本編


(アスラン・・どうして・・)

上半身を起こしたカガリは、段々と遠くなる背中を、信じられないという気持ちで見つめていた。

(どうして行っちゃうんだよ・・)

衝撃で空洞化した胸に、次第に怒りという名の泡がぷくぷくと発生していく。
確かにカガリの態度にも問題があったかもしれない。
しかしだからといって、そのままカガリ一人を置いて行かなくてもいいではないか。
公の場にいるアスランはいつも堂々として落ち着いて見えるのに、こんなのは詐欺だとカガリは思った。

「馬鹿っ!!何で一人にするんだよっ・・!」


胸に沸いた怒りを、カガリはそのまま口に出した。
アスランに対してよそよそしい以前のカガリだったら、こみ上げてくる感情を押さえつけて、アスランを見送っていたかもしれない。
けれども、オーブを離れてからの二か月で、カガリはアスランに心を開いていたのだ。
カガリ本人が思っているよりも、それはずっと。
アスランの真摯な態度と真心によって、特殊な生い立ちと、割り切れない現状のおかげで、頑なで歪だったカガリの心は次第に溶けていき、自分を置いて去ってしまうアスランへの怒りも、こうした心境の変化から来るものだった。

「えっ・・」

「一人でさっさとどっかにいっちゃうなんて、酷いだろっ!」

今まさに扉の取っ手を掴みかけていたアスランが驚いて振り返る。
何が起こったのかわからずに、ただ驚いた顔をしているアスランに、カガリは何故だか猛烈に腹が立ち、燃焼しきれない怒りが涙となって、琥珀の瞳から押し出された。

「嘘つき!お前なんて大嫌いだっ!!とっとと出て行けよ!!」

「カガリ・・?えっと、ごめん・・」

カガリの突然の癇癪に呆気にとられていたアスランだったが、カガリがわっと身体を丸めて泣き出すと、再びベッドへと戻ってきた。
しかし宥めようとするものの、どうしていいか分からないようだった。
おろおろと手を巡廻させ、困ったようにしゃくりあげるカガリを見つめる。
けれでも、どうして突然カガリが怒りだし、そうかと思えば堰を切って泣き出したのか分からないのは、アスランだけではなく、カガリ本人もまた同じだった。
どこに分類するのか分からない様々な感情が、胸の内をぐるぐる周り、せめぎ合っているのだ。
ただアスランが一人行ってしまうことが、我慢ならない、それだけのことなのに。

「カガリ・・ごめん。頼むからそんなに泣かないでくれ」

初めは戸惑っていたアスランも、たどたどしくではあったが、カガリの金糸をゆっくりと梳きはじめた。
なぐさめるようなその優しい手つきで何度も髪を梳かれるうちに、カガリの号泣も次第に収まっていく。

「カガリ・・」

「嘘つき・・嘘つき・・守るって言ったくせに・・」

「え・・」

激しい号泣は収まったものの、未だに嗚咽が止まらないカガリが、しゃくりあげながら言った。
その言葉にアスランはわずかに目を見開いた。

「守るっていったのに・・置いて行くなんて、嘘つき・・大っ嫌いだ・・」

「カガリ・・ごめん・・」

今度は戸惑うことなく、アスランはカガリをしっかりと抱きしめた。

「そうだよな、本当に。ごめん、カガリ」

「う・・うう・・」

アスランと触れ合っているところから、じんわりと彼の体温と感触が伝わってきて、カガリの波立った心が徐々に落ち着いていく。
この安心できるぬくもりは、先ほど夢のなかで感じた白い靄と同じものだった。
包まれていると、無条件に安心できて、守られていると思わせてくれる。

「俺はここにいるよ。もう絶対にカガリを置いて行ったりしない」

優しいけれどはっきりとした声でアスランは言った。
それは今日の婚儀の際、ハウメア神の前で唱えた、誓いの言葉のような響きだった。

「どうしてなんだよ・・」

どうして自分を残して一人で行ってしまおうとしたのか。
そう言いたかったのに、泣きじゃくったカガリは頭が混乱して、上手く言葉が紡げない。
けれども、アスランはカガリの気持ちをしっかりと汲み取った。

「俺が傍にいると、カガリが嫌がると思ったんだ・・だから・・本当にごめん」

「私は嫌だなんて、一言も言っていないのに、それなのに、勝手に、一人で行っちゃうなんて」

「うん・・そうだな・・ごめん」

「うう・・」

そうやってしばらくアスランに抱き締められていると、やがてカガリは落ち着きを完全に取り戻した。
カガリが泣き止んだのを確認すると、一度ぎゅっと腕に力を込めてから、アスランはゆっくりと密着した身体を離した。

「カガリ・・落ち着いたか?」

「あ・・うん・・」

アスランの身体が離れてしまったのが寂しかったのだが、カガリは小さく頷いた。
感情の爆発が過ぎ去ってしまうと、残るのは気恥ずかしさだった。

「そうか」

カガリの返事に、アスランは目を細めた。
橙色のランプに照らされた彼の顔は、恐ろしいくらいに艶めかしく、カガリは直視できずに目をそらした。
知らず知らずのうちに、心臓の鼓動が高鳴っていく。

(やだ・・こんな・・)

そんな自分の変化に耐えられず、カガリは全てを水に流そうとした。
今のことを問いただされても、上手く説明できる自信もなかった。
アスランと視線を合わせぬまま、カガリは言った。

「こんな・・急に泣いたりしてすまなかった。私・・」

「どうかしてたとか、そんな言葉で済まさないでくれ」

カガリの早口の謝罪は、しかし途中でアスランに遮られてしまった。
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