藍色の秘密
「君はそろそろ帰ったほうがいいんじゃないのか」
太陽が西に傾き始め、空が青からオレンジ色に変わりかけるころ、不安そうな表情をしていたカガリに少年は言った。
あれから二人で城下の街を回って、珍しい工芸品の店を冷やかしたり、出店で食べものをもらったり、楽しいときを過ごしていた。
初めは一言も発さなかった少年だったが、今では普通に話をするようになり、笑顔も見せるようになっていた。
それでも元来無口な性質なので、口数は多いわけではなかったが。
活気ある城下の街は一人よりも二人で回ったほうがずっと楽しくて、気が付けばもう夕方になっていた。
「でも・・」
「早く帰らないと、家族の人が心配するよ。内緒で出てきたんだろう」
「・・・」
「君も、お家が恋しくなってきたんじゃないのか」
図星だった。
怒りに身をまかせ屋敷を飛び出してきたカガリだったが、怒りはとうの昔に忘れ去り、城下の街を満足いくまで堪能すると、今度は家に帰りたくなってきていた。
「家はどこ?送っていってあげる」
穏やかに顔を覗き込んでくる少年の瞳が優しくて、カガリは素直に遠くに見えるアスハ邸を指差した。
少年は頷くと、大きな屋敷目指して歩き出し、カガリはその少し後ろからテクテクとついていく。
初めはお姉さんぶっていたカガリだったが、いつのまにか立場は逆転していた。
「もういい。ここからは一人で帰れるぞ」
アスハ邸の手前まできて、カガリは足を止めた。
「本当に?ここで大丈夫?」
「大丈夫だ」
実際アスハ邸はすぐそこだったし、きっと門の近くではマーナをはじめ召使たちがカガリを探し回っているだろう。
もしかしたらウズミもいるかもしれない。
プラントからやってくるお客様との挨拶はとても大事なことなのだと、8歳のカガリでも何となく分かっていた。
それをすっぽかした自分は、アスハ邸の者に見つかった瞬間こっぴどく怒られるかもしれない。
そんなかっこ悪いところを、少年に見られるのは嫌だった。
「君、方向音痴だから心配だな」
「ほうこうおんち?それ、どういう意味だ?」
少年の言うとおり、カガリは行動的なわりに、頭で地図を描く能力に乏しかった。
8歳の女の子なのだからそれは当然なのだが、活動的で強気な分だけ、それは目立った。
二人で城下を歩き回るときも、カガリが得意げに道を選んでいたが、何度も同じ道を通ったり、来た道を忘れて戻れないことも何度かあった。
「いや、何でもない。まあ、もうすぐ近くだし、大丈夫だろう」
少年がそびえたつアスハ邸を振り仰いだ。
「それにしても、大きな家に住んでるんだな。この家の召使の子供か何か?」
「召使の子供じゃないけど、この家の子供だぞ」
「ふうん・・召使以外にもいろんな人が住んでそうだな」
「いっぱいいるぞ!コックとか、庭師とか、それからそれから・・馬の世話してるマードックとか」
「楽しそうだな」
一生懸命話すカガリを見て少年が微笑んだ。
その微笑みが何だか寂しそうに見えて、カガリは急に不安になった。
「お前は?」
「え?」
「さっき、帰る家ないって・・」
カガリの言葉に、少年は先ほどの自分の発言を思い出した。
「ああ、大丈夫だよ」
「私の家にくるか?マーナにお願いすれば、いいって言うかもしれない。私頼んでみる」
「いいよ、大丈夫。それに帰る場所なら、一応あるから」
それでも不安そうに見つめてくる少女を安心させる為に、もう一度少年は微笑んだ。
「まだお礼言ってなかったな。ケバブありがとう。美味しかったよ」
「うん・・」
カガリは曖昧に頷いた。
楽しい時間をたくさん過ごして、二人でケバブを食べたのが大分昔に思えた。
「じゃあ、気をつけるんだぞ」
「うん」
さっぱりと少年が言ったので、カガリは彼に背を向けてアスハ邸に向かったが、数歩行ったところで振り向いた。
「なあ、また遊ぼうな」
「出来たらな」
「絶対だぞ!私の家分かっただろう?必ず遊びにくるんだぞ」
「分かった」
少年の返事に安心してカガリは満足げに頷くと、西日を背にアスハ邸に駆けて行った。
その返事に含まれた憂いに気が付くには、カガリはあまりにも幼かったのだ。
金髪をきらめかせ、跳ねるように駆けていく少女の後ろ姿が見えなくなるまで、少年はその場に立っていたが。
「アレックス、見つけたぞ。お前こんなところに隠れてやがったのか」
不意に背後から低い声が聞こえて振り向くと、そこには怒りを露わにした男が立っていた。
「手間かけさせやがって!よくも逃げ出してくれたな・・!」
「うっ・・」
男はアレックスと呼ばれた少年の襟元を乱暴に掴み、引き寄せた。
「分かってるんだろうな、お前。嫌と言うほど罰を与えてやるからな」
「く・・」
ドスの聞いた声でそう言うと、男はアレックスの襟元を掴む手にさらに力を込める。
ギリギリと締め付けられ、アレックスの顔が苦しげにゆがんだ。
「せっかく客を取っていたのに、どうしてくれるんだ!」
その言葉に苦しそうに喘いでいたアレックスが、男を睨み付ける。
アレックスは娼館で働かされ、毎晩男の相手をされられていたのだ。
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