本編

カガリが返事をする前に、寝室の前に控えていた侍女たちによって、扉は音もなく開かれた。
そもそも、夫婦の為の寝室に夫であるアスランが入室の許しを得る必要などないのだから、それは当然だった。
開いたときと同様、扉が静かに閉じられると、寝室には沈黙は満ち、そのなかアスランはゆっくりとカガリのもとへ向かってきた。

(あ・・アスランが来る・・どうしよう・・)

処理しきれない居たたまれなさに、カガリは頑なに足元の床を見つめていたのだが、その視界に室内用の履物を履いたアスランの足が入り込んだ。

「カガリ・・・そこ、座ってもいいか?」

「あ・・ああ・・」

少し震えてしまったものの、ちゃんと返事ができたことに、カガリは微かに安堵したが。
キシリ・・とベッドを軋ませ、アスランがすぐ隣に腰を下ろすと、再び全身を緊張させてしまった。

「今日はご苦労だったね。疲れただろう」

しばしの沈黙のあと、アスランは切り出した。

「アスハの姫として生まれ育った君にとって、慣れないことや理不尽なことばかりだっただろう。神王であった君に気苦労をかけさせて、本当にすまない」

アスランの声は苦しそうで、まるでカガリの苦痛を代わりに受け止めているように思えた。
思わずカガリが顔を上げてアスランを見やると、遠慮がちに労わる様な表情をしたアスランがそこにいた。

「あ・・」

その頼りなげな表情は、昼間の婚儀や会合で見せた堂々とした彼からは想像できないもので、カガリにいつかの船上でのことを思い出させる。
オーブからプラントに向かう船の上で、初めてアスランとカガリが二人で会話をしたときのことだ。
あのときも、彼は心細げな表情をして、叱られるのを恐れる子供のような顔でカガリを見つめていた。
それまでは、毅然とした態度でオーブと交渉を行い、時にはカガリに対して厳しく意見さえしたのだ。
それなのに・・・。

(一体どうしてそんな顔をするんだ・・プラントの王子のくせに)

アスランのそんな表情を見ると、胸が苦しくて堪らなくなってしまう。

「だけど、カガリ・・俺は君がプラントに来てくれて、本当に嬉しいんだ」

「え・・」

ランプの炎に照らされ陰影のできたアスランの顔は彫刻のように美しかったが、その瞳は作り物の彫刻ではありえない真摯な光を宿していた。

「相当な覚悟が必要だっただろう。有難う・・カガリ。俺と生きることを選んでくれて」

エメラルドの瞳が切なげに細められる。
気が付いたときには、カガリの手はアスランにそっと握られていた。

「ずっとずっと、この日を待ち望んでいたんだ。アスハの姫である君と、こうなる日を。それがどんなに無謀な夢物語であるか分かっていても・・」

「もし・・・もし、私がアスランの条件を退けていたら、どうするつもりだったんだ」

確かにプラントの王子と神王が婚姻を結ぶなど、アスランの言うとおり無謀な夢物語だった。
彼の大胆な政治的手腕のおかげで上手くことは進んだが、交渉が決裂する可能性のほうがずっと高かったのだ。

「それでも俺は君を諦めなかっただろう。もっと乱暴な手段で君を手に入れてたと思うよ」

「アスラン・・」

束の間、エメラルドの瞳に強い光が瞬いた。

「愛しているんだ、カガリ。ずっと昔から・・。有難う、プラントに来てくれて・・」

掴んだ手に力が籠められる。

「君の覚悟と決意はちゃんと受け止めるよ。これから何があっても、君は俺が守る」

「アスラ・・」

夫となった人の名前を、けれどカガリは最後まで言うことができなかった。
ゆっくりとアスランの顔が近づいてきて、そのまま唇を重ねられたからだ。
船上以来の二度目の口づけ。
それはとても心地よくて、先ほどからカガリを苦しめていた緊張も不安も戸惑いも、全てが溶かされていくような優しい口づけだった。

「ん・・」

アスランはいったん唇を放すと、角度を変えて再び口付け、それを何度も繰り返した。

「ふっ・・」

カガリの身体から強張りが抜けていくと、アスランは唇の隙間からそっと舌を差し込んだ。
アスランの身体と同様に普段よりは熱をもった舌は、優しくカガリの咥内を辿るとそっと奥に隠れ怯える舌に寄り添い、ゆっくりと絡め取る。

「んん・・・」

初めての官能的な口づけに戸惑うカガリの頭を優しくなでながら、アスランは次第に口づけを激しくしていく。
薄暗い部屋に水音と、時たまどちらかの口から漏れる吐息だけが響く。
始めは怯えていたカガリも、気が付けばすっかり口づけに夢中になっていた。
自分から積極的に動くことはないものの、アスランの舌の感触や動きにうっとりと身を任せる。

(気持ちいい・・)

やがてアスランがゆっくりと口づけを解くと、二人の唇には銀のアーチがかかり、アスランはそれをぺろりと舐めとった。
それがやたら官能的な行為に思えて、カガリの胸が高鳴った。
昼間の真面目なアスランからは想像もつかない。
はあはあと呼吸を乱し、瞳を潤ませるカガリの顔を覗きこむアスランの瞳は濡れていて。

「俺と結ばれたら、穢れると思う?」

その問いが、アスランからの合図で、踏みとどまる最後の機会だということもカガリは理解したのだが。
エメラルドの瞳に宿った真摯だけれども、どこか妖しい光にあてられたように、カガリは首を振った。

「カガリ・・」

果たしてそれは、カガリの予感通りだった。
アスランは首を振ったカガリに目を細めると、カガリを上質で真新しいベッドにゆっくりと押し倒した。








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