まほろば
ぐらり、と自分の頭が揺れた気がした。
情熱の全てを捧げてきた憧れのアイドルが、自分を求めてきている。
夢であれば、きっとここで目が覚めて、バクバクと煩い自分の鼓動を聞きながら、自らのベッドの上でがっくりと肩を落としているだろう。
しかしこれは紛れもない現実で、アスランはどう対処をすれば分からない。
指一本、ほんのわずかでも動かしたら、何かが変わってしまうような、そんな予感がアスランを包む。
「あ、……」
何か言わなければ、しかし何と言っていいのか。
名門ZAFT高校の首席を誇るアスランの優秀な頭脳が、コンクリートで固められたようにまるで動かない。
「アスラン」
身体を張りつめ固くしたアスランを見つめていたカガリがそっと目を伏せ、その整った顔を流れるように自然な動きで、さらにアスランへと近づけた。
―――あ。
まさか本当に、俺とカガリは。
そう思ったのが合図になったのか、今まで活動を停止していたアスランの優秀な脳がすさまじい速さで回転した。
唇が触れ合うまでのほんの数秒間、その短い間にアスランの頭のなかで、幾つもの映像が流れる。
それは世にも恐ろしい、カガリの坊主姿だった。
綺麗な金髪は見る影もなく、頭の骨格をむき出しになったカガリが、カメラの前で涙ながらに謝罪している。
―――私の軽率な行動で、応援して下さるファンの皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした…
「うわあああああああああああああああああああああああっ」
「アスラ……っ?!」
恐怖の悲鳴をあげ、勢いよく立ち上がったアスランを、カガリは驚いて見上げたが、アスランはそんな彼女の姿さえも今は目に入らなかった。
アスランの視界には、坊主のカガリと、スキャンダラスなスクープを取り上げる週刊誌、怒り狂うファンと彼らによって割られたCDや燃やされたポスターが順々に入れ替わっては、ぐるぐると回っている。
「お前、何っ?いきなりどうしたんだっ」
正常な精神を失ったまま、机の上の教科書やノート、筆記用具を手当たり次第に掴んで鞄にぶち込み、リビングを出ていこうとしたアスランを、呆気に取られていたカガリが慌てて引き留めた。
その細い指の感触に、アスランはびくっと肩を揺らす。
「アスラン、待ってくれ。私が変なことをしたからだよな?すまない、今のことは忘れてくれ」
必死で謝るカガリの声に、アスランの頭の端がかろうじて冷静になる。
もともと冷静沈着な彼が、我を忘れることのほうがおかしいのだ。
しかし僅かに正気を取り戻したとはいえ、状況を立て直すことは今のアスランには到底無理だった。
「……すまない、今日はもう帰る」
「アスラン!」
カガリの悲痛な叫びを背に、アスランはそのままヤマト邸を後にした。
帰路につくまでの記憶は全くなく、気が付けばアスランは自宅の私室でドアを背に座り込んでいた。
汗びっしょりで、額に髪が張り付いていた。
「あ…俺」
時計を見れば、もう八時を回っていた。
ヤマト邸にいたときは夕方だったから、一時間はこうしていたらしい。
友人宅で夕飯を頂く予定だと前もってレノアに伝えていたので、呼びにくる者が誰もいなくて幸いだった。
もし今のアスランを目にしたら、その呆然自失とした様子にぎょっとするだろう。
―――キスするなら、わたしは
「あああああああああああああっ」
刺激は強すぎて、カガリの声を最後まで再生できなかった。
悶絶しながらアスランは床に突っ伏した。
憧れのアイドルにそう言われて、冷静でいられるファンは一体どれくらいいるだろうか。
受けた衝撃は計り知れず、嬉しさや喜びを通りこし、アスランは自分でも信じられないくらい動揺していた。
愛してやまない女性が、アスランの心の防波堤を砕き、一気に懐に入り込んできたのだ。
それだけではない。
これが普通の高校生同士だったら、微笑ましく幸せな交際がスタートするのだろうが、カガリは国民的人気アイドルグループの一員なのだ。
そしてアスランはその熱狂的なファンである。
悲しいくらい生真面目であり頭脳明晰ゆえ、アスランはその幸運な奇跡に溺れることなく、もし交際を始めたとして、その後のカガリを思い描けてしまったのだ。
―――研究生として一から出直します。申し訳ありませんでした…
数か月前に熱愛が発覚し、頭を丸めたSEDのメンバーにカガリの姿が重なったのだ。
そう、SEDは恋愛禁止なのである。
ファンへの謝罪と今後のアイドル生活への覚悟を表し頭を丸めた彼女は世間で大きな反響を呼んだ。
そのほとんどは「やりすぎだ」「パフォーマンス」だという声で、熱愛発覚で下がった彼女のイメージはさらに下降し、ただのお騒がせアイドルになってしまった。
彼女が輝かしい場所に再び戻ってくることはおそらくもう無いだろう。
カガリを彼女の二の舞にしてはいけない。
彼女の想いを受け入れれば、彼女の将来をつぶしてしまうことになる。
受け入れたいのに、受け入れてはいけない。
その狭間で、アスランは身動きが取れなくなっていた。
