本編

アスラン・ザラ。

酷い人間だと、オーブの神官の誰もが彼のことをそう言った。
軍事力を盾に、神王を娶るなどと神を冒涜する行為だと。
結果、神の国と崇め奉られていたオーブはプラントの属国に成り下がった。
代々の神王が今のオーブを見たら、どんなに嘆くことだろう。

けれども、青い海に浮かぶ孤島オーブの、その奥深くに守られた神殿で過ごしていたカガリに、彼は臆することなく世界というものを教えてくれた。
清らかな世界はほんの一部で、しかもそれは多くの血と涙の犠牲の上で成り立っており、オーブの地盤が崩れるのはもはや時間の問題だと。
アスランは厳しくカガリにそう告げたが、滅亡に片足を踏み入れたオーブを救ってくれたのは彼だった。
状況次第では自害に追い込まれるか、はたまた捕虜として牢獄で一生を終えるかもしれなかったカガリを守ってくれたのも彼だった。


(だから・・だから・・私は・・)


カガリはきゅっと寝着の胸元を握った。
その繊細で肌触りの良い寝着も、この部屋にある調度品も、今カガリが腰かけているベッドも全てが真新しいものだった。
ここは初めてカガリが一晩過ごすことになる場所、夫婦の寝室だった。
若い新婚の夫婦の為にあつらえた家具は白を基調として、どれも清潔で精美なものだったが、今はほの暗い闇に沈んでいる。
今、寝室で唯一の明かりは、ベッドのサイドテーブルに置かれた繊細な彫刻が施されたランプの炎のみ。
昼間の喧噪はすっかりなくなり、窓の外を伺えば、冴え冴えとした月だけが浮かんでいる。
部屋はしんと静まり返っているのに、カガリの焦燥は募っていくばかりだった。

(どうしよう・・)

寝着を掴む手に、カガリは無意識に力を込める。



今日、アスランとカガリの婚儀がディゼンベル大聖堂で執り行われた。
馴染みの無い場所で、大勢の人を前にして、無理やり頭に叩き込んだプラントの作法をこなしていくのは、カガリにとってやはり大変な負荷だった。
加えて、分かっていたことではあったが、プラントで伝統的に花嫁が着用するドレスは肩がむき出しで、カガリにとっては露出が多く、自らの肌を他人に曝すのは大変な苦痛であった。
そんなわけで婚儀だけでカガリの精神的疲労は相当なものだったが、詰めかけた沿道の市民たちの前を馬車でパレードするときは、戸惑いと恐怖で頭がいっぱいになってしまった。
奥深くの神殿で肉親と僅かな召使たちだけで暮らしてきたカガリにとって、大観衆というのは全く縁のないものだったからだ。
それでもプラントの誇る若く聡明な王子と、ハウメアの娘として崇め奉られてきたカガリとの結婚に、市民は心から祝福を送り、大聖堂から城門にたどり着いたころには、カガリも大分落ち着いていた。
それから招待客を招いた晩餐と会合をいくつかこなし、カガリは身を念入りに清められ、夫婦の寝室でまさに今日夫婦の誓いを交わした人を待っているのだった。

(アスラン・・)

もうすぐ、アスランがやってくる。
そう思うとカガリは居てもたってもいられない。

(どうしよう・・)

それは、胸のなかで何度も呟いた言葉だった。
守られた神殿のなかで、世間と遮断されて育ったカガリとて、夫婦となった男女がどんなものか、薄々は知っている。

<全て王子にお任せするのですよ>

オーブを発つ前夜、乳母であるマーナに言われた言葉を思い出す。

(でも・・そんな・・怖い・・)

それは、大観衆を前に手を振った時に感じた恐怖とは、全くの別物だった。
直接的ではなく、心の奥からじわじわと湧き出てくる恐怖が焦燥を呼び、得たいの知れない不安となって、カガリを落ち着かせなくさせるのだ。
それでもカガリにはその不安がどこに根付いているのか分からなかったのだが。
神の国であり、その象徴ともあるカガリがアスランの妻になってしまえば、オーブがオーブではなくなってしまうのかもしれない。
カガリは自分の恐怖の根源を、そう解釈した。

(でも、結局はアスランはオーブの民を救ってくれたんだ・・だから、だから・・大丈夫だ、覚悟はできている)

だからそうやって、カガリは何度も自分に、アスランの妻になる名目を言い聞かせていた。
そうすれば決心がついて、心身ともに落ち着けるのだと。
けれども、心臓が高鳴る音は一向に止まらない。
その理由は明白だった。
昼間のアスランを思い出してしまうからだ。
式の間ずっと注がれていた優しい眼差し、大聖堂から馬車に乗り込むときに小声でドレス姿を褒めてくれたこと、パレードの間中、ずっと手を握ってくれた彼の手の温もり。
今日はカガリにとって人生で一番慌ただしい日で、隣にいるアスランともまともに会話すらできなかったのに。
これらのことが、カガリの記憶には、鮮明に残っていて。

(もう・・どうして・・)

居たたまれなくなったカガリはぶんぶんと首を振って気をまぎらわせようとしたのだが、扉から聞こえた声に慌てて顔を上げた。

「カガリ・・入ってもいいか?」
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