第一夜

「くっ・・・」

嗚咽を漏らしかけたとき、病室のドアが開いて、アスランは勢いよく顏を上げた。

「キラ・・・」

カガリの病室から出てきたキラを、アスランは縋るような目で見つめた。
カガリが目覚め記憶障害が発覚した後、アスランは部屋を退出させられたのだ。
目覚めた今が三十年後の世界だという現実が、どれほどカガリの精神に衝撃を与えるか分からない。
カガリの精神的苦痛を考慮して、その事実を伝えるときに、「知らない」男であるアスランがその場に居るのは良くなかったからだ。

カガリの記憶は、戻ったか?
キラを見つめるアスランの瞳は、キラにそう問うていた。
カガリの記憶障害は目覚めた直後の一時的なものであるかもしれないと思ったからだ。
そんなアスランの気持ちが痛いほどに伝わってきたが、キラは切なげに首を振った。

「アスラン・・。カガリは今かなり動揺してるよ。そりゃそうだよね、目が醒めたら三十年の時が経っていたなんて」

失われた記憶には、あえて触れずに・・・。
そしてそれは、カガリの記憶がやはり戻っていないことをアスランに確信させた。

「・・・・そうか。そう・・だよな」

「でも、僕がキラだってことは分かってくれた。まだ信じられないって顔、してたけど」

「そうか・・・」

感情を抑えるためか、不自然なくらい淡々としたアスランの返答に、キラはしばし閉口し、彼に何と言うべきか考えあぐねた。
この三十年間、誰よりも近くでアスランを見てきたから分かる。
アスランがどんなにカガリが目覚める日を待ち望んでいたか。
そして終わりの見えない日々に、アスランがどんなに苦しんでいたのかも。
だからこそ彼に何と言っていいか分からず、結局キラの口から出たのは、ありふれた言葉だった。

「アスラン・・でも・・まさか、こんなことになるなんて」

「・・・仕方ないだろう」

アスランが自嘲の籠った声で答える。
皮肉めいた投げやりのその声が、深い絶望の裏返しだということをキラは知っている。
苦難を一緒に乗り越えた親友と、最愛の妹。
今度こそ二人に幸せになってもらいたい。
キラはそう強く思った。

「アスラン・・・あまり落ち込まないで。大丈夫だよ。カガリはきっと記憶を取り戻す。そう信じていれば・・・」

「取り戻さなかったら?」

暗く低い声でアスランはキラを遮った。
強い口調だった。
カガリは記憶を取り戻す保証など、どこにもない。
根拠のない無責任な励ましなどいらなかった。

「取り戻さなかったら・・・」

キラは一瞬痛ましげに顔を伏せたが、再び顔を上げると、明るい口調で捲し立てた。

「それでも、カガリはカガリだ。失ったっていったって、たった二年の記憶だよ。きっとアスランと接していくうちに、また君を好きに・・」

「気休めはよしてくれ!」

アスランの元気づけたいという気持ちから出たキラの言葉はしかし、アスランの怒鳴り声に遮られた。

「カガリはカガリって、そんなの当然だ!十七歳のままずっと眠っていたんだから。でも俺はあの頃の俺じゃない!カガリよりも三十も年上の男なんだぞ!そんな男と一から関係を築けるわけがないだろう!」

「アスラン・・・」

そこまで言って、泣きそうな顔のキラから、アスランは顔を背けた。
親友が自分のことを思って励ましてくれたのだということは、分かっている。
しかしその気遣いに付き合う心の余裕はなかった。
三十歳という年の差。
カガリが完全にあの日の、結婚前夜の日のカガリだったのなら、きっと年の差など構わずに、アスランを愛してくれたはずだろう。
けれどもカガリは十七歳のころの記憶をすっかり失っていて、今のカガリにとってアスランは面識もなく、自分よりずっと年上の男でしかない。
カガリがアスランに気持ちを傾ける可能性など、あるはずがなかった。
激しい絶望が怒りへとアスランのなかで転化する。
しかし、身の内を暴れ回る激しい怒りをぶつける場所はない。

―――カガリ・・・
―――どうして・・どうして君は・・・


アスランが今できることは、ただ運命を呪うことだけだった。
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