まほろば
心の中でガッツポーズしたアスランが本屋の階段にできた待機列に向かうと、何人かの見知った顔が安心したように迎えてくれた。
ネットやライブ会場で出会ったカガリファンの仲間だ。
「ザラ氏、良かった間に合って」
「本当に必死でした。よりによってこんな日に、ホームルームが長引いて」
中学時代にバスケで全国大会に出場した経験のあるアスランだったが、今は肩を思い切り上下させ、いかに彼が全速力でここまでやってきたかがわかる。
「ザラ氏の高校は遠いですからね」
「よく間に合わせましたね。本当に良かった。今日は久しぶりのカガリンの握手会だからもし逃してたら大変なことになってましたよ」
アスランが間一髪でチケットを入手したことを、自分のことのように喜んでくれるカガ担仲間に感謝しつつ、アスランはうなずいた。
「全くです。もし間に合っていなかったら発狂していたかもしれません」
いまだ息をきらせたままのアスランが待機列に並んだと同時に、前にいるスタッフの声がメガホン越しに会場内に響いた。
「握手会開始します~!ゆっくりと前にお進みくださ~い!」
―――きた
アスランの背筋が自然と伸びる。
生きがいであり、かけがえのない存在である女性との二ヶ月ぶりの邂逅だ。
列は誘導に従いぞろぞろとイベント用の別室に移動した。
その部屋の中央には即席のパーテーションが設けられていて、アスランはごくりと唾を飲み込んだ。
あのなかに会いたくてたまらない、アスランの全てともいっていい人がいる。
限られた時間のなかで、何を話そう。
少しずつ列は進むが、最後尾のアスランに順番が回ってくるにはまだ少しの時間がある。
「この流れを見ると、一人大体四十秒ですね」
「普通の握手会では一人二十秒が関の山ですから、今回はかなりラッキーですね。さすが整理券限定五十枚の握手会というだけあります」
列の消化率を観察し、握手の時間を冷静に分析する仲間たちに、アスランも頷いた。
初めてカガリと対面したとき、アスランはいざ憧れの人を前にして頭が真っ白になり何も話せなかったという苦い過去がある。
しかしその後アスランは握手会に足繁く通い、カガリに対して徐々に抗体がついてきて、今回こそ会話らしい会話をするのだと強い決意をもって今日の握手会に臨んでいる。
時間は四十秒。
話題はしっかり決めている、シュミレーションだって頭のなかで何回もした。
新作のCMのこと、イメージガールを務めている議会選挙のポスターのこと、昨日ブログにアップしていたケバブのこと。
アスランはギリギリまで脳内シュミレーションを繰り返す。
「ザラ氏、お先に行って参ります」
前に並んでいた仲間の声に我に返って顔を上げれば、前にあった列は綺麗に捌けていた。
「・・・・っ」
いつのまにこんな時間が経っていたのか。
もうあと一分もしないうちに、あの子と対面するのだ。
アスランの体温が急上昇し、脂汗が滲む。
―――大丈夫、大丈夫だ
逸る心臓をアスランは冷静に押しとどめる。
これだけシュミレーションをしたのだ。
それに彼女に会うのはこれで六回目。
恐れることはない、きっとうまくやれる。
「整理番号五十の方どうぞ!」
スタッフに促され、パーテーションの中に入ると、彼女がそこにいた。
「最後のヤツだよな?遅くなってすまない!」
「――――あっ」
活き活きとした表情と輝く金髪を目にした途端、アスランの頭は真っ白になった。
シュミレーションも何もかも、吹っ飛んだ。
彼女が差し伸べてきた手を慌てて握って、その感触にさらに何も考えられなくなる。
一方、カガリは慣れたもので、制服姿のアスランに軽快に声をかける。
「高校生?もう学校終わったのか?」
「―――あ・・・っ、あ、はい・・っ」
「放課後にわざわざ来てくれてありがとな。勉強も頑張れよ!」
「―――あっ・・・っあ、はい・・っ」
「・・・・・」
彼女が話しかけてくれるのに、会話どころかまともな受け答えすらできない。
微妙な沈黙をどうにかしたいのに、頭が働いてくれなくて、ひたすら焦るアスランに、機械的な声がかかる。
「はい、時間です」
「あっ?え、あ・・・・っ。カっ、カガリンも頑張って下さいっ」
やっと口から出てきたのはありふれた言葉だった。