第一夜




カガリが目覚めてから二週間、アスランは毎日カガリの病室に足を運んだ。
婚約者だったことはもちろんは伏せ、キラの親友だと自己紹介したアスランにカガリははじめこそよそよそしかったものの、次第に打ち解けてきてくれたようだった。
術後の体調とコールドスリープ後の心情を考慮して、初めは数十分しかなかった面会時間も徐々に伸び、今では普通の病人と同じように、午後はまるまる病室が解放されている。
カガリの記憶が戻ることを一心に願うアスランは、本当だったら面会時間の初めから終わりまで毎日カガリの病室にいたかったが、肉親でもない三十も年上の男が足繁く面会に来ることにカガリが嫌悪感を抱くかもしれないという不安から、ある程度回数を絞ってカガリのもとを訪れていた。
激しい焦燥がアスランをカガリの元へ急き立てるのに、臆病な心がそれを押しとどめ、心の均衡が崩れてしまいそうなのをひた隠しながら、アスランは今日もカガリの病室に向かった。

「へえ・・そんなことがあったんだなあ・・」

アスランの話にカガリは綺麗な琥珀の瞳を瞬かせる。
リラックスしたその様子は、カガリがアスランに気を許した証拠だ。
しかし無邪気で明るい瞳は純粋にアスランのことを兄の親友としか見ていない。

「ですから現在のオーブは首長制ではなく、民主制なんですわ」

アスランが端的に分かりやすく説明したオーブの歩んできた三十年に、ラクスが付け足した。
今日はラクスも見舞いにやってきて、アスランの隣に腰かけていた。

「オーブは本当に綺麗な国ですわね。初めて訪れたのはキラとの新婚旅行で、その後何度か訪問しておりますが、そのたびにオーブの自然に感嘆してしまいますわ」

「そうか・・・」

アスランとラクスの口から語られるオーブの歩んできた三十年間を、カガリは興味深そうに聞いていたが、ふと口を閉じた。

「カガリ?」

アスランが呼びかけると、カガリは安心させるように笑みを作った。

「いや、すまない。何でもないんだ。ただ、新婚旅行って聞いて・・・。あのキラが本当に結婚したのかって改めて実感しちゃってさ。それも、こんな綺麗な奥さんだなんて」

「あらあら。今では十七になる息子もいますのよ」

カガリの言葉に、ラクスは愉快そうに微笑んだ。

「それもビックリしたよ。アイツが父さんだなんてな。正直想像できない。ちゃんと父さんできてるのか?」

「ええ。とても仲の良い親子ですわよ。たまに親子ではなくて、友人同士に見えることもありますが」

「確かにアイツは子供っぽいとこあるからな。割とボーっとしてるし、そういうところはいくら年重ねても変わらないんだろうな」

キラの話題で盛り上がるラクスとカガリの会話を、アスランは焦燥を抱えながら聞いていた。
目の前で繰り広げられている会話なのに、どこか遠い。
三十年の時を経ても、カガリに親しみを込めて変わっていないと称されるキラが心底羨ましかった。
動くその姿を見ていたいと、声を聴きたいと切望して病室に訪れるのに、いざやってきたアスランが感じるのはいつも激しい焦燥だった。
カガリは一向に記憶を取り戻す兆候は無く、アスランを弟の親友としてしか認識せず、深い絶望と悲しみのなかアスランは病室を後にするのだ。
楽しそうな二人の声を頭の隅で聞きながら、きっと今日もそうなるのだろうとアスランは既に確信していた。
出来ることなら、心の赴くまま二人のおしゃべりを遮ってしまいたい。
もしカガリの記憶が戻ったら、現在のアスランのことをどう称してくれるのだろうか。
あの頃と変わらない優しさを湛えて、変わっていないと言ってくれるだろうか。
―――カガリ、俺のことは?
今にも出てきそうなその問いを、アスランがぐっと飲み込んだその時だった。

「父さーっ・・て、アレ?」

アスランの胸の内とは対照的に和やかな談笑が響く病室。
そのドアが不意にガチャリと空いた。
顔を覗かせたカガリと同い年くらいの少年に、アスランの思考が切り替わる。

「シン、どうしたんだ?」

「父さんが研究で使うICキー忘れたっていうから、持ってこさせられた。受付で父さんはここにいるって言われたんだけど」

面倒くさい仕事を頼まれて自分は不服なのだと主張するように、シンと呼ばれた少年は持ってきたICキーをクルリと手で回した。

「てか、母さんもアスランさんも何で病院のVIP室なんかににいるの?」

――その子誰?
ベッドに座る金髪の女の子を指して、口から出そうになった言葉は咄嗟に飲み込んだ。
自分の母親と親のように慕っている父の親友が二人で見舞う人物なら、自分も面識があっておかしくないはずなのだが、シンはその少女に全く見覚えがなかった。
それなのに、何となく遠い昔に見たことのあるようなもどかしい感覚が胸に広がる。

「お見舞いだよ」

「それは分かるけど」

「それより、キラは多分地下のCCセンターに居ると思うぞ」

その子は誰だと全身で訊ねてくるシンをあえて無視し、その場から遠ざけるように、アスランはシンを促した。
目覚めて二週間のカガリは、まだ三十年の時の流れに完全に付いていけてはいない。
自分と同い年の甥の存在を話すには、まだ時期ではないと、アスラン達はカガリにその存在を詳しく話していなかったのだ。
シンには悪いが、一刻も早くこの場から立ち去ってもらいたかった。

「あ・・え、うん・・そうなんだけど・・」

「シン、いいからキラのところにそれを持っていってやれ」

詳しく説明してもらいたいが、どうやって尋ねたらいいのか分からず、挙動不審になっている息子同然の少年に、アスランは畳み掛けるように言った。

「分かった」

幼いころから可愛がってもらっており、また現在の職場の教官でもある自分の最も尊敬する人に促され、その場を離れるシンの背中を、琥珀の瞳がじっと見つめていた。
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