まほろば
それから数日、アスランは眠れない日々を過ごした。
見るからに憔悴したアスランに、心配したキラが声をかけても予備校の模試が近いからと適当な返事で濁した。
大ファンだったアイドルに好意をもたれてラッキーなどという思いは、アスランには決してなかった。
カガリのことを真剣に応援しているからこそ、安易で楽天的な考えは浮かんでこない。
ただひたすら、苦しかった。
放課後、真っ直ぐ帰宅したアスランはベッドに突っ伏し、片手で携帯電話を確認する。
カガリのほうもアスランの態度にショックを受けたのか、彼女からの連絡は無い。
アスランは再び顔をシーツに押しあてた。
カガリはキスシーンの撮影をもう終えたのだろうか。
まだ視聴率のことを気にして元気がないのだろうか。
多忙な彼女だから、連絡する暇もないのかもしれないし、彼女にとってはアスランなど些細なお遊び程度のもので、関係が壊れたところで何のダメージもないのかもしれない。
そう思いを巡らせたところで、アスランはかぶりを振った。
カガリは、そんな女の子じゃない。
SEDとしての彼女を追っかけしていたころから、ライブや握手会で彼女の性格をアスランは感じ取っていた。
頑張り屋で、いつもひたむきで、そして優しい。
アイドルとしては欠点なのかもしれないが、嘘がつけない程正直で真っ直ぐな性格だからこそ、アスランは彼女を愛おしく思い、応援した。
そしてアイドルとファンという枠組みから離れ、一般人としてのカガリと付き合うようになってから、より一層彼女の良さを感じるようになった。
「カガリ…」
惹かれているのだ。
彼女に。
ファンとして、異性として、その両方の立場から、カガリという存在に惹かれている。
動揺していた気持ちが落ち着いて、アスランは自分の奥に灯っていた感情に気が付いた。
しかしカガリはアイドルで、恋愛が出来る立場ではない。
―――アスラン
それなのに、あんな目で見つめてきて、あんな声で名前を呼ぶなんて、卑怯だと思う。
自分の気持ちに気が付いてしまったら、もう止めることはできない。
今度は絶対に、カガリに触れてしまうだろう。
そうなったらきっともうカガリを手放せなくなって、アイドルである彼女を許せなくなってしまう。
不特定多数の目に触れさせるなど耐えられない。
そんな愚かな独占欲にまみれて、彼女を傷つけるだろう。
そんなことは嫌だ…。
目に浮かぶ泥沼の展開を、アスランは頭の端に追いやった。
カガリが俺をあんな目で見なければ良かったのに、そもそもキラが俺を家に誘わなければ良かったのに。
そうすれば、幸せな夢を見るだけのファンでいられた。
こんな苦しい思いをすることもなかったのに。
カガリだけでなく、キラにまで逆恨みをしてしまう自分が情けない。
「でも、もう遅いんだ」
アスランがそう呟いたとき、携帯電話の着信音が鳴った。
慌てて通話ボタンを押すと、聞こえてきたのはよく知っている声だった。
「ザラ氏、わっ…私です。すみません、いきなりお電話してしまって。今、大丈夫ですか?」
「あっ。はい、私室で休んでいたところです。どうしました?」
付き合いの長いカガ担仲間にアスランは尋ねた。
受話器の向こう、SED総選挙の際、アスランよりは少ないがCDを100枚購入し、全てカガリに投票した猛者の声が震えている。
「れ、例のドラマなんですけどね、我々が懸念していたことが…っつ、ついに起こってしまったようなんですよ。視聴率がよっ…、良くないので、梃入れって言うんですか?脚本書き換えて、カガリンにキスシーンがあてがわれるらしいんです」
「ああ…」
その話は既にカガリ本人から聞いており、しかも例の出来事の発端となった話だった。
しかし、オタク仲間はアスランの声の重さに気が付かないようで、口の端から唾を飛ばしているような勢いで続ける。
「応援はしますよ、応援はしますけども、明らかに話題作りでしょう?何で、私たちのカガリンがそんなことに利用されないといけなんです?そもそもあれは脚本がまずすぎるんです。実を言うと最初に脚本家とキャストを見たときから私は…っ」
そこまで捲し立て、受話器の先の声がふと止まった。
「ザラ氏、何かありました?」
「え?」
急に尋ねられ、アスランは思わず聞き返してしまった。
「元気がないような気がしまして…」
「いえ、そんなことは」
「分かります。本当にショックですよねえ。カガリンのキスシーン。私も今はこうして激高してますけどね、この電話を切ったらきっと落ち込んできっと今日は眠れないんですよ」
「…」
アスランは受話器を握りしめながら、しみじみとその向こうにいるカガ担仲間の息遣いを感じた。
彼の声やノリが何だか久しぶりな気がして、とても懐かしかった。
それと同時に自分が純粋にカガ担だったころのことを思い出す。
毎日カガリの情報をチェックして、一喜一憂していた日々。
全力でカガリのことを想っていた自分。
「ショックですよ」
そう言いながら、アスランの唇は微笑が浮かんでいた。
自分がどうするべきか、どうしたいのか分かった気がした。
「だからこそ、応援しましょうよ。ファンが悲しんだらカガリンも悲しみます。だからこそ僕らはカガリンにチャンスが来たねって、励まして応援しましょうよ」
アスランの言葉が効いたのか、落ち着きを取り戻したカガ担仲間との電話を終えたアスランのもとにメールが一通入った。
―――来週レポート追加で出さないといけないんだ
久しぶりにきた、カガリからのメールだった。