情熱の全てを捧げてきた憧れのアイドルが、自分を求めてきている。
夢であれば、きっとここで目が覚めて、バクバクと煩い自分の鼓動を聞きながら、自らのベッドの上でがっくりと肩を落としているだろう。
しかしこれは紛れもない現実で、アスランはどう対処をすれば分からない。
指一本、ほんのわずかでも動かしたら、何かが変わってしまうような、そんな予感がアスランを包む。
「あ、……」
何か言わなければ、しかし何と言っていいのか。
名門ZAFT高校の首席を誇るアスランの優秀な頭脳が、コンクリートで固められたようにまるで動かない。
「アスラン」
身体を張りつめ固くしたアスランを見つめていたカガリがそっと目を伏せ、その整った顔を流れるように自然な動きで、さらにアスランへと近づけた。
―――あ。
まさか本当に、俺とカガリは。
そう思ったのが合図になったのか、今まで活動を停止していたアスランの優秀な脳がすさまじい速さで回転した。
唇が触れ合うまでのほんの数秒間、その短い間にアスランの頭のなかで、幾つもの映像が流れる。
それは世にも恐ろしい、カガリの坊主姿だった。
綺麗な金髪は見る影もなく、頭の骨格をむき出しになったカガリが、カメラの前で涙ながらに謝罪している。
―――私の軽率な行動で、応援して下さるファンの皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした…
「うわあああああああああああああああああああああああっ」
「アスラ……っ?!」
恐怖の悲鳴をあげ、勢いよく立ち上がったアスランを、カガリは驚いて見上げたが、アスランはそんな彼女の姿さえも今は目に入らなかった。
アスランの視界には、坊主のカガリと、スキャンダラスなスクープを取り上げる週刊誌、怒り狂うファンと彼らによって割られたCDや燃やされたポスターが順々に入れ替わっては、ぐるぐると回っている。
「お前、何っ?いきなりどうしたんだっ」
正常な精神を失ったまま、机の上の教科書やノート、筆記用具を手当たり次第に掴んで鞄にぶち込み、リビングを出ていこうとしたアスランを、呆気に取られていたカガリが慌てて引き留めた。
その細い指の感触に、アスランはびくっと肩を揺らす。
「アスラン、待ってくれ。私が変なことをしたからだよな?すまない、今のことは忘れてくれ」
必死で謝るカガリの声に、アスランの頭の端がかろうじて冷静になる。
もともと冷静沈着な彼が、我を忘れることのほうがおかしいのだ。
しかし僅かに正気を取り戻したとはいえ、状況を立て直すことは今のアスランには到底無理だった。
「……すまない、今日はもう帰る」
「アスラン!」
カガリの悲痛な叫びを背に、アスランはそのままヤマト邸を後にした。
帰路につくまでの記憶は全くなく、気が付けばアスランは自宅の私室でドアを背に座り込んでいた。
汗びっしょりで、額に髪が張り付いていた。
「あ…俺」
時計を見れば、もう八時を回っていた。
ヤマト邸にいたときは夕方だったから、一時間はこうしていたらしい。
友人宅で夕飯を頂く予定だと前もってレノアに伝えていたので、呼びにくる者が誰もいなくて幸いだった。
もし今のアスランを目にしたら、その呆然自失とした様子にぎょっとするだろう。
―――キスするなら、わたしは
「あああああああああああああっ」
刺激は強すぎて、カガリの声を最後まで再生できなかった。
悶絶しながらアスランは床に突っ伏した。
憧れのアイドルにそう言われて、冷静でいられるファンは一体どれくらいいるだろうか。
受けた衝撃は計り知れず、嬉しさや喜びを通りこし、アスランは自分でも信じられないくらい動揺していた。
愛してやまない女性が、アスランの心の防波堤を砕き、一気に懐に入り込んできたのだ。
それだけではない。
これが普通の高校生同士だったら、微笑ましく幸せな交際がスタートするのだろうが、カガリは国民的人気アイドルグループの一員なのだ。
そしてアスランはその熱狂的なファンである。
悲しいくらい生真面目であり頭脳明晰ゆえ、アスランはその幸運な奇跡に溺れることなく、もし交際を始めたとして、その後のカガリを思い描けてしまったのだ。
―――研究生として一から出直します。申し訳ありませんでした…
数か月前に熱愛が発覚し、頭を丸めたSEDのメンバーにカガリの姿が重なったのだ。
そう、SEDは恋愛禁止なのである。
ファンへの謝罪と今後のアイドル生活への覚悟を表し頭を丸めた彼女は世間で大きな反響を呼んだ。
そのほとんどは「やりすぎだ」「パフォーマンス」だという声で、熱愛発覚で下がった彼女のイメージはさらに下降し、ただのお騒がせアイドルになってしまった。
彼女が輝かしい場所に再び戻ってくることはおそらくもう無いだろう。
カガリを彼女の二の舞にしてはいけない。
彼女の想いを受け入れれば、彼女の将来をつぶしてしまうことになる。
受け入れたいのに、受け入れてはいけない。
その狭間で、アスランは身動きが取れなくなっていた。