、いつもアレックスはカガリの傍にいて、その思いに共感してくれた。
そんなときのアレックスの瞳は、カガリへの慈愛に満ちていて。
「その想いに、穢れなんて一点もない。そうだろう?」
「それ、は・・・」
アレックスは反論しようとしたのか、何か言いかけたが、結局は否定の言葉が出てこなかったのか、口をつぐんだ。
「だから一緒に帰ろう」
暗く冷たい納屋から、明るく暖かく場所へ。
外に出れば、きっと重く辛い現実が待っている。
それでも生きていれば、希望があるはずだ。
その想いが伝わるように、カガリはアレックスの手を握った。
けれど、アレックスは弱弱しくかぶりを振った。
「無理です、もう・・。それに私はカガリ様とは違うんです・・私には・・」
切なげにエメラルドの瞳を細める。
「私には・・帰る場所など、ないのです・・」
――帰る場所なんてない。
その言葉がカガリの胸を打った。
それはあまりにも悲しい言葉だったが、それが理由ではなかった。
(その言葉・・)
――帰る場所なんてない。
そう言って、暗い目をしていた少年を、カガリは知っていた。