藍色の秘密









「嫌だっ!」

女の子にしては低めだが、それでも子ども特有の甲高い声が、広い屋敷に響いた。

「ぜったいに嫌だっ!お父様は今日アメノミハシラに連れて行ってくれるといったのに!」

「プラントからお越しになるザラ国王ご一家のご到着が早まったのです。姫様もちゃんとご挨拶しないといけません!早くこちらに着替えを・・」

「い・や・だ!」

「姫様!」

雲一つない青空が広がる、よく晴れた午後だったのだが、アスハ邸では姫と乳母の争いが起こっていた。
もっとも、その光景はアスハ邸では日常茶飯事なので、多くの者は苦笑しつつ穏やかに見守っていた。

「一日到着が早まったのは向こうの都合だっ!こっちが合わせる必要ないだろうっ」

「姫様はまたそのようなことを・・」

姫の言いぐさに乳母は頭を抱えるも、深呼吸して高ぶった感情を治める。

「ザラ国王のご子息は姫様と同い年であられますよ。きっといいお友達になれると思いますが」

「友達ならたくさんいるさ」

姫と呼ばれた少女、カガリはふんと口をとがらせ横を向いたが、じっとりと睨み付けてくる乳母に観念したのか、ため息をつくように言った。

「分かったよ。着替えればいいんだろう」

カガリの言葉にマーナは目を輝かせ、早速ドレスを手に取ったのだが、カガリがその手を止めた。

「けど、そのドレスは嫌だっ!ビラビラがたくさんで動きにくそうだ」

「そうですか・・お似合いになるかと思いますが、仕方ないです。マーナが別のものを見繕いましょう」

この乳母は何だかんだカガリに甘いのだ。
レースのたくさんついたドレスを片手に、衣裳部屋に向かった。

「よし」

マーナが去ったのを確認して、カガリは窓枠に手を掛けた。
続いて足を乗せて、窓枠の上に身を屈めて乗り上げると、目の前にあるアスハ邸の庭の大木の枝に飛び乗った。
恐るべき俊敏さと身の軽さと、大胆さである。
マーナがみたら卒倒するような芸当であるが、カガリは既にこの手段で何度か部屋から脱出をしていた。
今年8歳になるアスハ家の一人娘、カガリ・ユラ・アスハのお転婆ぶりは、とても姫とは思えない。
大胆な行動だけでなく、彼女は女の子が好むような可愛い洋服や人形にも興味を示さず、外で走り回るのが大好きな少女だった。
木登りももちろん大の得意である。

「よっと」

危なげなくひょいひょいと枝から枝へ飛び移り、幹を伝ってすとんと地上に降り立った。

「どんなもんだっ」

勝ち誇ったように胸を逸らしてから、庭の探検で見つけた裏庭のフェンスの穴を伝って、カガリはアスハ邸を抜け出した。







「お父様のバカバカ!」

ガヤガヤと賑わう市街地を、カガリは肩で風を切り、ずんずんと大股で歩いていた。
カガリはずっと楽しみにしていたのだ。
彼女の父であるウズミとアメノミハシラに行く約束を。
それなのに、急にプラントから来るお客の相手をしないといけないと言われ、カガリの機嫌は最高に悪くなっていた。

「もう絶対いい子になんかしないからな!」

カガリが世間一般にいういい子になったためしは一度もないのだが、そんなことは知らぬ存で、幼い姫は市街地を突っ切って行く。
それでも街のにぎやかさに触れていくうちに、怒りは徐々に薄れていき、気分がワクワクと高揚してくる。
姫であるカガリは城下にきたことなどほとんどない。
あるとすればお祝いのパレードのときや、今回のように城を抜け出したときだけだった。
華やかな店や美味しそうな屋台を眺めながら、人の波に流されていくうちに気付けば表通りから離れた路地に入り込んでいた。
人通りも少なく、どこか暗い雰囲気の場所に、8歳のカガリもさすがに違和感を感じ、すぐに大通りに戻ろうとしたのだが。

「おい、お前こんなところで何してるんだよ」

不意にガラの悪い声がどこからか聞こえてきた。
カガリは反射的に入り組んだ裏通りを声のした方に向かっていった。
何でも首を突っ込みたくなる性格なのだ。
いくつか角を曲がって、カガリはついにその場所にたどり着く。
壁からそっと窺うと、路地の行き止まりに座った少年を、数人の少年たちが取り囲んでいた。
皆、カガリと同じ年ごろの少年たちのようだったが、仲良くみんなで遊んでいるような雰囲気ではなかった。

「黙ってないで何とか言えよ」

「見ない顔だな。ここの街のやつじゃないだろ」

「何かいけすかない奴だな」

真ん中の少年が何も反応しないのが気に入らないのか、不良たちはジリジリと輪を狭めていく。
見るからに喧嘩っぱやそうな連中だった。

「俺たちの遊びに付き合ってくんない?」

リーダー格の少年が、俯いた少年の襟元を掴もうとしたときだった。

「お前たち!弱い者いじめをするなっ」

少年たちのすぐ後ろに仁王立ちして、カガリは叫んだ。
正義感の強いカガリには、放っておけない事態だった。

「何だ、お前?」

少年たちが怪訝そうに振り返る。

「一人にそんな大勢で食って掛かって、恥ずかしくないのかよっ」

「何だと?」

「ちょうどいい。退屈してたところだ。そいつもやっちまえ」

少年たちがゆらりとカガリに近づいてきた。
数は6人。
少女のカガリが適うはずもないのだが、それでも強気な性格から少年たちを睨み付け、身体を構えたが。

「君たち!何をやっているんだ」

街の警備兵の声に、少年たちは動きを止めた。
見れば、向こうからオーブ軍服を着た兵隊が走ってくる。

「今だっ」

カガリは不良達の隙間を抜け、奥でうずくまっている少年の手を取った。

「逃げるんだよっ」

少年は立ち上がろうともしなかったが、強く手を引かれると逆らわずに従った。
後ろから聞こえる警備兵の声を振り切って、少女と少年は裏路地を駆けていく。
走って走って、やっと広い公園にたどり着き、足を止めた。

しばらく二人はハアハアと呼吸を落ち着かせていたが、何とか声を出せるようになったカガリが、傍らの少年に声を掛ける。

「お前、大丈夫か?」

濃紺の髪を垂らして俯いて少年がゆっくりと顔を上げ、美しい翡翠と琥珀の瞳がかち合った。












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