本編

カガリは眼下に広がる光景に息をのみ、立ち尽くしていた。
果てしなく広がるエメラルドブルーは、今までカガリが見たどの色彩よりも美しかった。
気持ちのいい海風が、潮の香りを運んでくる。
この大海原の先には何があるのだろう。
見てみたいと思った、その先にあるものを。
会ってみたいと思った、その先で暮らす人々を。

カガリは海の向こう、広い世界に想いを馳せた。

「カガリ、泣くことはないよ」

耳元で囁かれた妙に優しい声に、カガリは初めて自分が涙を流していることに気が付いた。

「あの大軍はたしかに凄いけど、大丈夫。僕がちゃんと手を打っておいたから」

ユウナの言葉にカガリは初めて眼下に広がる大軍へと視線を向けた。
オノゴロ湾の白い砂浜は、オーブに上陸したプラント軍で埋まっている。
月食を迎える今日、アスランが宣言した通り、プラント軍はオノゴロに上陸し、迎え撃つカガリは砂浜を見渡せる砂丘に陣を構えていた。

(プラント軍など、見ていなかった・・)

しかしカガリの心を打ったのは、プラントの恐ろしい大軍ではなく、目の前に広がる美しい海と空だった。
生まれて初めて正面から見た海は、美しく明るく、どこまでも広大だった。

(これが、世界・・・)

次から次へと頬に涙が伝わった。
歴代の神王たちは、この光景を知らないまま、狭い神殿と城のなかで、祈りを捧げてきたのだ。

(この光景を知らずして、誰が神だというのか・・・)

広大な世界を、この年まで見たことのなかった自分。
神の子孫、分身と言われた神王が、神の創造した世界を知らない。
その滑稽さが切なくて、カガリは涙を止めることができなかった。





照りつける太陽が真上に上り、正午を告げる。
プラント軍の最前列中央にいる赤い鎧をまとった王子が右手をあげると、次々と低音の戦笛が鳴らされた。
途端に穏やかな波の音が、地を這うような低い音にかき消される。
隊列を組んだプラントの大軍が、進軍を開始したのだった。




黒い波が大地を浸食してくるようだと、カガリは思った。
プラントの大軍が一糸乱れぬ動きで進軍し、緩やかな砂丘の上へと迫ってくる。
不思議と怖いとは思わなかった。
涙を流したからだろうか、気分は妙に落ち着いて、頭は冴え冴えとしていた。

「ユウナ、先ほど言っていた、手を打ったとはどういうことだ」

「ああ・・・あの軍の中には、ブルーコスモスが混ざっているんだ」

得意げにユウナは答えた。

「プラント軍のなかにも、少数ながらブルーコスモスに所属する者たちがいてね、連絡を取ったんだ。彼らはもちろんオーブに協力してくれる。他国のブルーコスモスをかなりの数、プラント軍に紛れ込ませてくれてね」

「お前は・・ブルーコスモスと繋がりがあるのか・・」

抑揚のないカガリの声に、彼女から感謝されると思っていたユウナは若干あせったが、取り繕うな声で言った。

「オーブを、君を守るためさ。見ててごらん、プラント軍は内側から崩壊するよ」

カガリはユウナに促され、自分たちの天幕が張られた砂丘の頂上に向かってくる大軍を、不思議な思いで見つめた。
それは諦めなのか、カガリにもよく分からなかったが、何故だか今まで胸のなかでくすぶっていたものが、綺麗に捌けていくような、そんな想いだった。

(オーブの歴史は終わる・・・)

アスハの名を持つユウナが、ブルーコスモスと繋がっていた。
武力を否定し、神威で人々を治める立場であるアスハは、それがたとえ自らを崇める組織であったとしても、武力によって作られた組織とは決して相まみえてはならない。
その掟が今、破られようとしていた。

(ブルーコスモスの力を借りて、プラント軍を退けたとき、神王はこの世から消える)

数百年の間、脈々と受け継がれてきたものを捨て去ることはしたくなかった。
しかし、ここでプラント軍を退け、オーブを守ることができたとしても、そこに残るのは神威のかけらもない、偽りのオーブだ。
そんな国で、民は幸せに暮らしていけるだろうか。


プラント軍はもうすぐ傍まで迫って、顔すら見分けらるほどだった。
カガリは最前列中央にいるアスランの顔を見つめながら、傍らに控えるシンに言った。

「シン、青い旗を取ってくれ」

「カッ・・カガリ?!」

ユウナが弾かれたようにカガリに視線を向けた。

「何血迷ったことを!たった今、僕が言ったことを聞いていなかったのかい?!」

「ユウナ・・・私はオーブを、神の国といいながら、汚い武力に頼るような国にはしたくない」

慌てふためくユウナとは対照的に、カガリは静かな落ち着いた声で言った。

「カガリっ・・・」

「神王は普通の人間となり、オーブも神の国ではなくなるが、偽りとごまかしで塗れた国で生きていくよりは、そのほうがずっと民のためになる」

そう言うと、息を詰めカガリを見つめていたシンを再度促した。

「シン、青い旗を」

カガリ達の周りに控える大臣や神官、女官たちは誰も声を発せず固まっていた。
張りつめた空気が丘に満ちるが、動じることなくカガリはシンを見つめ続けた。
お前は分かってくれるだろう。
カガリのそんな想いが通じたのか、シンは静かに目を伏せると、倒してあった青い旗を、カガリに手渡した。
丘の上で掲げられた青い旗が、風で翻った。
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