本編
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「すまない。確か君は、シン・・・といったな。少しカガリ様と話がしたいんだが」
見張りとしてカガリの部屋の前で立っているシンに、アスランが声を掛けた。
太陽は水平線の向こうに沈み、窓の外は既に闇が広がっている。
「あ、はい・・・」
「すまない。ありがとう」
申し訳なさそうに自分に礼を言う、人の良さそうなプラントの王子に、シンは何ともいえない気持ちになる。
オーブは「プラント領オーブ自治国」として、プラントに組み込まれることになった。
降伏したからにはプラントに組み込まれ、、オーブという名前も生活の自由も奪われるかとオーブの民は恐れていたが、プラントはオーブに自治権を与え、ある程度の独立性を認めた。
この寛大な措置にオーブは驚いたのだが、初めはプラント王もオーブに自治権を与えるつもりはなかった。
武力そのものは持たない国だが、その影響力は衰えたとはいえ、いまだ侮れない。
プラント統制下で管理し、服従させなければ、いつまた何が起こるか分からないからだ。
しかしオーブの自治権を認めるよう、プラント王に強く進言したのは、アスランだった。
(神の国を崩したプラントはただでさえ他国から反感を持たれやすい立場であるのに、この上オーブに酷い仕打ちをしたならば、それこそ他国との争いの火種を作るようなものです)
次期プラント国王であるアスランの冷静で説得力のある言葉に、パトリックは耳を傾けたのだった。
アスランはオーブの恩人だ。
オーブを焼きたくなかったら、その身を自分に捧げろとカガリに言ったアスラン。
卑怯な交換条件にシンは初め憤っていたが、今では分かる。
アスランの提示した条件は、世界にとっても、オーブやプラントにとっても、一番最良な手段だったと。
オーブはあの時点で既に傾きかけて、今にも沈みそうな船だったのだ。
そのまま沈むにしても、沈みかけの船を巡って諸国が争うにしても、きっと悲惨なことになっていたのは間違いない。
アスランはオーブを窮地に陥れたように見せかけて、本当はオーブを救ってくれたのだ。
けれど、素直に感謝することは、まだ、できなかった。
「カガリ様、失礼いたします」
ドアを開けてアスランが船室に入ると、椅子に座って真っ暗な窓の外を見ていたカガリが振り返った。
「アスラン」
「連絡も無しに突然の御目通り、お許しください。ですが、ご気分のほうはいかがかと思いまして・・」
カガリは今、広い海の上にいた。
故郷であるオーブを離れて、プラントへ向かっている。
プラントに降伏し、プラント領オーブ自治国として、プラントの傘下に入ることを認める調印を終えた三日後、カガリはすぐにオーブを経つことになった。
気心知れた召使や護衛を同行させることも許されていたが、オーブから遠く離れたプラントに彼らを連れて行くのは忍びなく、カガリは単身プラントへ向かうと言ったのだが。
唯一幼馴染で弓の腕の立つシンが、本人の希望もあり、カガリに付き添うことになったのだ。
カガリもシンも生まれてから一度もオーブの外に出たことはなく、もちろん船に乗ったこともなかった。
床が絶えず揺れているという経験したことのない状況に、カガリは初め船酔いしてしまったのだが、三日目ともなると船の揺れにも慣れ、気分は良くなっていた。
「もう大丈夫だ。迷惑を掛けて、すまなかった」
「迷惑だなんて・・こちらのほうこそ、カガリ様にご不便をお掛けして・・」
「不便なことなど何もないぞ」
実際、カガリに与えられた船室は一番の特等室だった。
「ですがこのように長い船旅を強いて・・何かご不便なことがありましたら、すぐにでも仰って下さい」
「ああ」
カガリの気のない返事を最後に、部屋には沈黙が訪れる。
婚姻を結ぶことになった二人だが、未だに打ち解けてはいない。
穏やかとは言い難いその沈黙は、ぎこちない二人の関係を的確に表していた。
「あ、お願いしたいこと、今一つだけあるぞ」
「何でしょうか?」
唐突に声を上げたカガリに、アスランがすぐに問いかけた。
気まずい沈黙が無くなったことと、カガリにお願いがあると言われたことが嬉しかったのだ。
しかし、カガリの望みを聞いて、すぐに申し訳なさそうに顔を眉根を下げることになる。
「外に出たい」
「甲板ですか・・・。しかし今は夜で、波も少し出てきましたし危険です。日中でしたらいくらでも・・」
「ずっと臥せって船室にいたから、外の風に当たりたいんだ。船室の窓は開かないし、籠った空気のなかにいたらまた気分が悪くなる」
「ですが・・」
「お前何か不便なことがあれば何でも仰って下さいって言ったじゃないか。私は今とっても不便だぞ」
「分かりました・・・」
駄々を込め始めたカガリに、アスランは苦笑した。
「シンを護衛につければ問題ないな」
嬉しそうに立ち上がるカガリだったが。
「あ、いえ!私がお供いたします」
「え?」
「あ・・その・・シンは優秀な護衛ですが、船は初めてですし・・・」
真っ直ぐに向けられてくる琥珀の瞳から視線を逸らし、たじろぎながらそう言ったアスランの耳が赤いことにカガリは気が付かなかった。