本編

夜の海は真っ暗だったが、天上には満点の星空が広がっていた。
三日ぶりの外の空気は新鮮で、さわやかで心地よい風がカガリの前髪をなびかせた。

「気持ちいい~」

甲板の手すりから身体を少し乗り出していると、そっと肩に何か掛けられた。

「夜は少し冷えますので・・・」

掛けられたのはアスランが羽織っていた赤色の裾の長い上着だった。

「この船は北上しておりますので、そろそろオーブより気温が低い地域に差し掛かってくるかと・・・」

「でもこれ脱いだら、お前だって寒いんじゃないか」

アスランの上着の下は、青い半そでのシャツ一枚だった。

「私は慣れておりますから」

「そうか」

確かに、甲板の上は少し肌寒かった。
夜風から身を守るように、カガリは上着を胸の前で合わせた。
そうすると元から長めに作られている上着に、カガリの身体はすっぽりと包みこまれてしまう。
アスランの上着には彼のぬくもりが残っていて温かい。
カガリがちろりと上目使いでアスランの様子を伺うと、彼もちょうどこちらを見ていて、琥珀と翡翠がかち合った。

「どうかされました・・・?」

「いや」

カガリがつれなく視線を背けたとき、悲しそうに表情を曇らせたアスランの顔が視界の端に一瞬映った。

(この人は、本当にあのときの彼と同一人物なのだろうか)

カガリの脳裏に謁見の間での出来事が浮かび上がる。
単身でオーブにやってきて、神王の自分に恐れることなく、真実を突きつけてきた青年。
あの時の厳しい目、厳しい声に、自分は全く太刀打ちできなかった。
それだけではない。
カガリがプラントに降伏し、オーブとプラント間での会議で見せた物おじしない堂々とした態度。
先を見据えた冷静で的確な意見を述べる彼は聡明で知己に富み、自信にあふれていた。

それなのに今、カガリの傍にいる彼は、今までカガリが見たことのある彼とはまるで違っていた。
自信なさげで、心細げで。

(何なんだよ・・・一体)

そのギャップが、カガリの心に波風を立てる。
カガリの荒れた心中に気が付かないまま、海の向こうを向いたカガリにアスランが声を掛ける。

「カガリ様・・・もうそろそろ戻りましょう。また明日、お連れ致しますから。波が穏やかでしたら、こちらでお食事も」

「何でお前は私に構うんだよ」

「え?」

棘のあるカガリの声に、アスランが動きを止めた。
それを気配で感じて、カガリは鋭い琥珀をアスランに向けた。

「気なんて使わなくていいんだよ。私はもう神王じゃないんだから」

お前のせいでという一言はかろうじて飲み込んだ。
アスランがオーブをアスハを救ってくれたのは分かっている。
その為の方法がそれしかなかったのも分かっている。
それでもシン同様、カガリも簡単に割り切れることはできなかった。

「私は・・・カガリ様が神王であられたから、お傍にいるわけではございません。私の、婚約者だからこそ・・・」

「だったら尚更気に掛ける必要なんてないじゃないか。形式だけの結婚なんだから」

「カガリ様・・・」

ショックを受けたように、アスランの瞳が見開かれた。

「政略結婚の相手に無理して気を使うことはない。私だってアスハの人間としてユウナと結婚するつもりだったんだ。お前の気持ちがよく分かる」

「違います・・・私は・・・」

首を振るアスランは何故だかとても苦しそうだったが、カガリは言葉を抑えることはできなかった。

「国のため、家のために結婚するのが、人の上に立つものの責務だからな」

「そうかもしれません。でも俺は・・・」

「嫌なんだ。迷惑なんだよ、親切にされると。それとも・・・」

アスランの言葉を遮り、一旦、言葉を切ってから、カガリは続けた。

「オーブを救ってやったのだから感謝しろということか?プラントの王子は恩着せがましいな」

アスランが息を呑んだのと、船が大きく揺れたのは同時だった。

「わっ・・!」

「カガリ!」

船が斜めに傾いて、バランスを崩してよろけたカガリを、アスランは抱きとめた。
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